第8話 「教会へ」
「まぁこんなものか」
悠司達の上空で一部始終を見ていた黒尽くめの男は落胆した様子もなく納得したような声をあげた。
男の下では警備隊と合流し、何か話をしている悠司の姿がある。
しばらくその姿を見ていた男は何かに気づく。
「うん? 見つかったかな?」
男の視線の先にはビホルダーを蹴り飛ばしたシスターがいた。
彼女は顔を上に向けまっすぐ男を見ている。
「隠形の術をかけているんだがな、勘が鋭いのか?」
普通隠形の術をかけている場合、探査系の術を使われないかぎりばれることはない。
しかし彼女の視線はピタリと男に向けられている。
術を使っているようには見えないため、おそらく何か違和感を感じたのだろう。
「見えているわけではないだろうし、構わないか。帰るとしよう」
男はとくに気にした様子もなく呟く。
何事か唱えながらバサリと来ているマントを翻す。
すると男の体が薄れ、数秒後その姿はそこから忽然と消え去った。
(いなくなったのかしら?)
シスターは悠司と簡単な自己紹介をした後、視線が向けられているように感じ、その発生源であろう上空に目を向けた。
姿は見えないがそこに何かいるのだろうと思い、しばらくそこを監視していた。
目を向けた後も少しの間違和感は続いていたが、今それがなくなったのである。
おそらくこちらを見ていた何かが消え去ったのだろうが、姿は見えないため確信が持てず首を傾げる。
彼女が空を見上げながら首を傾げていると声をかけられた。
「アネットさん、どうしたの?」
アネットというのがシスターの名前なのだろう。
空を見上げ首を傾げる彼女を不思議に思い、悠司は話しかけた。
先ほど自己紹介した折に気軽に話していいと言われたため、多少砕けた言葉遣いである。
「あ、いえ、なんでもありません」
アネットは首を振り答える。
悠司はアネットが見ていた方向へ目線を向け、何もないのを確認すると少し不思議に思いながらも、そうですかと頷く。
しばらくの間二人で談笑していると、悠司に声がかけられた。
「おい、ユージ。大丈夫だったか?」
悠司が声の方へ振り向くとそこにはレオンがいた。
少し心配そうな顔をしている。
「ああ、特に怪我もしてない」
悠司がそういうと安心した顔になりホッと息を吐き出す。
やはり心配していたらしい。
「駄目ですよユージさん、嘘をついては」
アネットが少々怒ったような声色で悠司にそう言う。
すると悠司の横にアネットが立っていることにようやく気づいたのか、レオンは声をあげる。
「あんたさっきのシスターじゃねぇか」
「はい、先ほどはどうも」
少し驚いたようにアネットに話しかけるレオン。
彼女はそれにお辞儀をして礼を言う。
悠司は面識があるような二人に疑問を持ち、レオンに尋ねる。
「知り合いなのか?」
「ああ、さっきガルサースへの道はこれでいいのか聞かれてな」
悠司と別れた後商人達の近くで辺りを見回していたレオンに話しかけたのは彼女だった。
反射的にそうだと答えたレオンに礼を返しそのまま歩いていったのだ。
その方向にはビホルダーがいるため、レオンは呼び止めようとしたのだが、アネットはさっさか歩いていく。
レオンは追いかけようとしたが、そこへ警備隊が来たので事情を説明しなければならないため追うことができなかった。
彼女は悠司を助けにこちらへ来たわけではなく、ガルサースヘ向かっていたらたまたま出くわしただけであった。
「つーか普通あの状況見ればなにかあったってわかるだろう」
アネットへ向かいレオンは呆れたように言う。
なにせ彼の近くには商人の集団がたむろしており、さらに怪我をしたマイクが寝ていた。
その周りには何かを警戒するように男達が見回りをしている。
さらに辺りには横倒しになった荷馬車やゴブリンの死体が転がっていたのである。
どんな鈍い人でもなにかあったとわかるだろう。
「はぁ」
しかしアネットはキョトンとした顔でレオンを見ている。
どうやら何も気づかなかったらしい。
そんな彼女にレオンは再度呆れた様子でため息を吐く。
少しの間そうしていたが、突然彼はハッとして彼女を見る。
「そういやあんた、さっきユージに嘘は駄目とか言ってたが、何が嘘なんだ?」
先ほどアネットが叱るように悠司に声をかけていたのを思い出し、レオンは彼女に尋ねる。
彼女もそれで思い出したのか悠司に向かい言う。
「そうです。ユージさん足動かないんでしょう?」
「なにぃ!?」
悠司の右足を指さしながら言うアネットの言葉に、レオンは驚きの声をあげる。
彼は悠司の右足を見てその言葉が本当だと気づき悠司に詰め寄る。
「お前光線受けたのか!?」
「うむ」
それに偉そうに頷く悠司。
そうあっさり認めるならば何故黙っていたのかわからないが、それにレオンは慌てる。
実はビホルダーの光線は、その効果に侵食性がある。
時間が経てば経つほど体は動かなくなり、悠司のように足の先に受けただけでも半日ほどで全身に回るのだ。
これを解除するには高等で専門的な術が必要であり、それを使用するには時間がかかるため、早く処置しなければならない。
「あんた治療術は使えるか?」
「多少は使えますがビホルダーの能力を解除するには司教以上の方でないと……」
聖職者には治療に関する術が使える者が多い。
そのためレオンはアネットが悠司の治療をできるかどうか尋ねたが、彼女はできないという。
ビホルダーの能力を解除するにはそれなりの技術が必要であり、エルナンデス教においてはそれを使えるのは司教以上の位に就いている者だけであった。
「じゃあジェラルドじいさんのとこへ連れて行くしかねぇか」
ジェラルドとはここらを束ねる司教であり、ここ10年ほどガルサースの教会に逗留している。
70近い高齢の男だが、司教なだけありその治療術の腕は素晴らしい。
レオンは色々と調べている警備隊の方へ向き、その隊長らしい人狼の男の背へ声をかける。
「ヴォルクス、ユージを町まで連れて行きたいから馬を貸してくれないか?」
ヴォルクスと呼ばれた人狼はその声に振り返り返事をする。
「わかった、いいぞ。ああ、レオンは残ってくれ、聞きたいことがいくつかある」
「あ、じゃあ私が連れて行きます」
残るよう言われたレオンはどうするか迷ったが、自分が連れて行くというアネットへ悠司を任せることにした。
シスターが馬に乗れるか気になったが、彼女自らが志願したのだが大丈夫なのだろうと判断する。
隊員の一人が連れてきた馬にアネットが乗り、その後ろに悠司を乗せるのをレオンが手伝う。
悠司がしっかり腰に掴まるのを確認すると、アネットはガルサース向かい馬を走らせた。
その姿を見送ったレオンは、ヴォルクスへ話しかける。
「で、聞きたいことってなんだ?」
「ああ、いくつか気になることがあってな」
気になること? と聞き返すレオンにヴォルクスは頷き話を始めた。
ガルサースに着いた二人は馬から降り教会へ向かって歩き出す。
右足が動かない悠司はアネットに肩をかりている。
アネットはこの町に来たのは初めてのため教会への道は知らないので、悠司が道を指示しながら向かう。
しばらく歩くと町の中心近くにある教会へ着く。
二人がその扉を開き中へ入るとそこは礼拝堂であった。
そこには誰もいなかったので、奥へ向かって声をかける。
すると礼拝堂の右奥にある扉が開き、そこから一人の老人が現れた。
「ようこそ教会へ……ってユージじゃないか、どうしたんだい? そちらのシスターは?」
訪問客へ向かってにこやかに話しかける老人は、それが悠司だと気づく。
悠司が人に肩を貸してもらい立っているのに驚き、さらに肩を貸している人物がシスターだということに疑問を持つ。
「こんにちわジェラルドさん、治療を受けに来ました」
「君が治療を? 珍しいね」
この老人がジェラルドであるらしい。
彼は悠司が治療を受けるほどに負傷を受けたということに驚きを示す。
悠司はその体質上滅多に怪我をすることがないため、誰かの付き添いとして教会へ来ることがあっても、彼自身が用があって来ることはなかった。
「ビホルダーの能力を右足に受けてしまって、動かないのです」
悠司の横に立っているアネットがジェラルドへここに来た理由を説明する。
ジェラルドはそれを聞き、納得したように頷く。
「なるほど、ビホルダーのね。さしものユージあれは効いたようだね」
悠司の右足を見ながらジェラルドはそう言う。
「なら、早く処置しなければいけないね。こっちへ来てくれ」
ジェラルドはそう言い先ほど自分が出てきた扉を指し示す。
扉へ向かって歩き出す彼の背を追い、悠司はアネットに肩を貸してもらいながら後に続く。
「なるほどね、たしかに妙だ」
悠司の治療をしながら事情を聞いたジェラルドはそうこぼした。
そう滅多に自ら人を襲うことのないゴブリンの強襲。
ここらに生息していないはずのビホルダーの出現。
ジェラルドはそれらに何か人為的なものを感じていた。
「警備隊の方々が調べているようなので何か分かるでしょう」
悠司の言葉にジェラルドは、そうだね、と返す。
とりあえず今回の治療は終わったため、ジェラルドは今は自分のことだけを気にするように悠司に言い、今日のところはもう帰るよう促した。
今回の治療で侵食が止められたとはいえ、悠司の足が動くようになったわけではない。
足を動かせるようになるにはしばらくの間治療を受け続けなければならないのだ。
片足が動かない人間を一人で帰すわけにはいかないだろうとジェラルドは悠司を送っていこうとするが、それはアネットに止められた。
「私が送っていきます。今日からここのシスターですし」
「ん? そうだったの?」
悠司はアネットがこの町に来た理由を初めて知る。
「ああ、君がそうだったのか。新しいシスターが来るという連絡は受けていた、これからよろしく頼むよ」
ジェラルドも以前受けていた連絡の人物が彼女だということを知り、微笑みながら歓迎する。
ちなみに以前にもこの教会にシスターはいた。
しかしその女性は2ヶ月ほど前に置き手紙を残し、失踪している。
なぜ失踪したか詳しい事情はわからないが、置き手紙にはただ「あそこへ行って来ます……あそこへね……」と書かれていた。
「はい、こちらこそお願いします、司教様」
「ジェラルドでいい、様もいらないよ」
畏まって挨拶するアネットにジェラルドはそう鯱張ることはないという。
アネットはさすがにそれには気が引けたのか逡巡するが、重ねて構わないというジェラルドに、はい、と頷いた。
話が一段落し、悠司は家へ帰ろうと腰を上げる。
アネットはそれに付き添い、ジェラルドは出口まで見送りに着いてきた。
出口で悠司はジェラルドへ向き直り頭を下げる。
「治療ありがとうございました」
「ああ、また明日にでもおいで」
「はい」
ここへ来たときはまだ明るかったが、治療に時間がかかったためすでに辺りは暗くなっている。
その中二人は悠司の家へと向かう。
手を振るジェラルドに悠司は振り返し、アネットの肩を借りて歩き出す。
ジェラルドはそんな二人を姿が見えなくなるまで教会の前で見送っていた。
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