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 一年の5つ目の月、ウルの月も半ばが過ぎ、このラ・ヴァリエール領も新緑の色増す季節となった。
 子供たちが原っぱで木苺を見つけ、農作業にいそしむ者たちの肌もうっすらと汗ばむ。
 吹く風は夏めいたものだが、まださわやかな心地のする過しやすい時期。

 そんな平和な午後のひととき―――

「あの―――鳥の骨めがァ!!」

 ラ・ヴァリエール公爵家、その主たる者の執務室に、怒号が鳴り響いた。
 いつもは落ち着いたバリトンを発するのどを怒りにふるわせ、常に纏っている貴族の見本というべき厳粛な雰囲気を乱し、公爵は手に持っていた書簡を机に叩きつける。
 ついで机を荒々しく叩き、椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がると、イライラした様子で部屋の中をうろつく。
 彼の妻であるカリーヌは、机の上にくしゃくしゃになって置かれている書簡をつまみ上げ、しわをのばすと、いつも通り氷のような冷たさを感じさせる怜悧な表情で、内容に目を通す。

 この書簡は、今日の昼前に、王宮より早馬で届けられたものだ。
 差出人はマザリーニ枢機卿。
 マザリーニとラ・ヴァリエール公爵は、トリステインでも並ぶ者はいないほどの有力者同士ではあるが、普段から仲が良いとはいえない。
 もちろん本気でいがみ合っているというわけではない。
 互いを認めつつも、どこかそりの合わない相手、といったところだろうか。

 ともあれ、いくら気に入らない相手からとはいえ、枢機卿直々からの早馬だ、無碍にすることは出来ない。
 これを持ってきた使いは、通常なら馬車で3日はかかる、トリスタニアからラ・ヴァリエール領までの道のりを、半日足らずで駆け抜けたせいか、かなり疲労していたので、客室にて丁重に休ませている。
 そのことから、かなり急を要する連絡だと察しがつき、執務室にてさっそく書簡を開いてみたのだが―――

「ジェローム! ジェロームッ!!」

 公爵は自身の側近である老執事を、大声で呼びつける。
 先ほどからテンション上がりっぱなしの夫に、カリーヌはそっとため息をついた。
 マザリーニからよこされた書簡の内容。
 そこには、公爵夫妻の末娘―――ルイズに関することが書かれていた。

 できの悪い子ほど可愛いといったものか、公爵はルイズをそれこそ猫かわいがりしている。
 そんな彼にとって、この書簡に書かれている内容は、いささか看過しきれないものだった。
 今にも王宮に殴り込んでいきそうな意気込みの夫に、カリーヌは冷静に声をかける。

「あなた、落ち着いてください」
「何を言っているんだ、カリーヌ! 私は落ち着いている! ああ、落ち着いているとも!!」
「どこかですか? いいからお座りになってください」

 顔を赤くしていきり立っている公爵に、カリーヌはなだめすかすように言った。

「座る!? 何故座る必要があるのだ!? 私は立っているのが好きだというのに!」
「ああ、もう……いいですから、早く」

 若干話が通じなくなっている夫に、今度は分かりやすくため息をつくカリーヌ。
 そこへジェロームが入ってくる。

「お呼びでございましょうか?」
「おお、ジェローム! 待っていたぞ! 竜籠だ! 竜籠を用意しろ!」

 突然の主人の要請に、ジェロームは目を丸くする。
 今日は外出する予定はなかったはずだが、と公爵のスケジュールを思い出しながら、ジェロームは確かめるように主人の言葉を繰り返した。

「竜籠、でございますか? どちらへ?」
「王宮だ!」
「はぁ……」

 ジェロームはわずかに眉尻を下げると、困惑した目でカリーヌを見た。
 彼女は額に手を当て、ゆるゆると首を振る。
 疲労が浮かんだ公爵夫人の顔に、ジェロームは何とも声をかけられず、とりあえず主人に向かって頷く。

「かしこまりました、直ちに用意いたします」
「ああ、できるだけ急ぐように!」

 公爵の言葉に従い、礼もそこそこに急いで出て行くジェロームを見送ると、カリーヌもドアへ足を向ける。

「カリーヌ、どこへ行くのだ?」
「カトレアの部屋へ。私もあなたと一緒に行きますので、その前に一声かけてきます」
「ああ、そうか。ふむ私も行こう」

 そう言って近づいてこようとする公爵を、カリーヌは片手をあげて制する。

「あなたは結構です」
「いや、しかしだな」
「もう少し冷静になってから来てください、カトレアの体に障ります」

 その言葉に、公爵はわずかに気を荒げて、口を開こうとする。

「私は冷静だと―――」
「わかったのですか? わからなかったのですか?」
「む、むう……わかった……」

 妻の一睨みで及び腰になる、トリステイン一の伝統と格式を持った公爵家の現当主。
 夫婦の力関係が一目で分かる光景だった。
 カリーヌは公爵から目をそらすと、またもため息をつき、部屋を出て行った。

 二番目の娘であるカトレアの部屋に足を向けながら、カリーヌは書簡の内容を思い出す。
 ついで、なぜマザリーニがあんなものを送って来たのか考えた。

 あんな内容を公爵に見せれば、彼が激昂するだろうことなど、マザリーニならば分かっていたはずだ。
 なにせ、ハルケギニアのことなら火山に棲むドラゴンの鱗の数まで知っている、といわれているほどの人物である。
 国内の貴族、それもラ・ヴァリエール公爵家の当主のことなど、その趣味・性格・嗜好から癖にいたるまで把握していてもおかしくはない。

 さすがに王宮に着くころにはいつも通りになっているだろうが、公爵には少なからず反感は植えつけられているだろう。
 二人は普段から良い仲とはいえないが、だからといって嫌がらせするような性格はしていない。
 何かマザリーニなりの狙いがあるのだろうが―――

「私が考えることではない、かしら……?」

 冷静になれば、夫にも分かるだろう。
 子煩悩ではあるが、そういう方面では自分より公爵のほうが優れている。
 カリーヌはそう考えると、いつも通りの凛とした表情で背を伸ばし、足早にカトレアの部屋へ向かって行った。

















「誰、と聞かれましても……」

 アレクは困ったように頬をかき、タバサから視線をずらし、彼女の使い魔である風竜を見上げた。
 竜は二人を見下ろすように、上空を旋回している。

「私はアンリエッタ様の従者です。この身に余りある名誉ではありますが、それ以上でもそれ以下でもありません」

 タバサに向き直ったアレクの顔から視線を外さず、彼女は無表情で続ける。

「目的は?」
「目的?」

 何故そんなことを聞くのか分からない、とでもいうように、アレクは肩をすくめる。
 ついで口元だけに笑みを浮かべ、逆に尋ね返す。

「それはこちらがお聞きしたいところですね。ガリアの、それも花壇騎士たるあなたが、何故わざわざトリステインの魔法学院へ?」

 魔法学院に他国の貴族が留学してくることは珍しくないが、それがタバサのような特殊な立場のものならば話は別だ。
 なにせ彼女はガリアの花壇騎士。
 東・西・南に分けられた三つの騎士団は、トリステインでいえば近衛たる魔法衛士隊と並ぶ要職である。

「その年齢で騎士団の一員を務めているあなたが、ここで学ぶことなどそうありはしないと思いますが」

 タバサの年齢は現在15、見た目でいえば12・3といったところだろうか。
 普通の貴族令嬢ならば、その年頃で学院に入学するのは、けしておかしいことではない。
 しかしタバサに関していえば、不自然なところだらけだ。

 いまさら彼女が学院で習うような魔法の知識を必要とするなど考えられない。
 他の理由――たとえば貴族としての教養を学ぶため――で学院に通う必要性が出たのだとしても、ガリアにはトリステイン魔法学院に勝るとも劣らない、立派な学院がある。
 現在彼女は花壇騎士としての任務を休んでいるわけではないので、その可能性も高いとはいえないだろう。
 そもそも元王族の彼女に必要なのかも疑問だ。

 アレクはわずかに首をかしげ、タバサを見つめる。
 しかし彼女の表情には、まったくといっていいいほど動きが見られない。

「『土くれ』のフーケの捕縛任務に立候補したというのも分かりませんね。このトリステイン魔法学院に入学して以来、特に目立った行動を取ることはなかったはずのあなたが、なぜそのときに限って? 何か心変わりする出来事でもあったのですか?」

 続けられるアレクの言葉にも、タバサは反応しない。
 いや、わずかに――それこそ気のせいだといわれれば否定できないほどわずかに、彼女の目つきが鋭くなっているのを、アレクは見て取った。
 『土くれ』の捕獲、そこに何か触れて欲しくないことがあるのだろうか。

 タバサと接触するよう指示してきたマザリーニは、アレクが彼女に対し決定的な何かを突きつけることなど期待はしてないだろう。
 目的としては、アレクの存在をタバサが知ることによって、「トリステインはお前を捕捉している」と警告を与え、彼女の動きを制限させる、といったところか。
 しかし、だからといって、このままタバサと世間話するだけではどうも不甲斐ない。
 アレクはもう少し踏み込んでみようかと思い、口を開こうとする。
 しかし、それより先に、タバサが口笛を吹いた。

 何を、とアレクが尋ねる前に、それがもたらした結果が見えた。
 先ほどまで上空を旋回していた彼女の使い魔が、その大きな体躯を見せびらかすように翼を広げたまま、彼女の後ろに降り立つ。
 まだ幼生といえど、その竜の体長は6メイルはある。
 その迫力に加え、前にいるタバサの手にある杖が、先ほどよりわずかに前に突き出されていることが、アレクを緊張させた。

 これ以上余計なことを言うな、という威嚇だろうか。
 タバサの瞳は鋭さを増している。
 アレクは腰に差してある己の杖をいつでも抜けるように手を添えた。
 さすがにここで一戦やらかそうとするとは思えないが、無防備なまま彼女の正面に立つ勇気はない。
 どうするか、とアレクは頭を悩ませ―――

「何をしているんだね?」

 緊張感が漂う空気の中、不意に二人に向かって声がかけられた。
 それによって、二人の間の硬い雰囲気が霧散する。
 アレクはほっと息をはくと、その声が聞こえてきた方向―――つまり自分の後方に体を向ける。
 そこにいたのは、眼鏡をかけた一人の男性。
 年は40前後といったところだろうか、人の良さそうな顔をしている。

「おや? ミス・タバサじゃないか。そちらは確か……ミスタ・サン・ジョルジュ、でしたね。ここで何を?」

 男はタバサを見た後少し考え込む仕草をし、アレクの名をいうと、首を傾げた。
 先ほどアンリエッタが食事を取っていたときに、この男も教師の一員として陪席していたので、アレクの顔と名前を覚えていたらしい。
 王女の従者と自分の生徒が二人きりで話をしている理由が分からないのだろう、不思議そうな面もちをしている。
 アレクは男の名を思い出しながら、口を開く。

「ミス・タバサに使い魔を見せていただいていたところです、ミスタ・コルベール。何せ幼生とはいえ、これほど見事な風竜はあまり見かけませんので」

 アレクがそう言うと、コルベールは笑みを浮かべて頷く。

「そうでしょうな、私もこの学院に勤め始めて以来、これほどの使い魔を召喚した生徒を受け持ったのは初めてです」

 コルベールの顔には誇らしげな色がうかんでいた。
 良い先生みたいだな、とアレクは内心思う。

「それにしても」

 アレクは一度タバサの背後に控えている竜を見やると、コルベールに視線を戻す。

「ミス・タバサもそうですが、『土くれ』のフーケを捕らえたことといい、将来有望な方々がそろっていらっしゃいますね。さすがはトリステインが誇る魔法学院、といったところでしょうか」

 とりあえず話をずらそうと、それほど当たり障りのない話題を振ってみた。
 しかし、誉め言葉をかけられたはずのコルベールは、ばつが悪そうに視線を地に落としている。
 何かまずいことをいっただろうか、とアレクは若干困惑した。

「『土くれ』のことは、本当に申し訳なく思っております……。無様にも宝物庫から秘法を盗まれたばかりか、その尻拭いを生徒に任せるとは……教師失格でしょう。王室にも顔を向けることができません」

 本当に後悔しているのだろう、コルベールの顔には暗い影がかかっているように見えた。
 何の気無しに言ったことが、予想外にも空気を重くしてしまったことにアレクは後悔し、さらに話題を変えるべく、コルベールに話しかけた。

「ところで、ミスタ・コルベールはなぜここに? 確かアンリエッタ様と共に宝物庫へ行ったはずでは?」

 数名アンリエッタとオスマンについて宝物庫に向かった教師がいたことを思い出す。
 確かそこにコルベールの姿もあったはずだと思い、アレクは尋ねた。
 コルベールはその問いに暗い表情を消すと、わずかに笑みを浮かべながらアレクに答える。

「殿下もご満足いかれたようなので、宝物庫はすでに引き上げました。私はこれから自分の研究室に向かおうとしていたところなのです」
「研究というと魔法の?」
「ええ、まぁそうです。私は『火』のメイジなのですが、『火』が司るのが“破壊”ばかりでは寂しいと常々考えていまして……。そのせいかよく変わり者だとかいわれますが」

 コルベールはそう言って恥ずかしそうに頭をかいた。
 珍しい人だな、とアレクは思う。

 魔法の研究はアカデミーをはじめとして様々なところで行われているが、内容としてはその系統が司る性質の効果をいかに高めるか、といったものが主軸だ。
 コルベールのように、これまでとは違った性質を見つけだそうとする研究をしているのは、少なくともアレクはトリステイン国内では聞いたことがない。
 どのような研究をしているのか、少なからず興味がわいたが、すでにアンリエッタが帰っているとなれば、自分も早く彼女の元へ向かわなければならない。
 いささか後ろ髪を引かれつつも、アレクはコルベールとタバサに別れの言葉をかける。

「そうですか、機会があればどのような研究をしているか見せていただきたいですね。ミス・タバサ、見事な使い魔を見せていただき、感謝いたします。では失礼いたします、ミスタ・コルベール」
「ああ、お引き留めしてしまったようで申し訳ありません」
「いえ」

 頭を下げるコルベールに礼を返し、無表情にこちらを見ているタバサにも頭を下げると、アレクは二人に背を向ける。
 コルベールの研究もそうだが、できればタバサともう少し話をしてみたかったが、仕方がない。
 マザリーニも怒りはしないだろう、と考え、アレクはアンリエッタの部屋に向かって、歩いていった。





 アンリエッタとアレクは、彼女にあてがわれた部屋で差し向かいに座っている。
 二人の間には小さなテーブル。
 そこにはカードが散らばっていた。

 魔法学院への訪問といっても、半ばアンリエッタの休暇のようなもので、行事が目白押しというわけではない。
 そのため、自然こうして暇な時間もできる。
 さすがに2日続けて部屋を抜け出すわけにもいかないので、今はこうしてカードでもしながら暇をつぶしているのだ。

「これで私の五回連続勝ちね」
「お強いですね、アンリエッタ様」

 嬉しそうに微笑むアンリエッタの手からカードを受け取り、テーブルの上のカードをかき集めるアレク。
 カードをそろえシャッフルしているアレクを見ると、アンリエッタはいたずらっ子のような表情で口を開く。

「じゃあペナルティね。一枚脱ぎなさい、アレク」
「いやいやいやいや」

 いきなりとんでもないことを言うアンリエッタに、アレクは態度を取り繕うことも忘れ、ツッコミを入れた。

「突然何を仰るんですか」
「あら、勝負事に罰ゲームはつきものでしょう?」

 だからといって、男に服を脱がせても面白くないだろうに、と呆れる。

「では、アンリエッタ様も負けたらお召し物を?」
「ええ、勝負は平等でなくてはならないわ。見たいの? アレク」

 艶めいた表情で、挑発気にドレスの裾をつまむアンリエッタ。

「いえ、遠慮しておきます」

 特に際だった反応を見せずに、アレクは首を振る。
 彼にしてみれば、アンリエッタの裸など、幼い頃から今に至るまで幾度となく見ているので、今更といったところだ。
 だいたいどこで「罰ゲーム」などという言葉を覚えてきたんだか、と内心小言じみたことを考えながら、そっとため息をつくアレクの耳に、いつもより低めのアンリエッタの声が入ってくる。

「そう……つまりアレクは、私の肌なんて見る価値もないと、そう言うのね?」
「は?」

 どうやら乙女のプライドを少々傷つけてしまったらしい。
 アンリエッタの顔には、不機嫌な色が浮かんでいる。

「いえ、なぜそんなことに?」
「じゃあ見たいのかしら」
「ですから、それは遠慮いたしますと……」
「だったら、やっぱり私の肌は見る価値もないってことなんでしょう!?」
「だから何故!?」

 なぜかテンションがおかしいアンリエッタに、アレクはまたもツッコミを入れた。
 そんな風に二人がじゃれ合っていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
 アレクはその音にピタリと動きを止め、一度アンリエッタと目を見合わせると、ドアに近づき声をかける。

「どなたでしょうか?」
「このような夜半に申し訳ありません、殿下。グリフォン隊隊長のワルドです」

 意外な名にアレクは目を丸くする。
 そして同じく目を丸くしているアンリエッタに向き直り、彼女が頷くのを確認すると、もう一度声をかけドアを開く。

「今お開けいたします」

 開けたドアの目の前には、名乗ったとおりワルドの姿があった。
 彼は深々と頭を下げると、ゆっくり部屋の中に入り、アンリエッタの目の前に跪く。
 アンリエッタは彼に頭を上げるように言うと、首を傾げ尋ねる。

「どうしたのですか? ワルド子爵」
「はっ、実は殿下にお聞き入れいただき願いがございまして、こうして参上いたしました」
「願い、ですか?」

 ワルドが頷くのを見ると、アンリエッタは尋ねる。

「その願いとは?」
「はっ、それは―――」



 ワルドが部屋を出ていくのを確認し、しばらく時間をおくと、アンリエッタはアレクに視線を向ける。

「アレク、どう思う?」
「そうですね、確かにそのようなことを聞いた覚えはあったような……」
「あら、そうなの?」

 アレクの答えに、アンリエッタは意外そうに声をあげた。

「ええ、しかし正式なものではないとのことですが」
「そう……」

 曖昧に相づちをつくと、アンリエッタは床に視線を落とし、何事か考え出す。
 少しの間そのまま時間が経つと、彼女は顔を上げアレクに尋ねる。

「監視はできそう?」
「さすがに全く気づかれずに、というのは無理でしょうが、それでもよろしいのでしたら、何とか」
「そう、じゃあつけておいてちょうだい」
「かしこまりました」

 胸に手を添え頭を下げると、アレクはさっそく指示を出そうと、ドアに足を向ける。

「あ、そうそう」

 部屋を出る直前に、アンリエッタが何事か思い出したような声をあげたので、アレクは足を止め振り返る。

「何か?」
「いえ、大したことじゃないんだけどね……」

 アンリエッタはドレスを摘んで続ける。

「本当に見なくても後悔しないわね?」

 いつから今見せることになったんだ、とアレクは顔を引きつらせ、何とかツッコミをしないように気をつけながら答える。

「ええ、遠慮いたします。アンリエッタ様も淑女なのですから、あまりそういうことは仰らないように」
「ふん、分かっているわ」

 つまらなさそうにそっぽを向くアンリエッタに、再度礼をすると、アレクは部屋を出た。
 アンリエッタは横目でドアを見ると、ため息をつき、拗ねたように呟く。

「死ねばいいのに……」

















 夜が明けるとアンリエッタの学院訪問も最終日となり、さらにしばらくすると、とうとう彼女がここを離れる時刻になった。
 学院の正門には、来たときと同じように全生徒教師が左右に並び、アンリエッタを乗せた馬車を見送る。
 何度も何度も繰り返される「アンリエッタ姫殿下万歳!」の声を背に、アンリエッタを乗せた馬車は、悠々と学院を離れていった。

 多少の興奮を残したまま、式典はお開きとなる。
 三々五々に散っていく他の生徒に倣うように、ルイズとサイトも自分の部屋に向かって足を進めた。
 二人が女性用の寮塔に入ろうとしたところ、後ろから若い男性らしい声がかけられる。

「ルイズ!」

 その声に、二人はそろって後ろを振り向いた。
 二人の視線の先にいたのは、跳ね帽子をかぶって魔法学院のとはデザインの違う黒いマントを羽織った、見事な髭を生やした20代らしき男性。
 サイトは男の服装がアンリエッタに付従っていた衛士と同じことを思い出し、ルイズに知り合いなのか聞こうと顔を向け―――固まった。
 彼の目の前には、顔を赤らめたルイズがいた。
 今まで見たことがないほど年頃の少女らしいルイズの様子に、サイトの思考が停止する。

「大きくなったね、ルイズ! 僕のことを覚えているかい?」

 そうこうしているうちに、男が目の前まで寄ってきていた。
 親しげにルイズに話しかける見知らぬ男にサイトは不思議な反感を覚え、文句を言ってやろうとする。
 しかし彼が口を開く前に、呆然とした顔のままルイズが声を発した。

「ワ、ワルドさま……?」

 ルイズの言葉にワルドと呼ばれた男はパッと顔を輝かせ、感極まったように彼女を抱き上げる。

「きゃっ!?」
「覚えてくれていたのかい! そうだ! ジャン・ジャック・ド・ワルドだ! 久しぶりだね、僕のルイズ!」

 突然抱き上げられ、思わず声を上げるルイズに頓着せず、ワルドは嬉しそうにしていた。
 ルイズは恥ずかしさからさらに顔を赤らめ、ワタワタと両手を振る。

「ワルドさま! 下ろしてください!」

 その言葉にワルドは笑みを浮かべたまま従う。

「悪かったね、ルイズ。君は相変わらず羽のように軽いけれど、もう小さな子供ではないんだからね」

 口では詫びの言葉を言っているが、彼の表情に悪びれた様子はない。
 ワルドは続けてルイズに話しかける。

「それにしてもよそよそしいね、ルイズ。僕のことは『ワルド』と呼んでくれないかい? 君には『さま』なんてつけてほしくない」
「でも……」

 逡巡するルイズに、ワルドは重ねて声をかける。

「僕のお願いを聞いてくれないかい? そんな他人行儀な呼び名では、悲しくなってしまうよ」
「……そう? じゃあそう呼ばせてもらうわ、ワルド」
「ははっ! ありがとう、それでこそルイズだ!」

 昔のように呼ばれたことが心の底から嬉しいかのように、快活に笑うワルド。
 どうにも自分の存在が忘れられている気がしたサイトは、アピールも含めてルイズに耳打ちする。

「なぁルイズ、こいつ誰?」

 ルイズはサイトをキッと睨み付け、耳を引っ張る。

「痛いッ! 痛いって!」
「アンタが失礼なこと言うからでしょ!」

 その騒ぎで初めてサイトの存在に気づいた様子で、ワルドは不思議そうな表情でルイズに尋ねる。

「ルイズ、彼は? よければ僕に紹介してくれないかい?」

 ワルドの言葉にルイズは思わず口ごもったが、少しすると恥ずかしそうに口を開いた。

「あの……こいつは私の使い魔で、サイトっていう、その……平民なの」
「使い魔? 彼が?」

 ワルドは驚いた顔になると、一つ頷きサイトに近づく。

「まさか人とは思わなかったな」
「そりゃどうも」
「ふむ、初対面ならば自己紹介をしなくてはなるまい。僕はジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊の隊長を務めている。そして―――」

 ワルドはそこで口を止め、わざとらしい笑みを浮かべると、サイトを挑発するように言った。

「―――ルイズの婚約者だ」




















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