トリステイン魔法学院へと続く街道を、数台の馬車がゆっくりと進んでいた。
 進行方向の街道には等間隔で衛士達が並び、行列の進む道を警戒している。
 その行列の中心を、一際目立つ4頭立ての馬車が歩んでいた。

 馬車のところどころには王家の紋章が飾られている。
 その内の一つである、聖獣ユニコーンと水晶の杖が組み合わさった紋章は、この馬車が王女の馬車であるということを示していた。
 金の冠を御者台の横につけ、額に一本角が生えた馬―――無垢なる乙女しかその背に乗せないといわれている、紋章と同じユニコーンが馬車を引いている。

 その馬車の四方を、トリステイン魔法衛士隊の一つ、グリフォン隊がかためていた。
 精悍な顔つきの騎士たちは、見事な幻獣に跨り鋭い目つきで左見右見していた。
 トリステイン貴族たちの憧れの的である魔法衛士隊の面々は、その隊長であるワルドの指揮のもと、馬車を囲うように横を歩くものと上空を飛ぶものに別れ、辺りを警戒している。

 街道には、この機会にアンリエッタの姿を一目見ようと、多くの民衆が並び、歓呼の声をあげていた。
 アンリエッタの馬車が自分たちの目の前を通る度に、「トリステイン万歳! アンリエッタ姫殿下万歳!」という歓声が沸き起こる。
 すると、ユニコーンが引く馬車のカーテンがそっと開き、中からわずかにアンリエッタが顔を覗かせると、彼女は民衆に向かって手を振った。
 さらに一段と高くなる歓声に、アンリエッタは微笑を投げかけた。
 民衆のよる喚起の声に包まれつつ、アンリエッタの馬車は魔法学院に向かって進んでいく。





 しばらくすると、前方に6本の大きな塔が見えてきた。
 真ん中の巨大な塔を、五芒星のかたちに配置された五つの塔が囲んでいる。
 宗教国家ロマリアを代表する建築物、ロマリア大聖堂をモチーフに建てられたという魔法学院。
 規模のそれでは大聖堂よりも劣るが、見慣れない者であればつい感嘆のため息をはいてしまうほどの建築物だ。

 魔法学院の正門を、アンリエッタ一行がくぐり抜ける。
 全学院生が左右に整列し、一行が姿を現すと同時に杖を掲げた。
 正門の先には本塔の玄関がある。
 そこには学院長のオールド・オスマンをはじめとした教師陣が並び、アンリエッタを出迎えていた。

 アンリエッタを乗せた馬車が止まると、玄関から馬車の扉まで、緋毛氈の絨毯が敷き詰められた。
 呼び出しの衛士が緊張した面持ちで、声を張り上げる。

「トリスティン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおな―――り―――ッ!」

 馬車の扉が開くと、まずは2名の女官が降りてきた。
 その後、グリフォン隊隊長のワルドが歩み寄り、恭しく手を差し出す。
 すると、馬車の中から白い手袋をはめた手が伸び、その手を取る。
 そして中から出てきた人物を見て、生徒たちの歓声が沸き起こった。
 栗色の艶やかな髪を肩ほどで切りそろえ、ブルーの瞳を輝かせて辺りを見回しているのは今回の主役、トリステイン王国王女アンリエッタである。

「アンリエッタ姫殿下万歳!」

 そこここからかけられる声に、アンリエッタは笑みを浮かべ、優雅に手を振りながら足を進める。
 背後にワルドをはじめとした魔法衛士を従えて歩く様は、まさに王女と呼ぶにふさわしい気品に溢れていた。
 オスマンらの目の前まで歩み寄ったアンリエッタは、跪いている彼らに立ち上がるよう言う。
 その言葉を聞き立ち上がったオスマンは、好々爺とした顔でアンリエッタを歓迎する。

「ようこそいらっしゃいました姫殿下。魔法学院一同、歓迎させていただきますぞ」
「突然申し訳ありませんでした、オールド・オスマン。ご迷惑をおかけしますわ」
「いや、なに。姫のご来訪を喜びこそすれ迷惑などとは。この老いぼれ、感激に打ち震えておりますでな」

 片手を上げて微笑むオスマンに、アンリエッタは笑顔を向ける。

「ありがとうございます。では、しばらくご厄介になります」


















 魔法学院に向かって出立する朝。
 多くの使用人たちが、あちらこちらで準備のために慌ただしく動き回っていた。

 アンリエッタが外出する、と言うだけなら簡単だが、一国の王女が行啓するとなれば、簡単にすむものでもない。
 すでにある程度の準備は整っているとしても、当日となるとやはりいささか忙しい。

 それほど長い間学院に滞在するわけでもないが、それでもお姫様の荷物は多くなる。
 十を越す衣装櫃にアンリエッタの着物を積め、大小様々な装飾箱にアクセサリーの類を収納して、何台もの馬車を用意し次々に荷物を詰め込んでいく。

 学院までの道中には、危険がないように衛士が大勢先行し、さらにアンリエッタが途中で身を休めるための場所も確保している。
 これに加え、アンリエッタの護衛として近衛隊の一つ、グリフォン隊が全員出張り、世話をするための使用人が多数付くことも考えると、総勢百名を超えるだろう。
 人によっては大仰にも感じられるだろうが、王侯貴族――それもアンリエッタはトリステイン王家のお姫様である――の外出など、得てしてこんなものだ。

 アンリエッタが出かけるならば、もちろんアレクも付いていくことになる。
 アレク自身も貴族ではあるが、世話をされるというよりむしろ世話をする側の彼は、やはりいろいろと準備をしなければならない。
 とりあえず自分自身の荷物はそれほど時間もかけずに準備を終え、アンリエッタのための用意をする。

 アンリエッタが出先で不便をしたり気分を損ねたりしないように、できるだけ普段の環境と同じように整える必要がある。
 場合によっては部屋の調度品も持っていくこともあるが、今回はそこまですることもないだろう。
 普段からアンリエッタが好んでいる嗜好品や小物などを用意する。

 一通りの準備を終え、それの点検が終わる。
 昼前には出立する予定なので、そろそろアンリエッタを呼びに行かなければなるまい。
 確かマリアンヌの部屋にいるはずだったな、と思い出すと、アレクはそちらに向かって歩き出した。





 マリアンヌの部屋に向かう道中、アレクは背後から男の声で呼び止められた。
 その声に応え振り向くと、そこにいたのはマザリーニであった。
 心持ちより衰えた気がするマザリーニは、窪んだ瞳でアレクを見つつ歩み寄ってきた。
 ゆったりとした足取りで近づいてくるマザリーニが目の前に来るまで待ち、アレクは頭を下げる。

「何か御用でしょうか、猊下?」

 頭を上げ尋ねてきたアレクに、マザリーニは口髭をいじりながら口を開く。

「もう準備は終わったのか?」
「はい、ただいまアンリエッタ様をお迎えに行くところです」
「ふむ」

 そこで一度言葉を切るマザリーニを、アレクは不思議そうに見つめた。
 何事だろうか、とアレクが内心首を傾げる。
 マザリーニはしばらく何か考え事をするかのように顎をさすると、何気ない口調で話し出す。

「お前は、タバサという少女のことを覚えているか?」
「覚えております」

 マザリーニの問いに、アレクはしっかりと頷く。
 1年半ほど前にマザリーニの命でガリアに赴いたとき、修道院で出会った花壇騎士。
 元王族の小さな少女のことを、アレクは鮮明に覚えている。

「彼の少女がトリステインの魔法学院に入学したということも知っているな?」
「はい」

 魔法学院の入学名簿くらいならアレクでも閲覧可能である。
 毎年チェックしているというわけではないが、去年はルイズが入学したこともあり、何となしに見てみたのだ。
 その名簿の中にタバサの名もあった。
 タバサなどという名は、ハルケギニアでは二人といないだろうから、それがガリアで出会った少女だという予想はついていた。
 しかし、それについては自分が気にかけることでもなく、マザリーニも気づいているだろうからとくに何か考えていたわけでもない。
 なぜこのようなことを話すのか考えているアレクに頓着せず、マザリーニは言葉を続ける。

「『土くれ』のフーケを捕らえた生徒の中に彼女の名があった」

 アレクはその報告書も見ているので、頷く。

「入学してから1年、魔法学院に潜入させている者どもにそれとなく見張らせてはいたが、とくに動きは見せなかった。おそらく花壇騎士としての任務だろうが、時たまガリアへ帰ることはあったようだがな。しかし動きといえばそれだけで、なぜ学院に入学してきたのかも分からん」

 そこまで言われれば、アレクにも少し話が見えてくる。

「つまりこの機会に接触をしろ、ということですか?」

 アレクの言葉にマザリーニは頷き続ける。

「ああ、今までとくに目立つ動きがなかったというのに、『土くれ』のフーケを捕らえるという、あきらかに目立つと予想できる行動をとったのは少し気にかかる。このような時期だ。できるだけ国内で騒ぎは起こって欲しくない」

 このような時期、とはアルビオンのことだろう。
 確かにガリアの元王族にして現花壇騎士という立場の少女は警戒に値する。
 下手をすればガリア自体が関わってくる可能性も否定できない。

 アレクに接触させるというのは警告を含めたことであろうか。
 学院に潜入している者を使わないのは、それを知られると今後警戒させるおそれがあり、監視しにくくなるからだろう。
 アレクはそう考えると、首を縦に振る。

「かしこまりました、それとなく接触してみます」
「ああ、頼んだぞ」

 マザリーニの言葉に頷き、彼が去っていくのを見送ると、アレクはマリアンヌの部屋に足を進めた。





「楽しそうね、アンリエッタ」

 マリアンヌは正面に座るアンリエッタに声をかけた。
 アンリエッタはにこにこと笑顔を浮かべていた顔を、少し恥じ入るように伏せる。

「申し訳ありません、母さま。楽しみにしていたものですから……」

 そこまで言うと、アンリエッタは顔を曇らせた。

「アルビオンのことで大変だというときに、こうして出歩くのは心苦しいですが……」

 トリステインの西の海上上空に浮かぶアルビオン大陸。
 そこでは今内乱が巻起こっている。
 先日手元に来た報告書では、反乱軍が膨れあがり、もはや現政権は土俵際まで追いつめられているとのことだった。

 王宮でもそのことについて、いろいろと話し合いが行われている。
 宰相のマザリーニなどは睡眠時間も削って激務に追われていたはずだ。
 そんなときに自分のわがままで王宮を離れることを申し訳なく思い、アンリエッタは気持ちを沈ませた。

 マリアンヌは娘を安心させるように、ことさら何でもないように口を開く。

「あなたが心配する必要は何もないわ」
「ですが母さま、私のことも話しにあがっていたはずです」

 母の言葉に、アンリエッタは顔を上げ、以前から耳にしていた噂のことを口にした。

 聖地奪還を標榜し、『レコン・キスタ』などと自称する彼らが、自国を統一しただけで留まるはずがない。
 もしレコン・キスタがアルビオンを統一したならば、次に標的にされるのはおそらくこのトリステイン。
 それを退けるためにも何らかの警戒をしなければならないが、小国と自覚しているトリステイン一国だけではそれは難しい。
 そこで話に上がったのが、アンリエッタの婚姻による隣国ゲルマニアとの同盟であった。

 ゲルマニアの現皇帝アルブレヒト三世との婚姻。
 勢力争いの果てに親類縁者を幽閉してまで皇帝の座を勝ち取った、野心の塊のような男の元に嫁ぐなど、アンリエッタは考えられなかった。
 普段から「成り上がり」などと蔑んでいる国相手に、そうまでして同盟を持ちかけなければならないほどトリステインが追いつめられているというのは、アンリエッタとて分かる。
 だからといって歓迎できるものではないので、その話をマザリーニから伝えられるのを戦々恐々としていたのだ。

 しかし、噂を聞いた当初から、どうにもその話は進んでいないようだった。
 順調であるはずなら今頃はゲルマニアへ表敬訪問に行っていてもおかしくない時期だ。
 話がなくなるならアンリエッタ個人としてはそれはそれで良いことではあるが、それでも気になることは気になる。

 アンリエッタはそのことをマリアンヌに話してみたのだが、彼女は笑顔を浮かべたままであった。
 その笑顔の理由が分からず、アンリエッタは眉を寄せ首を傾げる。

「母さま?」

 アンリエッタの呼びかけに、マリアンヌはピクリとも笑顔を崩さず口を開く。

「さっきも言ったでしょう? アンリエッタ。あなたが心配することは何もありません、全て任せておきなさい」

 任せるとはマザリーニらにだろうか、とアンリエッタは内心首を傾げた。
 確かに彼に任せておけば心配はいらないだろう。
 だが彼ならば婚姻の話は進めるはずだ。
 というより、この話はマザリーニが発案したものであるという話を聞いたことがある。
 それが進んでいないのならば、話し合いはうまくいっていないという証拠ではないのか。

 アンリエッタはそう考え、マリアンヌ声をかけようとするが、タイミングが悪くドアが叩かれた。
 それにすぐマリアンヌが応え、側にひかえた侍女が扉を開けてしまったため、アンリエッタは口をつぐんだ。
 開けたドアから入ってきたのはアレクであった。
 彼はマリアンヌに深々と頭を下げると、アンリエッタに視線を移し、声をかける。

「アンリエッタ様、出立の準備が整いましたので、ご足労願います」

 アンリエッタはそれに頷き立ち上がると、マリアンヌに向かって声をかける。

「では母さま、失礼いたします」
「ええ、楽しんでくるといいわ」
「はい、ありがとうございます」

 マリアンヌに向かって軽く頭を下げると、アンリエッタは部屋を出ていった。
 アレクが礼をして扉を閉めると、マリアンヌは扉を見たまま、その視線の先にアンリエッタがいるかのように、慈愛を込めた瞳と声で口を開く。

「そう、何も心配ないわ。全てこの母に任せておきなさい、愛しいアンリエッタ……」

















 アンリエッタがオスマンらと会談しているうちに、アレクは侍従たちとともに、彼女にあてがわれる部屋へと衛兵に案内され向かう。
 彼女がこちらに来るまでに、部屋を整えておかねばならない。

 すでに学院側でも準備はしていたのだろう。
 日当たりの良い部屋の中は、王女を迎えるにふさわしいように飾り付けられていた。
 位の高い貴族の屋敷でもそうは見られないような、一見して高級品と分かる調度品の数々。
 もしかすると、中には学院の宝物庫から取り出してきた物もあるのかもしれない。

 来賓を迎えるにはこのままでも十分かもしれないが、アンリエッタ個人を休ませる部屋としてはいささか心許ない。
 物足りないという意味ではなく、彼女が気を休ませるには少し改造しなければならないという意味でだ。
 宮廷から運んできた荷物を入れ、アレクは侍従たちと部屋の内装を変え始める。





 小一時間ほどで内装の模様替えを終える。
 まだアンリエッタがこちらにくるまでは時間があるだろう。
 アレクはそう考え、学院内を散策してみようかと部屋を出た。

 敷地内のあちらこちらでは、明日の品評会のために己の使い魔に芸を仕込んでいる生徒たちがいた。
 今回は王女であるアンリエッタが参列するということで、より一層力が入っているようだ。
 この光景を初めて見たアレクからしても、必死に練習をしている様が見て取れる。

 一通り学院の敷地内を見て回ると、そろそろアンリエッタがくるだろう時間になった。
 もう戻らなければいけない、とアンリエッタの部屋に足を向ける。
 その途中、あまり人気のない広場に出た。
 おそらく学院に勤めるメイドたちが水仕事などをする水汲み場なのだろう。
 噴水のようなものの手前では少年と少女、二人が洗濯をしている。

 ―――それを見たアレクは、目を見開く。

 少女は学院に勤めるメイドの一人だろう。
 カチューシャでまとめた黒髪とそばかすが可愛らしい、素朴な感じの少女だ。
 何やら笑顔で隣の少年に話しかけている。

 しかしアレクが注目したのは、そちらの人物ではない。
 少女の隣で同じく洗濯をしている少年。
 アレクからすると後ろを向いているので顔は見えないが、おそらくメイドの少女とそう年は変わらないだろう。

 別にその年頃の少年が学院にいることに驚いているわけではない。
 少なからずその年で奉公に出る少年などいくらでもいる。
 アレクが驚いたのは、少年の格好。

 少年はハルケギニア(この世界)ではありえない衣服―――パーカーを羽織っていた。

 固まっていた体を動かし、アレクはふらふらと少年に近づく。
 あと10メイルほどというところまで来ると、少女がアレクの存在に気づいたらしく、顔を強張らせ立ち上がった。
 慌てて礼をする少女を訝しく思ったのか、少年が話しかける。

「急にどうしたんだ? シエスタ」
「サ、サイトさん! 立って! ほら!」
「あん?」

 何なんだ一体、と続け、サイトと呼ばれた少年は振り返った。
 彼はアレクがいたことに気づいていなかったようで、驚いた顔をする。
 そして仕方なし、とでもいうような表情で立ち上がり、軽く会釈した。

「サイトさん!」

 ぞんざいなサイトの行動に、シエスタは咎めるように小さく叫んだ。
 サイトは少し顔を歪めると、今度は深く頭を下げた。

「ああ、いいんだ……楽にしてくれ……」

 二人の前まで近づいたアレクは、手を振り呟くように言う。
 そして無言になると、じっとサイトの顔を見つめた。
 何も言わずに自分の顔に見ているだけの貴族に、サイトは居心地悪そうに身じろぎをすると、そろそろと話しかける。

「あの……何の用なんですか?」

 その声にアレクは我に返る。
 しかし聞きたいことが多すぎて何と言ったら良いか分からずに、口ごもってしまった。
 訝しげにこちらを見てくるサイトに、アレクは咄嗟に口を開く。

「君の……名前は何というんだ?」

 なぜ目の前の貴族が自分にそんなことを尋ねてきたのか分からないサイトは、それでも眉を寄せながら答えた。

「平賀、才人だ…ですけど……」



 アレクにとっては、ある意味では二人目である同郷の徒との邂逅。

 実質的には異世界のマレビトとの初の邂逅であった。




















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