「やはり今日も駄目だったか……」
夜の帳が下り、ランプのわずかな明かりのみが輝く中、マザリーニは自室にて一人ごちた。
椅子に深く腰を沈め、疲労の抜けない体をしばし休ませる。
実年齢より十は年老いて見える彼の容貌は、ここ数日でさらに年を重ねたように感じた。
マザリーニ自身も、もはや自分が四十代だとは信じられなくなってきている。
結局この日もマリアンヌを説得するに至らなかった。
いくら懇切丁寧にアルビオンの驚異とトリステインの現状の危うさ、そしてゲルマニアとの同盟の重要性を論理立てて説明しても、マリアンヌの決心はビクともしなかった。
―――ゲルマニアに迎合するつもり?
それがマリアンヌの言だった。
つまり、現状で正統な王位継承権をもっている唯一の存在であるアンリエッタをゲルマニアに嫁がせるというのは、トリステインを彼の国の属国化することに他ならないということらしい。
もちろんマザリーニとてゲルマニア皇帝の野心の深さは理解している。
あの野卑な男がアンリエッタを手に入れるだけで満足するはずがない。
おそらく長期化するであろう革命後のアルビオンとの抗争で、矢面に立たされるトリステインの弱みにつけ込もうとさらに何かしらの要求をしてくることは容易に想像できる。
しかしその程度の事態に対する対処など、すでにマザリーニはたてていた。
なのでそのことを付け加えた上で、再度マリアンヌに嘆願したが、彼女は受け入れようとしなかったのだ。
マザリーニには、彼女の心の内が理解できなかった。
「いや―――そうではない、か」
マザリーニは頭を振り否定する。
何故今まで政治に関わろうとしなかったマリアンヌが、今回に限って突如介入し、アンリエッタとゲルマニア皇帝との婚姻を拒むのかを理解することは出来るのだ。
その理由は、けして彼女自身が口にしたことを懸念してなどではない。
彼女があれほどまでに頑なに同盟を拒む理由、それはアンリエッタに関わることだからだ。
マリアンヌの優先順位の頂点は、彼女の夫が崩御して以来ずっとアンリエッタのままである。
愛する夫との間に生まれた一粒種、愛おしい一人娘を、常日頃から蔑んでいるゲルマニアへ嫁がせるなど我慢できないことだったのだろうし、何よりアンリエッタが望んでいないことである。
マザリーニには子供はいないが、自分の最も大切にしているものを手元から離したくない、愛するものに嫌な思いはさせたくないという気持ちは彼にも分かる。
しかし、だからといって納得できるものではない。
これは国の問題なのだ。
ゲルマニアとの同盟が成らなければ、ほぼ間違いなくこの国はアルビオンに攻め滅ぼされる。
貴族はそしてなにより王族は、国を、ひいては民を守る義務がある。
その義務を、個人の感情で潰すなどあってはならないはずだ。
実はマザリーニは、マリアンヌ以外の貴族の説得も行っている。
この件がただのマリアンヌのわがままだけであったら、まだ対処は出来た。
想定外だったのは、高等法院長のリッシュモンをはじめとした、マリアンヌについた貴族たちである。
マリアンヌが考えを改めればどうにでも処理できるので、彼女を優先して説得を行っているが、他の貴族たちを無視することは出来ない。
「日和見よって……っ!」
歯ぎしりをして、押し殺した声で呟くマザリーニ。
彼にとっては忌々しいことだが、アルビオンの内乱を非常に重く考えているのは、実のところ極々一部の貴族だけである。
始祖ブリミルの子供たちが国を築いて以来約6000年の間、その直系たる王族が途絶えた記録などない。
もちろん大なり小なり革命騒ぎや戦争も起こっているので、勢力の拡大縮小はあったが、それでも存続の危機などといえるものはなかった。
6000年もの安寧に胡座をかいた貴族たちは、実感のない危機よりも、マリアンヌに睨まれることを恐れ、宮廷内の自身の地位を危うくする危険性を避けることを優先した。
「見通しが甘かったか……」
マリアンヌがそういう性格をしていたことは知っていたし、貴族連中がどこか事態を甘く見ていることにも気づいていた。
しかしまさか彼女があれほど直接的な手に出るとは予想してなかったうえ、まさか高等法院長たるリッシュモンがいの一番にマリアンヌに追従するとは思わなかったのだ。
ある意味では自分以上の権力を持っている二人の意向に、進んで反対しようという貴族などそうはいないだろう。
今後もマリアンヌの説得は続けるつもりだが、それに固執していたずらに時間を浪費するのは避けなければならない。
マザリーニはため息をはくと、羊皮紙を広げペン立てから羽ペンを抜き出し、さらさらと何か書き込んでいく。
30分ほどで何通かの手紙を書き終わり、何度か内容を見直すと、部屋に付けられた使用人呼び出し用の紐を引っ張る。
ほどなくしてドアが叩かれた。
マザリーニが入室を許可すると、一人の男の衛士が入ってくる。
「これをラ・ヴァリエール公爵へ、こちらはマルシヤック公爵へ、これは……」
花押を押し羊皮紙を丸め厳重に蝋で封をした後、マザリーニは一つ一つ貴族の名をあげ、それらを衛士に渡していく。
「以上だ、急げ」
「はっ」
うやうやしく受け取った衛士は、マザリーニに頭を下げ静かにドアを閉めると、駆け足で離れていく。
部屋の外から聞こえる、遠ざかっていく衛士の足音が消えると、マザリーニは背もたれに体重をかけ目を瞑り、ため息をついた。
「お疲れのようですね、猊下。よろしければ魔法で疲労を緩和いたしましょうか?」
マザリーニ以外誰もいないはずの部屋に、若い女性の声が響いた。
しかし彼はその声を聞いても特に慌てた様子も見せず、うっすらと目を開けると部屋の緞子に視線を向ける。
「ふん、来ていたのか。出てこい」
「御前失礼いたします」
その言葉と共に、緞子に影から人影が出てきた。
窓から入ってくる月影に照らされ見えた人影は、宮廷にいる一般的なメイドの衣装を纏った、金髪を結い上げた女性の姿。
その女性の正体は、かつてアレクがガリアよりスカウトしたリュシーであった。
そのリュシーの背後から、さらに二つの人影が歩み出てくる。
一人は男性。
月の明かりに照らされキラキラと輝く肩胛骨程まで伸ばした銀髪を持つ男はトマである。
もう一人はおそらく女性だろう。
黒いローブを纏い、フードを目深にかぶり顔を伏せているので、容貌は見えない。
リュシーは音もなくマザリーニに歩み寄り、トマともう一人は緞子の近くに並んで立った。
マザリーニはローブを纏った女性に一度視線を向けると、側に立つリュシーに声をかける。
「もう済んだのか?」
「はい。生憎それほど多くの情報を引き出すことは出来ませんでしたが、彼女の正体や事情はある程度吐かせました」
一度女性を振り返り、リュシーはマザリーニに報告書を渡す。
それを受け取り内容をざっと見たマザリーニは、片眉を上げ興味深そうに呟く。
「ほう、なるほど……」
ついで、リュシーはもう一枚報告書を取り出す。
「こちらはアルビオンのものです。ラ・ロシェールにいるものから届きました」
やや声を落とし言うリュシーの手からそれを受け取る。
マザリーニは視界の端でわずかに女性の体が動いたのを見て取ったが、特に気にした様子もなく、報告書に目を落とす。
先ほどと同じようにざっと目を通すが、今度はいささか機嫌が悪そうにマザリーニは眉を寄せた。
マザリーニは今日何度目か分からないため息をはくと、目頭を軽くもみ頭を悩ませる。
少しの間部屋に沈黙が下りた。
何と無しにマザリーニは三人を眺めると、不意に何か思いついたように女性に目を留め、視線はそのままで一つ頷くとリュシーに尋ねる。
「首輪は?」
初めは何のことか分からなかったリュシーだが、マザリーニの視線を追うとその意味を理解し頷く。
「はい、すでに」
リュシーの返事にマザリーニは若干満足そうに頷くと、羊皮紙を取り出す。
ペンを構え少し考えるように動きを止めるが、間もなく手を動かし書き込んでいく。
何度か書き直しを行うと、先ほど衛士に渡したものよりさらに厳重に封をし、リュシーに渡す。
「これを、ラ・ロシェールに届けさせろ」
「かしこまりました」
「ああ、何かさらに情報を引き出せそうなら、続けて行え」
「はい」
女性を横目に指示をするマザリーニに頷き、リュシーは羊皮紙を受け取る。
さらに簡単に命令を与えると、マザリーニは3人に退出するよう言った。
リュシーを先頭に、女性、トマと続く。
部屋を出る際に、女性はチラリとマザリーニに目を向ける。
しかしマザリーニが自分を見ていないことに気づくと、忌々しそうに舌打ちし出ていった。
最後のトマが一礼すると、ドアを閉める音がした。
マザリーニは窓から見える二つの月を見上げ、もはや癖になってしまっているため息をつくと、気怠げに立ち上がった。
すでに夜深く、宮殿の人間は一部を除き寝入ってしまっている。
明日も早いな、と考えつつ伸びをすると、重たげに足を引きずりながら寝室に向かった。
アンリエッタは目の前に跪くルイズを抱きしめ、トリステイン人らしく、やたらと大げさな身振りで、感極まったように声をあげた。
「ああ、ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! お久しぶりね、私のおともだち!」
「ひ、姫殿下。いけません! このような下賤な場所に……」
慌ててアンリエッタを押しとどめようとするルイズ。
そんなルイズの様子に、アンリエッタはわずかに悲しそうに顔を顰める。
「そんな、姫殿下なんて……。ここは王宮ではないのよ? もっと気楽にしてちょうだい、あなたと私はおともだちじゃないの!」
「姫さま……、ええ、お久しぶりです」
まだいくらか緊張しているようだが、先ほどまでと比べるといくらか柔らかくなったルイズに、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、それにしても本当に久しぶりねルイズ。1年? 2年? もしかしたらもっとかもしれないわ! ここ10年近く会ってないように感じるわね!」
「おおよそ2年ぶりほどかと。姫さまはお元気そうで安心しました」
「あなたこそ元気? 病気にかかったりはしてないかしら? ご家族にもそう会えないでしょう? 寂しくなかったかしら?」
「え、ええ、心配ございません」
「そう、良かったわ。ああ、嬉しいわルイズ、あなたったらいつまでも昔のまま可愛らしい私のおともだちのままなんですもの!」
「あ、ありがとうございます」
「そうだわ! 昔といえば、一年前はごめんなさいね。あなたの入学祝いに行けなくて」
「い、いえ、お心だけでも大変感激しておりますので……」
「そう? 私は行きたかったんだけどね、アレクったら頭が固くて。『アンリエッタ様はお仕事が溜まってるからダメです』なんていうのよ? 意地悪よね?」
よほどルイズと会えたのが嬉しかったのか、アンリエッタはマシンガンのように言葉を連ねる。
若干引き気味のルイズではあったが、こちらも久々に会えたのが嬉しいのか、顔には笑みが浮かんでいた。
アレクは「いやいや、私の所為ではないでしょう……」とツッコミたいのを我慢して、姦しく騒いでいる二人――主に騒いでいるのはアンリエッタだが――の少女を横目に、サイトに近づく。
サイトは突然現れてマシンガントークをかますお姫様に混乱したのか、呆然としたまま二人に視線を向け突っ立っている。
もしかしたら一人の少年の中で、お姫様という幻想が崩壊したのかもしれない。
アレクは何となく申し訳なくなった。
とりあえずサイトの横に立ち、声をかけてみる。
「悪いね、こんな夜中に」
「へっ? あ、いえ……」
アレクの声でようやく我に返ったのか、サイトは間抜けた声を出し、視線をよこした。
誰だこの人、というような視線を向けてくるサイトに、アレクは苦笑いしながら自己紹介する。
「アレクサンドル・シュヴァリエ・ド・サン・ジョルジュだ。アンリエッタ様の従者をしてる、よろしく」
「ああ……どうも、ヒラガサイトです。ジョルジュさん?」
「アレクサンドルでかまわないよ」
「はぁ、そっすか……」
ポリポリと頭をかきながら言うサイト。
やはりどうしても気になるのか、彼の視線はルイズとアンリエッタに向いていた。
サイトの視線に気づいたアレクは、簡単に二人の関係を説明する。
「あの二人は幼なじみでね、久々にあったから嬉しくてしょうがないんだろう」
「幼なじみって……ルイズとお姫さまが?」
本当に驚いているようなサイトの表情に、アレクの方が少し不思議に思う。
三女とはいえ、公爵家の娘であるルイズがアンリエッタと友好をもつのはそれほどおかしいことではあるまい。
何を驚いてるんだ、と声をかけようと思ったところで、アレクはサイトが異邦人である可能性が高いことに思い至り納得した。
それならばこのような貴族社会の繋がりなんて理解できないだろう。
もしかしたらルイズが公爵家の娘だというこを知らない可能性もあるかもしれない。
気になったアレクは尋ねてみることにした。
「ルイズ様は公爵家のご令嬢だからね、アンリエッタ様のお遊び相手をお務めになるのは別に変なことじゃないよ。それともルイズ様が公爵家のご令嬢だということを知らなかった?」
「そういやぁ、なんちゃら家の三女だとか何とか偉そうに言ってた覚えが……っていうかルイズ『さま』ぁ!?」
素っ頓狂な声をあげるサイトに、アレクは思わず苦笑いした。
「おかしいことじゃないだろう? 偉そうじゃなくて偉いんだから」
そうは言っても、サイトにはいまいち実感できないようだった。
何度かアレクとルイズの顔を交互に見て、首を傾げている。
そんなサイトの様子を窺いつつ、とりあえずこちらを警戒しない程度に話はしたと判断したアレクは、少しずつ本題に入っていくことにした。
「というか君は昨日少し話をしたのを覚えてるか?」
何やら真剣に悩んでいたサイトは、その言葉に不思議そうにアレクを見上げる。
もしかして忘れられてるかもしれないと、ちょっと不安になるアレク。
「……昨日? 昨日ねぇ……ああ! 思い出した! あの変な人か!?」
「いや、変な人って……」
ポンと手を打ち、ついで指を指しながらあんまりなことを言うサイトに、アレクは顔を引きつらせる。
そして昨日のことを思い出し、確かに少し変な人だったかもしれないと一人頷く。
「だって俺の名前を聞いたと思ったら、じっと人の顔見てくんだもん。あれ何だったんすか?」
シエスタも少し不気味がってたし、と言うサイトに、いささか落ち込みつつアレクは口を開く。
「サイト君があまり見たことない服を着ていたんでね、少し珍しくて興味がわいたんだよ」
「興味って……」
「いやいや、そんなんじゃないから」
興味の言葉に何か変な想像をしたのか、サイトは一歩下がった。
アレクは冷や汗を流しながら否定し、言葉を続ける。
「その服の素材とかも少なくともトリステインじゃ見たことないしね」
「え゛」
パーカーを指しながらのアレクの言葉に、サイトは少し体を硬直させ気まずげな顔をした。
やっぱり秘密にしてるのか、と思いながらさらに言葉を続けるアレク。
「君トリステインの出身じゃないだろ? どこの国の生まれ?」
「ああ、いや……え〜っと……」
「うん?」
冷や汗を浮かべ視線を逸らすサイトに、アレクは催促するように首を傾げる。
サイトは助けを求めるようにキョロキョロと辺りを見回すと、何か思いだしたような表情になると、アレクに向き直る。
「あれです! あの東の! えっと、ロバ……ロバ……」
「ロバ?」
「ロバ……アルカリ、じゃなくて……」
おそらく『ロバ・アル・カリイエ』のことを言いたいのだろうと思うが、アレクはわざと言わない。
なるほど、そうやって誤魔化しているのか、と納得しつつ、ボロを出さないかと期待しているのだ。
しばらく「ロバロバ」唸っていたサイトは、急にハッとしたかと思うと、手を打ちやけに元気に言い放った。
「ロバ・アル・カリイエだ!」
やっと出てきたらしい。
どうだこの野郎、と何故か誇らしげなサイトに、アレクは声をかける。
「東方の出身なのか。まぁそれなら見たこともないのは理解できるけど……自分の出身地のことなのに、時間かかりすぎじゃないか?」
またも言葉に詰まるサイト。
しかし今度はすぐに言い訳を思いついたのか、にやりと笑う。
「いやいや、あっちじゃ地元のことをそんな風に言わないんでね。こっちに来てから初めて聞いたんで、なかなか思い出せなかったんですよ」
その言葉に、アレクは内心舌打ちする。
サイトの言い分にはそれなりに説得力があった。
確かに彼の言うとおり、東方に住む人々は自分たちの土地を『ロバ・アル・カリイエ』なんて呼ばないだろう。
実際何と呼んでいるかは知らないが、あくまでそれはハルケギニアの住民が名付けたからだ。
なかなかやるな少年、などと思いつつ、アレクは少し話題を逸らしてみることにした。
「まぁそれはいいや。で、それが使い魔のルーンかい?」
そう言ってサイトの左手の甲を指す。
この部屋に入ったときに、サイトが本当にルイズの使い魔ならどこかにルーンがあるはずだと思い観察し、見つけておいたものだ。
「使い魔」の言葉にサイトは少し顔を顰める。
そう言われるのは好きではないらしい。
「まぁそうっすね」
ふてくされたように認めるサイト。
アレクにしてもその気持ちは何となく分かる。
ある意味自分は恵まれたかたちでこちらに来たうえに、すでに20年以上暮らしているので特に何とも思わないが、サイトは普通に暮らしていたところを急に連れてこられた状態なのだろう。
使い魔召喚は確か任意であったはずだが、さすがにこちらの文化全てを理解したうえで、ゲートをくぐったとは思えない。
アレク自身がサイトの立場であったなら、同じような態度をとらないとはいえない。
そこらへんにはあまり触れないようにして、アレクは話を続ける。
「ちょっと見せてもらっていい?」
「いいっすけど……」
サイトは訝しげに左手を差し出す。
このとき彼の頭の中には、使い魔召喚の儀の監督役であった頭の寂しい教師の顔が浮かんでいた。
コルベールという名の教師も最初このルーンに興味を示していたので、目の前の人物も同種かと思ったのだ。
アレクはサイトの左手を右手で支え、ルーンを見てみる。
それは今まで見たこともないかたちであった。
話をずらすちょっとした口実だったが、何となく興味がわいたのでジロジロと見ていると、横から視線を感じた。
アレクが顔を上げ視線の元を見ると、両手をあわせて身を寄せているルイズとアンリエッタが、無言で目を見開きじっとこちら見つめているのが見えた。
何故そんな目を向けられるか分からないアレクは、そのまま首を傾げる。
しばらく間が空くと、アンリエッタが信じられないといった面持ちで、心なしか震えた声を発する。
「アレク……あなたそんな趣味が……」
「は?」
そんな趣味とはどういうことだろうか。
まだ分からず尚も首を傾げるアレクに、今度はルイズが声をかけてきた。
「アレク、あああああ、あんたサイトの手を握って、ななななな、何を……」
何故か若干顔を赤くして言うルイズ。
アレクはサイトと顔を見合わせる。
そんな趣味、手を握って、ということは……。
「―――――っ!」
サイトが声にならない声をあげて手を振り払う。
そこでやっとアレクも気づいた。
慌てて弁解しよう口を開く。
「いや、ちょっ―――!」
「ああ! なんてこと! まさかアレクがそんな趣味だったなんてッ!? そういえば良く銀髪の使用人と一緒にいるのを見たという話を聞くわ……ただ仲が良いだけだと思っていたら……! 何てことッ!? ああ、私はどうしたらいいのかしら! アレクの気持ちを尊重すべきなの? それとも真人間に戻す努力をするべきなのかしら!?」
「いや、だから誤解ですよ、アンリエッタ様!」
「あのね、アレク。うん、その、悪いとは言わないわよ? 世の中にはいろいろな人がいるっていうのも私知ってるもの。ししししし、知ってるもの。でも駄目。一応サイトは私の使い魔なのよね。うん。あんなんでも使い魔なの。いくらアレクだからって……べべべべべ、別に否定はしないわよ? でもね、やっぱりどうかとも思うのよ」
「そのやけに物わかりの良さそうな対応は何なんですか、ルイズ様!?」
「マジ無理です、ごめんなさい。俺普通の男の子ですから。女の子が好きなんです。胸とか大好きなんです。いや、本当勘弁してください。そういうのは好き者同士が良いのではないかと考える所存であります。俺はノーマルです。そっちの道には一生行かないと誓っちゃってるんです」
「サイト君、俺もそうだから、引くな逃げるな壁を背にするな!」
てんやわんやであった。
何とか場が静まると、もう時間も遅いということで、アレクとアンリエッタはルイズの部屋を出ていった。
アンリエッタはルイズとの別れを惜しみつつ、アレクはやけに暗い空気を背負っていた。
幼い頃から彼を知っているルイズにしても、ほとんど見たことがないほど沈んでいた。
新発見である。
「お前お姫さまと知り合いだったんだな」
二人が出ていった後、サイトがルイズに話しかけた。
「そうよ、幼少のみぎり、恐れ多くもお遊び相手を務めさせていただいたの。アレクともその頃からの付き合い」
「あの人とも? それにしちゃあ何かよそよそしくなかったか?」
「それはそうよ、立場が違うもの。大体アレクは私と会った頃は平民だったしね」
「平民? あの人貴族じゃないのか?」
サイトはアレクが何やら長ったらしい名前を名乗っていたことを思い出す。
「今は貴族よ、確か姫さまを救ったとか話を聞いた覚えがあるけど……」
実はルイズはアレクがシュヴァリエを賜ったときのことはあまり知らない。
知る必要がなかったし、アレクは貴族のときでも平民のときでもあまり変わらない人物であったから、特に気にしたこともなかったのである。
サイトも特に気にならないのか、気の抜けた声を出す。
「ふ〜ん、何か変な人だったな」
「変ってあんたね……アレクはシュヴァリエ賜ってるのよ? あの年で、しかも平民がシュヴァリエを叙勲するなんて、まずありえないことなんだから。すごいことなのよ?」
「さっきあんなことになってた人が?」
「む、むぅ……と、とにかくすごいの!」
先ほどのどんちゃん騒ぎを思い出し疑わしげに尋ねるサイトに、ルイズも思わず口ごもり、強引に話を終わらせることにた。
サイトはまたも気のない様子で適当に相づちを打つ。
すると、サイトは何となく違和感を感じた。
その正体を探ろうと頭を悩ませていると、不意にルイズが声をかけてくる。
「ねぇサイト?」
「ん?」
「そういえばさっき聞き捨てならないことを言ってたわね」
「はぁ?」
突然何を言い出すのか、とルイズを見るサイト。
ルイズの顔は前髪に隠れて見えない。
「何だよ、聞き捨てならないことって」
「さっきの騒ぎのときよ。あんたアレクに何て言った?」
「俺はノーマルだって……」
「もっと前」
「女の子が好きだって……」
「そ、その後よ」
「胸が好き……あ゛」
サイトは気づいた、何気なく踏んでいた地雷を。
そう禁句だったのだ、ルイズの前で―――胸の話題は。
「ふ〜ん、胸ね。むむむむむ、胸ね。胸好きなんだ。そそそそそ、そうよね。ややややや、柔らかいもんね」
「あの〜……ご主人様? その鞭はどこから出したのか気になるんですが……」
いつの間にかルイズの手に握られていた鞭に、サイトは冷や汗を流す。
「気にしなくて良いわよ。ちょっと飼い犬に躾をしようかなって思ってるだけだから」
「その犬はどこにいるのかな〜なんて……」
「あらやだ、そこまで頭が悪いのかしら。これはやっぱり躾が必要ね」
「あ〜……その犬っていうのはもしかして……」
恐る恐る尋ねるサイトに、ルイズは満面の笑みを浮かべて言い放つ。
「あんたに決まってんでしょうが〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
「やっぱりか〜〜〜〜〜〜ッ!?」
ルイズの部屋からアンリエッタにあてがわれた部屋に向かう道中。
先ほどまで笑みを浮かべていた彼女が、呟くように口を開いた。
「どうだった、アレク? あの『使い魔さん』は」
アンリエッタの問いかけに、アレクは感じたことそのままを言う。
「そう、ですね。印象としては普通の少年でしょうか。この国の気質とは違いますが、特に腕っ節が強そうでもありませんでしたし、裏表のある人間にも見えませんでした」
アレクの言葉に、アンリエッタは無表情のまま頷く。
ついで、ルイズの部屋を訪れた目的の一つに対し結論を求めた。
「じゃあルイズに害を為す可能性は低いかしら?」
アンリエッタがルイズの部屋を訪れた理由。
その最大のものは、旧友たるルイズに会いたいというものだったが、サイトを探ることもそうであった。
人間の使い魔というイレギュラー。
それがルイズにどんな影響を及ぼす存在なのかを調べてみるつもりであった。
アンリエッタの目標は、自身の大切な人を守ることだ。
ルイズは間違いなくその大切な人の一人である。
もしもサイトがルイズに害をあたえる人格の持ち主であったなら、アンリエッタは何らかの手段に出ていた可能性があった。
「はい、その可能性は低いかと。少なくともルイズ様を傷つけるような人物には思えませんでした」
「そう……」
そのまま特に会話もなく、足を進める。
アレクはサイトとの会話を思い出していた。
結局、彼の目的であった元の世界に関する情報は、それほど手に入れることは出来なかった。
アンリエッタに言ったことは嘘ではないが、やはりもう一度くらいはサイトと――できれば二人で――話をしてみたい。
「ねぇ、アレク」
すると、考え事をしていたアレクの耳に、アンリエッタの声が入ってきた。
アレクは地面に向けていた視線をアンリエッタに向け、首を傾げる。
なにやら言い辛そうに口ごもっているアンリエッタは、少しすると何か決心したような顔になった。
そして、次に続けられた言葉に、彼は一気に脱力をすることになる。
「本当にそういう趣味なんじゃないわよね?」
「だから違いますって……」
目的以外のことで疲れたアレクであった。
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