第2話 「今の日常」










トート大陸東部にある、ジェヌブス連邦。
そこは大陸で最も多くの民族が暮らす場所である。
人間、エルフ、ドワーフ、人狼、人猫etc……。
亜人族だけでなく、中には喋る犬やら鳥やらも存在し、それら全てが平等の権利を持っている。
その国の南端に位置する都市ガルサース。
その都市のとある喫茶店で、悠司は一人コーヒーを啜っていた。
悠司がこの店に入ってから、かれこれ2時間が経過している。
初めのうちはそれ程客が入っていなかったため、人猫の店員も愛想よく接していた。
しかしすでに時刻は12時近く。
昼時になり客足も増してきた。
そんな中一人コーヒーを啜るのみで、食事を注文することのない悠司に、店員は軽く切れかかっていた。
しかしお客様は神様である。
面と向かって「出ていけやゴラァ」などと言えるはずもない。
しょうがないので悠司の近くにさりげなく寄り、わざとらしく「いらっしゃいませー!」「少々お待ちくださーい!」などと大きな声で叫ぶ。
しかし悠司は動じない。
ボーっとしながらコーヒーを啜る。
店員のこめかみに血管がうかぶ。

(転んだ振りして水でもぶっかけてやろうかしら)

物騒なことを考えながら接客に励む店員。
すると悠司が店員に目を向け声をかける。

「あの、すいません」
「はい、なんでしょうか?」

やっと帰る気になったか。
そう考え笑顔で悠司によっていく。

「お代わり下さい」
「はい?」

笑顔のまま固まる店員。
悠司はその様子を観察し、一つ頷くと言葉を繰り返す。

「お代わり下さい」
「はい……」

肩を落とし厨房へ向かう店員。
その後ろ姿を無表情に見つめる悠司。
何を考えているかわからない。
厨房の中に消えるまで見届けると、ポツリと呟く。

「……猫耳ウェイトレス、いいね」

どうやらそれを見るために2時間も居座っているらしい。
やっかいな客である。
そうして悠司がこの状況を満喫していると、一人の女性が店に入ってくる。
少しの間何かを探すように店内を眺め、悠司の方を向き目を止めると駆け寄り声をかける。

「ユージ、まった?」
「いや、そうでもないよユーリィ」

それに答える悠司。
どうやら待ち合わせをしていたようだ。
金髪碧眼で紫色のローブをまとったエルフの女性。
悠司が森で熊に襲われたときに助けに入った人物である。

「そう? じゃあ行きましょうか」
「ああ。会計をすましてくるから、先に出ておいて」
「わかったわ」

そう言い店をでるユーリィ。
悠司も会計を住ませてから店を出る。
背中にコーヒーを持った店員の「ありあとーござあしたー」というやる気の欠片もない挨拶を受け、二人で歩き去る。

「何か今の人やけに疲れていなかった?」
「お昼時だから忙しいんだろうね」
「そう? そうなのかもね」
「きっとそうだろう」

ユーリィの疑問にそしらぬ顔で答える悠司。
自分が原因であるなどとはまったく感じさせない表情である。
それはいいとして、と言い悠司はユーリィへ訪ねる。

「今日は何処へ?」
「新しく総合商店ができたてしょ? あそこを見て回りたいのよ。荷物が多くなるかもしれないから、よろしくね?」
「あぁ、あそこか。了解」

悠司とユーリィが森で出会ってから半年。
彼は彼女に非常に世話になっていた。

















「すみませんが、此処がどこか教えていただけますか?」

初対面で、しかも助けられたということもあり、悠司は女性に向かい丁寧に声をかけた。

「ここ? ここはガルサースの西にあるカマルの森よ」

女性はなぜそんなことを聞くのかわからない、というような顔をしつつも答える。
しかし悠司は女性が答えた単語には、全く聞き覚えがない。
何処なのだろう、と考え込む悠司。
女性は黙り込んだ彼を不思議そうな顔で見ながら声をかける。

「あなた何故こんな所でグリズリーに襲われていたの? 彼らはここまで森の入り口に近づくことは、そう無いはずなんだけど」

考え込んでいた悠司は声をかけられ、顔を上げる。
やはりあれはグリズリーなのか、と一人納得しながらもその問いに答える。

「湖で水を飲んでいたら出てきたんです。怖かったんでとりあえず逃げようと思ったら追いかけられて。そのまま此処までずっと走ってきました」
「湖ってもしかして、ラッセル湖!? 此処から馬でも3時間はかかるわよ!?」
「はぁ。名前は知りませんが、大きな丸い綺麗な湖です」
「よくそんな長い間逃げ続けられたわね……普通30分もしない内に捕まるわよ……」
「ええ、我ながら頑張りました」

悠司の言葉に驚く女性。
さらに続けられた言葉と全く疲れや焦りが見えない様子を見て呆れた顔を見せる。
悠司はそんな女性の様子をしばらく見ていたが、とりあえず初心に戻り帰り道を探そうと、違う質問をする。

「すみません。日本への帰り道を教えていただきたいのですが」

女性の見た目が明らかに日本人とは違っていたため、方法はわからないが外国へ来てしまったのだろうと思い、日本という国名を出す。

「ニホン? ニホンって地名? 聞いたこと無いんだけど」
「え?」

日本を知らないと言う女性に悠司は戸惑う。
そんなはずはない、大体今自分と彼女は日本語で話しているじゃないか。
そう思い悠司は再度問いかける。

「日本を知らない? ジャパンですよ?」
「ジャパン? いいえ、知らないわ」

やはりわからないらしい。
どういうことだろうかと悠司は考える。
日本語が通じていないのかと思いジャパンと言い換えたが、それでも知らないと言う。

「ねぇ、あなたもしかして飛ばされてきたの?」

悠司がどうしたものかと考えていると、女性が何か思いついたように訪ねてくる。

「飛ばされてきた?」
「ええ。この森はマナが満ちているせいか、転移なんかで失敗すると引き寄せられることがあるのよ。 ニホンていう地名は聞いたことが無いけど、どこか遠い国なのかしら? そんな遠くから来たっていう話は 聞いたことはないけど、そんなこともあるのかもしれないわね」

女性は一人で納得していた。
マナやら転移やら聞き覚えのない単語があったが、何らかの原因でここに引き寄せられたらしい。
とりあえずこれ以上考えるのが面倒になった悠司はそれに合わせることにした。

「ええ、そうかもしれません。気がついたら森の中にいたので」
「そうなんでしょうね。じゃあガルサースまで案内するわ」

女性は頷くと悠司を先導するように歩き出す。
どうやら近くの町まで案内してくれるらしい。
彼は彼女の後を追いつつ、話しかける。

「ありがとうございます。お名前をお聞きしてもいいですか? 私は川原悠司といいます」
「カワハラユージ? あまり聞いたことのない名前ね」
「川原が家名で悠司が名前です。好きなように呼んでください」
「じゃあユージと呼ばせてもらうわね」

女性は悠司の方へ振り向き、笑顔で口を開く。

「私はユーリィ。エルフの精霊術師、ユーリィ・ライアルよ。ユーリィでいいわ。よろしく」

またわけのわからん単語が出てきた。
悠司はそんなことを頭の片隅で考えながら、ユーリィによろしくお願いします、と返すのであった。

















悠司はそんなことを思い出しながらユーリィを見る。
ユーリィはそれに気づき、悠司に声をかける。

「どうしたのユージ」
「いや。ちょっと会ったばかりのことを思い出してね」

ユーリィは見つめられていたことが恥ずかしかったのか、少しはにかみながら悠司に尋ねる。
彼の答えにユーリィもその時のことを思い出したのか、笑いながら話す。

「あぁ、あの時は大変だったわね。ユージは知らないことが沢山あったから」
「その節は色々とお世話になりました」
「いいわよ、そんな畏まらなくても。こっちは好きでやったんだし」

そう、悠司はユーリィに非常に世話になった。
なにしろ彼にとってここは全く知らない土地である。
何故か言葉は通じているものの、字は読めない、ここの常識もわからない状態だったのだ。
そんな彼を見かねて彼女は色々と世話を焼いた。
文字や常識を教えることから、無一文の彼のために仕事の斡旋や見知らぬ土地で寂しくないように話し相手もしてくれた。
彼女がいなければ、悠司は今頃最悪のたれ死んでいたであろう。
そのこともあって、今しているように彼女のちょっとした手伝いのようなことも、進んでしている。
まぁ、美人の女性と一緒にいることが嬉しいからという理由もなきにしもあらず。

そうこうしている内に、目的の商店へ着く。
総合商店というだけあり、沢山の種類の店が軒を連ねている。
喫茶店、レストラン、服屋、雑貨屋、武器屋など節操が無い。
それらを素通りし、二人は術具を取り扱っている店を見て回る。
術具とは、精霊術師や方術師、魔術師など、術師と呼ばれる人たちが使用する、特殊な道具のことである。
ユーリィは精霊術師。
悠司は初めのうちは何のことやらさっぱりわからなかったが、半年も住めばそういう人たちがいることも知るようになる。
外から中を覗いていたユーリィが、その内の一つに入っていく。
何か見付けたようだ。

「何かあった?」
「うん。これ」

悠司が訪ねると、ユーリィはあるものを指さし答える。
黄色のトパーズがつけられたペンダント。
黄色い宝石には風の精霊が宿るという。
風の精霊術師であるユーリィには、純度の高い黄色の宝石は魅力的である。
ユーリィはこれを気に入ったようだ。
そんな彼女の様子を見た悠司は、それをひょいっと掴む。

「え?」
「買ってあげるよ」

悠司はそう言い、ペンダントをもって会計へ向かい歩き出す。
それをユーリィは慌てて追う。

「そんな! 悪いわよ、自分で買うからいいわ!」
「まぁまぁ、日頃お世話になっているお礼ということで」
「でもこんな高いもの……」
「この前、高い報酬の仕事を済ませたから懐が暖かいんだ」

悠司は気楽に答える。

「高い報酬っていったって……」

悠司がユーリィに斡旋してもらった仕事は、いうなれば何でも屋だ。
いざ仕事を探そうというときに、ユーリィは悠司に何か特技はあるかと聞いた。
特技といわれても彼はごく普通の大学生。
いますぐ仕事に使えるような専門技術など持っていない。
そんな時思い出したのが、彼の体に起こっている異常。
これは便利そうだと思い、彼は彼女に、体力には自身があるといった。
そういわれ彼女は彼の体を見るが、説得力がない。
背は高目で多少筋肉はついているようだが、体力自慢の中には2mを越え、丸太のような腕をした人が大勢いる。
じゃあどの程度体力があるのか見せてみろという彼女に、彼は自分でも確認するいいチャンスだと思い、色々と試してみた。
その結果は予想以上であった。

500kgはありそうな岩を軽々と持ち上げる。
大人の倍以上の速度で走る。
しかもその速度で一日中走り回っても疲れない。
ジャンプして建物の2階の窓から手を使わずに入れる。
町を歩いていたときに、一度建物の上から植木鉢が落ちてきて彼にぶつかったが、痛くも痒くもなかった。
もう体力自慢というレベルではなかった。

その結果にユーリィは(悠司も)驚いたが、これなら大丈夫だと思い、色々な職を探してきてくれた。
その中にあったのが、重い荷物の配達や引っ越しの手伝い、建物の建設や解体、瓦礫の撤去などを手伝うお助け家業の様なものであった。
一つ一つの仕事の報酬はそれ程高くないが、誰か養うこともないため、これで十分だろうと思い決めた。
中には魔物退治など危険だが高収入の仕事もあり、腕っ節に自身がある輩は大体こういうものを選ぶ。
ユーリィは悠司ならこれでもやっていけるだろうといい、何故こっちにしないのかと聞いた。
それに対し彼はこういった。

「怖いしグロイのは嫌だ」

へたれである。
現代日本人の感性からいえば普通かもしれないが、端から見れば情けない。
ユーリィも分からないではないため、あきれはしたが納得した。
それはさておき。
そういうわけで悠司は別に高給取りというわけではない。
なので彼女は高い術具を買ってもらうことに抵抗を示したが、悠司は取り合わない。

「まぁ、得したと思って受け取りな」

そういいながら買ったばかりのペンダントをユーリィに渡す。
彼女は戸惑いながらもそれを受け取る。
しばしそのペンダントを見つめてからわずかに頬を染め上目遣いで悠司を見て口を開く。

「あ、ありがとう……」

小さな声でそういう彼女に悠司は満足げに頷く。

「じゃあ買い物を続けよう」

そういい歩き出す悠司に、ユーリィは軽く頷き隣に並んで歩き出す。
これが悠司の現在の日常である。




















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