パーティ会場のホールが、賑やかなざわめきで溢れかえっている中、簡易の玉座が設置された一角だけは、何とも言いようのない雰囲気で静まりかえっていた。
アレクが口にした言葉を受け、彼の目の前にいる男たちは、三者三様の表情で口を閉じている。
玉座に腰を下ろしたジェームズは無表情に目を瞑り、その傍らに立つウェールズは呆然とした顔でアレクを見つめ、残る一人のパリーは困惑げに主である王を窺っている。
その中で、意外にも最も早く口を開いたのは、見た目には一番取り乱しているように見えた、ウェールズであった。
「な……」
ウェールズは、まるで質の悪い冗談を聞いたかのように、無理矢理うかべた苦笑いを顔に張りつけながら、アレクに一歩近寄りつつ口を開く。
「何を言っているんだ、アレクサンドル? そんなもの受け入れられるわけはないだろう、冗談にしても口が過ぎるぞ」
「お言葉ですが、ウェールズ殿下。私は冗談を申しているわけではございません」
アレクの受け答えを聞いて、ウェールズはさらに一歩、目の前に跪く男に近づいていく。
「つまり君は……本気で言っているということなのか? 私に……我らに『この城を捨て、レコン・キスタに背を向け、尻尾を巻いて逃げ出せ』と―――そう言っているのか?」
目の前に立ち、信じられないかのような目つきで見下ろしてくるウェールズに、アレクはしっかりと目線を合わせ、短く肯定した。
「―――はっ」
「きッ……」
その返答に、ウェールズは眉尻をつり上げ、アレクの胸ぐらを掴み上げる。
「貴様ッ! たわけたことをッ! 忘れたわけではあるまいな、アレクサンドル!? 私は先ほど言ったはずだ! 我らは名誉を示さねばならないと! 勇気を示さねばならないと!! レコン・キスタの叛徒どもに、ハルケギニアの王家の誇りと強さを分からせなければならないとッ!!! それを……それを貴様あろうことか、我らに逃げ出せと―――そう言ったのか!? 呆けたか、アレクサンドル!!?」
激昂し、さらにアレクの胸ぐらを強く締め上げる。
アレクはその力強さに、苦しみと―――ウェールズの気持ちを多少ながらも理解できてしまう故の苦みから、顔を顰めさせた。
アレクが放った言葉は、ウェールズにとって断じて認められるものではない。
いや、ウェールズに限らず、この場にいるあらゆる貴族、ハルケギニアに数多いるどの国の貴族であろうとも、同じ状況で言われたのならば、黙って受け入れることなどあろうはずもない。
何故なら彼らは『貴族』なのだから。
多少なりとも現状を冷静に見られる者ならば、王党派に勝ち目が全くないことなど一目瞭然。
おおよそ五万もの大群を持って攻め込んでくる貴族派に対して、たかだか三百しかいない王党派があたえられる損害など、軽微も軽微、それこそ被害というほどですらなく、多少不快になるだけの抵抗でしかない。
見る人にとってはまさに犬死にであり、何故ウェールズ等が抵抗をしようとするのかすら理解できないであろう。
それでも彼らは逃げてはならない。
貴族派『レコン・キスタ』は、『聖地』を取り戻すという理想を掲げ、ハルケギニアを統一しようとしている。
ウェールズ等とて、理想を掲げるのは否定しない。
しかしその過程には、必ず民草の血が流れる、国土が荒廃していく。
それでは駄目なのだ、それはけして認められることではないのだ。
今ここでアルビオン王党派が『レコン・キスタ』に相対したとしても、相手がその野望を捨てることはないことくらい、ウェールズも承知している。
王党派の敗北後、『レコン・キスタ』は何ら変わらず、自身等の理想のまま行動を続けるだろう。
『歴史は勝者がつくるものである』という言葉があるとおり、後世ウェールズ等は『愚王とそれに付き従った愚かな者達』という評価しか残されないに違いない。
それでも彼らは背を向けてはならない。
なんのための貴族なのか、なんのための王家なのか。
貴族は、そして王家は、見栄を張らなければならない、前を向いていなければならない、誇りを持っていなければならない、義務を果たさなければならない。
何故自分たちは民の上に君臨できるのか。
内憂を払うことすらできなかった王家に課せられた最後の義務はなんなのか。
アルビオン伝統の『高貴な者の義務』。
ここで逃げ出しては、ここで見栄を張らなければ、ここで敵と相対しなければ、ここで誇りを示さなければ、彼らは貴族では―――王家ではなくなってしまう。
たとえここで死ぬと分かっていても、その死が無駄なものになるだろうと分かっていても、背を向けることは許されない。
故にウェールズには、アレクの言葉を許容できるはずもなかった。
「貴様とて理解できるだろう!?」
そう怒鳴りつけつつ、ウェールズはアレクの胸を殴りつけるようにして、荒々しく手を離した。
アレクはたたらを踏み、二・三メイル離れたところで立ち止まると、乱れた胸元を直しつつ、辺りにそれとなく目を走らせる。
いつのまにか玉座の周りには扇状に会場の全ての人物が集まっており、様子を窺うようにして視線を向けていた。
まだ何が起こっているか正しく理解はしていないようだが、ウェールズの怒鳴り声からただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう、あまり好意的な視線は向けられていないように、アレクは感じた。
人の輪の外側からは、トマとリュシーが――どうやらマチルダも連れてきているらしい――心配そうな視線を送ってきている。
アレクは彼らに「大丈夫だ」とでも言うように、それとなく軽く手を振って合図してから、ウェールズに視線を戻す。
彼は未だに苦々しい表情でアレクを睨み付けていた。
今にも噛みついて見そうな表情のウェールズを見て、アレクはつい視線をそらせたくなったが、内心大きく深呼吸をして、表情を変えないよう努めた。
アレクとて自身がどれほど酷いことを口にしたのかは理解している。
現状で「逃げ出せ」などと言うのは、彼らの誇りと覚悟を踏みにじるに等しい行為だ。
しかし、だからといって前言撤回するわけにはいかない。
心情としてはウェールズ等に好きにして欲しくはあっても、そうしてもらうわけにはいかないのだ。
「―――もちろん、殿下のお言葉は尤もかと存じます。最後の最後まで王家に生まれた者の義務を全うせんとするお心、感銘を受けずにはいられません。手前勝手な話だとは重々承知しております。それでも、私は前言を翻すわけにはまいりません。どうか、お聞き入れくださいませ」
そう言って深々と頭を垂れるアレクを見て、ウェールズは僅かに動揺するが、だからといって受け入れられるものではない。
ウェールズは一歩足を踏み出し、次いでアレクを叱責しようとする、が―――
「ところで……」
それより先に、今まで沈黙を保っていたジェームズが、不意に言葉を発した。
アレクはその声に頭を上げ、ウェールズ共々ジェームズに視線を向ける。
「ところで、一つ確かめたいのだが。即時撤退とは言うが、それはつまり、朕等にトリステインに亡命せよ、ということなのか?」
怒っている風でもなく、呆れているようでもなく、ただ淡々と気になったことを確かめるかのように言うジェームズに、アレクは困惑する。
ジェームズからすれば、それこそウェールズ以上に激昂してしかることをアレクは口にしたはずだ。
しかし、目の前の老王の顔からは、何らその類の色は窺えなかった。
何を考えているか分からないジェームズを訝しく思いつつも、アレクはその感情を表に現さないように努力し、尋ねられた事柄に返答をする。
「いえ、そうではありません。トリステインに陛下等を受け入れるということは、レコン・キスタに攻め入れさせる恰好の材料を与えることになります。将来的にはレコン・キスタとの戦いがほぼ確定しているとはいえ、相手側に口実を与えるわけにはまいりません」
アレクの言に辺りがざわめきだす。
周りにいる他の貴族たちも、ようやく事態を把握し始めているらしく、アレクの放った言葉がいかなる意味かを理解してきていた。
「もちろん支援はいたします。ですが、トリステインにて身柄を引き受けることができないことは、ご理解いただけるかと。つきましては、陛下等にはアルビオン国内にて潜伏していただきたく存じ上げます。そして可能であるならば、レコン・キスタに対し、妨害工作を行っていただければ、と」
その言葉を言い終わった直後、周りの貴族からいきり立った声があがる。
「き、貴様! 己が何を言っているのか理解しているのかッ!?」
アレクがそれに答えようと口を開きかけるが、その前に、やはりジェームズが口を挟む。
「ふむ、つまりこういうことだろうか? 朕等は貴族としての、王家としての誇りを捨ててでも、命を長らえさせ、そして、レコン・キスタがハルケギニアの統一に動き始めるのを遅らせよと」
「―――はっ、可能であれば。もちろん、陛下や殿下の身を最優先として、ではありますが」
「つまり時間稼ぎをしろと言うのだな? それは、何のための時間稼ぎだ?」
その問いを受け、アレクはヒュッと息を吸い込んだ。
己の背に、じわりと嫌な汗が滲むのが分かった。
ジェームズの顔を窺うが、感情らしい感情は感じさせない表情で、真っ直ぐにアレクに向かって視線を向けている。
純粋な疑問なのか、それとも自分を試しているのか。
どういった意図による問いかけなのかは分からないが、アレクは正直に答えるより他ないと理解し、素直に口を割る。
「―――我が国トリステインが、レコン・キスタに対して充分な対応が取れるほどの態勢が整うまでの、時間稼ぎにございます」
あまりにも、勝手な話である。
今まさに滅びの時に直面している王家に対して、一切の配慮を感じさせない要請。
彼らの誇りや覚悟など、何ら問題ではないと言わんばかりの言葉に、周りの雰囲気は一気に剣呑な色を帯びる。
「貴様ッ!!」
ウェールズがいきり立ち、アレクに掴みかかってきた。
周りを囲っている貴族たちも、ウェールズと大差ない怒りの表情でアレクを睨み付け、中には今にも杖を抜きそうな体勢の者までいる。
すでに目の前まで迫ってきたウェールズが、まさにアレクの胸ぐらを掴み上げんとした瞬間―――
「やめよ」
―――ジェームズの声が、それを制止させた。
アレクの一寸先でウェールズの手が止まる。
まさか制止の声が――それもジェームズから――かかるとは思っても見なかったウェールズは、信じられぬ面持ちで背後に振り返り、父王に訴えかける。
「な、何故ですか、陛下!? 陛下もお聞きになられたでしょう、先の妄言を!」
「よい、下がれウェールズ」
「しかし……ッ!」
「何度も言わせるな、下がれ」
「―――はっ」
有無を言わせぬ声色で命じてくるジェームズに、ウェールズは納得はいかずとも渋々と従い、アレクを睨み付けてから、玉座の横に下がる。
周りの貴族たちもアレクに言いたいことは多々ありそうではあったが、肝心のジェームズが何を言おうともしないので、憤懣やるかたなしといった表情であるが、沈黙を保っていた。
玉座に座ったままのジェームズは、身動ぎ一つせず、瞼を閉じて何やら考えている様子であった。
しばらくの間、静寂が辺りを包み込む。
すると、ジェームズがようやく瞼を開けたかと思うと、不意に傍らにいるパリーに声をかける。
「パリー、杖を」
「……は、ははっ!」
呆然とことの成り行きを見ていたパリーは、急にジェームズに声をかけられると、ハッと我に返り、慌てて杖を差し出す。
そして、杖を受け取ったジェームズがそれをついて立ち上がろうとしているのを見ると、急いで近寄り体を支える。
老僕に体を支えられながら立ち上がると、ジェームズはゆっくりとアレクに歩み寄ってきた。
ジェームズはアレクの目の前まで来ると、真っ正面から彼の目を見つめる。
少しの間何かを窺うように目をのぞき込んでいたが、不意に目を細め頬を和らげると、ジェームズはそろそろと杖を持ち上げ―――アレクの頬を打ち据えた。
「―――――ッ!」
鈍い音が響き、アレクはたたらを踏んで蹌踉めく。
次いで頬にじんわりとした熱さが走るのを感じて、ようやくアレクは自身が何をされたのかを理解した。
ウェールズや周囲にいる貴族たちは、自分たちの王の行いに、息をのんだ。
貴族が公衆の面前で、いかに相手が王であれ杖で頬を打たれるという侮辱。
通常であれば、二度と社交界には出られないほどの恥を、アレクはかいたことになる。
「―――さて、サン・ジョルジュよ」
「……はっ」
杖を戻し床について体を支えるジェームズからかけられた声に、唇から流れる血を拭いながら、アレクは姿勢を正し答える。
「卿の提言、受け入れよう。生憎すぐに、というのは難しいので、明日の早朝、我らはこの城を離れることにする。『始祖の秘宝』についても、その時に渡そう。それでよいな?」
そう尋ねるジェームズに、アレクは最敬礼でもって応えた。
「陛下のご決断に、最大級の感謝を申し上げ奉ります」
「ふむ、では下がられよ。部屋を用意させる」
「はっ」
「パリー、朕は部屋に下がる。後は頼んだ」
そう言ってジェームズは、よろよろと歩き始め、人垣の間を縫うようにしてホールを離れていく。
一連の流れを呆然と見ていたウェールズは、そこでようやく我に返り、離れていくジェームズの背を追った。
「陛下! お待ち下さい! 陛下……父上!」
ジェームズを呼びながらウェールズが去っていくと、ホールは静寂に包まれた。
集まった貴族たちは、彼らもそれぞれ言いたいことは色々とあるだろうが、ジェームズがああ言った以上、何らかの文句を口に出すこともできず、各々内に溜まった感情の行き所を探すように、手持ち無沙汰にキョロキョロと視線を彷徨わせるか、アレクを睨み付けるくらいしかできていなかった。
「とりあえず……」
誰もが声を発することが悪いかのように口をつぐんでいると、その空気を払拭するように、パリーがため息混じりで口を開く。
「今夜の催しはこれでお開きということで、各々方、詳しいことは後にしよう。それぞれ考えることがあるだろう。陛下には、後ほど儂が指示を仰いでおく。では、サン・ジョルジュ殿、こちらへ。お部屋に御案内しましょう」
「ありがとうございます」
「いえ……」
己も複雑な心境ではあるだろうに、この場をまとめ上げ、自分にも丁寧に接してくれるパリーに、アレクは頭を垂れて感謝の意を表す。
周囲の貴族たちは、パリーの指示に従い、次々に無言でホールを出ていった。
先導するパリーの後につき、アレク等もホールを後にする。
廊下から覗く外の景色は、すでに暗闇に包まれている。
不穏な空気を感じ取っているのか、外には暗闇に溶け込むような黒いカラスが、群をなして羽ばたいていた。
途中でジェームズに追いついたウェールズは、よろよろと歩く父に肩を貸し、彼の部屋まで連れて行った。
部屋にはいるとジェームズをベッドに横たわらせ、彼が落ち着くのを待つ。
水差しからグラスに水を注ぎジェームズに渡す。
ゆっくりと水を飲んでいるのを黙ってみていると、ジェームズがウェールズに声をかけてくる。
「どうした、ウェールズ。不満そうだな?」
その言葉にウェールズは眉を寄せると、首を縦に振る。
「はい、父上。何故あのようなことを承諾したのでしょうか?」
「お前は不服か?」
「当然です。あれは我らに対する侮辱に等しい」
もちろん、あの言葉にはそれなりの理由があるのだろう。
アレクの言葉は、けして徒にウェールズ等を貶めるためのものではなく、トリステインという国の思惑が絡んだ上で、マザリーニが最善――とは言わないにしても――の策を色々と考えた末で、要請に踏み切ったもののはずだ。
将来的には、ウェールズ等にも何らかの利益がある可能性もある。
「それでも、認められるものではありません」
詳しい話を聞かなければ分かることではないが、聞いてみればそれは自分たちにも悪いことではないのだろう。
合理的なのかもしれない、論理的なのかもしれない。
しかし、ここで自分たち王党派に、レコン・キスタ対して背を見せろなどというのは、あまりにも心情を―――貴族としての、王家としての信念を無視している。
愚かだと言われようとも、下らないと嘲られようとも、けしてそれを蔑ろにするわけにはいかないのだ。
「父上とて、それは同じはずです」
何せジェームズは『王』である、まぎれもなく、アルビオン王国の『君主』なのだ。
他の誰が妥協しようとも、ジェームズだけは―――誰よりも国王だけは、認めるはずがない。
ウェールズは王家に生まれ、王子として育てられた二十余年の中で、他の誰でもない、ジェームズにそう学ばされたはずなのである。
だからその父が、アレクの言葉を受け入れたのが信じられなかった。
「納得のいくご説明を、願います」
誤魔化しは許さない、とでもいうように、真摯な瞳で見つめてくる息子に、ジェームズは苦笑いして息をつく。
そして、ジェームズは少しの間何かを考えるように目を伏せると、不意に視線をベッドの天蓋に向け、小さな声を発し始めた。
「ウェールズ、お前は……モードのことを覚えているか?」
「叔父上、でしょうか? はい、それほどお会いしたことはなかったので、おぼろげではありますが……」
「そうか、そうだったな……」
プリンス・オブ・モード、今は亡きジェームズの弟であり、ウェールズの叔父。
そう頻繁に会う人物でもなかったので、ウェールズはあまり鮮明に顔を思い出すことはできなかったが、良くできた、尊敬に値する人物であった。
「良い弟であった、人格も、能力も。儂が王となった後も、財務監督官として、儂のことを支えてくれた」
兄弟三人協力して、このアルビオンを平和で豊かな国にすると誓い合った。
ジェームズが国王に即位した後、ほどなくして末のヘンリーはトリステインに婿入りをしたが、それのおかげで両国はさらに親密な間柄になった。
優秀な弟たちの尽力があったからこそ、アルビオンは何の問題もなく平和な国として維持できたのだ。
「その弟を……優秀な、この上なく大切な財産を……儂がこの手でつみ取ったのだ!」
「しかし父上、それは仕方がないことだった……」
「―――仕方がないことだった! そう! 仕方がないことだった!」
四年前のあの日、いつものように執務に励んでいたジェームズにもたらされた急報。
ジェームズはその内容に、自身の耳を疑った。
「エルフだぞ!? 聖地を占領する憎き悪魔ども! それを我が国の重要人物、弟が―――王家の者が匿っているというではないか!」
ハルケギニアに住む者にとって、ブリミルを信仰する者にとって、何よりも忌み嫌うべき種族。
醜悪なオーク鬼やトロル鬼よりも、凶暴な竜やミノタウロスよりも、ハルケギニアに棲息するあらゆる魔獣・幻獣・亜人よりも、忌避してしかる生物なのだ。
それをよりにもよって、財務監督官であり、現国王の弟であるモードが匿っているのだという。
この上ないスキャンダルだ、それこそことが公になれば、まさに国が揺れるほどの。
「だから儂はモードを投獄した! 匿ったエルフも捕えた! 共々処断したのだ!」
国のためだった、誇りのためだった、名誉のためだった。
モードがどのようにしてエルフと出会い、どんな気持ちで匿い続けていたのかなど、ジェームズは知らない。
しかし、どのような理由があろうとも、他のどの貴族よりも模範となるべきの王家が、エルフを懐に入れるなど、断じて許容できるものではなかった。
「父上……」
まるで血を吐くかのような表情で語るジェームズに、ウェールズはかける言葉が出ない。
「憂いは払わなければならない……モードを処刑した後、儂は何よりも安心したのだ。これでアルビオンは何ら変わらず平和でいられる、と……」
裏切られた、という気持ちもあったのかもしれない。
誓い合った兄弟が、誰よりも信頼していた弟が、アルビオンの平和を崩すような要因をつくったことに。
罪悪感もあった、悲しみもあった、喪失感もあった。
だがジェームズは、最愛の弟より、アルビオンという国を守ることを優先したのだ。
弟を自身の手で殺してでも、国を守ると決めたのだ。
この犠牲を無駄にしないと、アルビオンをよりよい国にするのだと、そう決意したのだ。
しかし―――
「たかだか二年だ……二年の間に、またたくまに平和は崩れ去った……」
初めは小さな波だった。
それこそ取るに足らない、たまによくあるちょっとしたいざこざ程度の騒ぎだった。
地方の一介の司教による叛乱騒ぎ。
いくら平和な国であったとしても、全ての住人が、まったく不満を感じないことなどありえない。
規模の大小はあれど、反抗勢力というものは必ず存在している。
しかしそれらは大体が間をおかずつみ取られるものなのだ。
そして今回もいつもの通り、すぐに鎮圧されるのだと思っていた。
だが、ある一件から急速に事態は変わり始めた。
すなわち―――本国艦隊旗艦『ロイヤル・ソヴリン』号の叛乱。
誰もが予想もしていない事態だった、まさか栄華を誇るアルビオン空軍、それも本国艦隊の旗艦である『ロイヤル・ソヴリン』号で、叛乱が起こるなど。
ともあれ事実として『ロイヤル・ソヴリン』号は敵の手に渡り、次いで本国艦隊のことごとくは、レコン・キスタの手に落ちた。
そして相手の勢力は一気に膨れあがり、現在アルビオン王家は滅亡の危機に立たされている。
「無能にもほどがあるとは思わんか、ウェールズ? 弟を殺しておいて、平和を守るなどと嘯いておいて、この様だ……無様極まりない―――!!」
何のために弟を手にかけたのか、弟の死はなんだったのか。
ジェームズは自分を許せなかった。
「―――トリステインはヘンリーが治めた国だ。で、あるならば、このアルビオンの弟といって過言でない。儂は……儂はこんどこそ弟を守りたい……弟を守るためならば、儂の名誉などいかなるものか……」
確かにアレクの言葉は、ジェームズ等を貶めているに近い。
だが、それが何だというのか。
トリステインのマザリーニは、ジェームズからしてみても辣腕の政治家だ、あのような要請をしておいて、ジェームズ等がどのような反応を示すかなど、分かり切っているだろう。
そのマザリーニが、それを見越した上で使者を送ってきたということは、つまりトリステインにとってどれほど重要なことであるかを示している。
そしてそれが成されれば、トリステインはレコン・キスタに勝てる算段があるということだ。
「何より、ウェールズ―――お前が死なぬ……」
世継ぎであるウェールズが生まれてからは、ジェームズは息子を次代の王としてどこに出しても恥ずかしくないように育てた。
今こうして王家の義務を果たさんと躍起になっている様は、その教育がうまくいっていた証だろう。
ジェームズにとって、ウェールズは誇るべき息子だ。
―――だが、やはり息子が死ぬのは堪えられない。
王としては失格かもしれない。
自身の、息子の、臣下の誇りを無視して、その命を長らえさせることを選ぶのは、名誉を守るべきことを第一とするべき存在としては、選択を間違えているのかもしれない。
それでも生きて欲しい。
かつて国を優先し、自身の弟を手に掛けたジェームズだから、もう大切な者を亡くすのは堪えられなかった。
「儂の最後の我が儘だ、ウェールズ……儂に後悔をさせないでくれ、生きてくれ……頼む……」
縋るような視線を向けてくるジェームズに、ウェールズは目を合わせることができない。
ウェールズの噛みしめた唇からは、血が流れている。
強く握りしめた両手の平には、血が滲んできている。
ウェールズには理解できない、そのようなことは教えられていない、気持ちの整理などはつきはしない、だが―――
「納得はできません……ですが、アルビオンの国王はあなたです。父上が―――陛下がそうしろと仰るならば、私がそれに逆らうことはできません……」
血を吐くような苦渋の表情で、ウェールズは何とかそう口にした。
その言葉を聞くと、ジェームズは体の力を抜き、ベッドにその身を横たえさせる。
「すまない……」
「……いえ」
ウェールズは弱々しく首を振ると、ジェームズの部屋を出ていった。
その後ろ姿を見送ると、ジェームズは己の額に手をあて、天蓋を見上げる。
脳裏にうかぶのは四年前の情景。
モードは最後までエルフを見逃すよう、ジェームズに嘆願した。
自分はどうなってもいい、しかし彼女だけは―――彼女らだけは見逃してくれと。
匿えとは言わない、逃げる手助けをしてくれとも言わない、ただ見逃してくれるだけでよいのだと。
もちろんジェームズがそれを承知できるはずもなかった。
エルフという存在―――それがアルビオンにいるという事実のみであっても、捨て置けることではないのだ。
どこからか噂が漏れる可能性がある以上、さらに見逃せるものではない。
だから捕えた、処断した。
思えばその出来事も、今日の叛乱に繋がっているのかもしれない。
対外的にはモードは病死ということになっているが、人の噂には戸口はたてられないもので、少なからず事実が露呈しただろう。
ならば人心が王政府から離れていくのも無理はない。
実弟をその手にかけた王が収める国など、誰が好き好んでいられるというのだろうか。
「ならば自業自得……全ては儂の無能故、か……」
モードはどんな気持ちだったのだろうか。
彼は最期まで、ジェームズに恨み言は言わなかった。
今の自分の現状を見て、モードはあの世で何と言っているだろうか。
嗤笑しているか、憤慨しているか、哀れんでいるか、それとも冷ややかに見下しているだけだろうか。
「待っていろ、モード……直ぐに儂もそちらに行く……」
そう言った直後、ジェームズは自嘲気味に笑う。
こんな無様な自分が、あれほど素晴らしい弟と同じ場所に行けるはずがない、と。
―――と、不意にジェームズは何か思いだしたように首を傾げる。
霞がかった記憶の奥底。
そこには何か忘れていることがあるような気がする。
弟であるモードと、その彼が匿い妾としていたエルフの女性。
果してそこにいたのは、その二人だけであっただろうか。
幸せそうな笑顔をうかべている二人の間に立ち、同じく幸せそうな笑顔をうかべている、小さな影は―――
その影の正体に思い当たることもなく、ジェームズの意識は深い眠りの海に沈んでいった。
明けて翌日。
アレク等四人は、ウェールズの先導の元、ニューカッスルの城の宝物庫へと足を運んでいた。
このアルビオンに来た本来の目的――というより目的の一つというべきだろうか――である、『始祖の秘宝』を譲り受けるべく、その置き場所である宝物庫に案内されているのである。
前を歩くウェールズの背中は、昨日見せた激昂ぶりはなりを潜めてるとはいえ、やはりどことなく拒絶の色を感じさせるものであった。
ニューカッスルの城の真下にあるという鍾乳洞――そこは王党派しか知らない秘密の港であるらしい――では、本国艦隊で残った唯一の船である『イーグル』号と、先日ウェールズ等が拿捕したというトリステインの商船『マリー・ガラント』号に、戦闘員非戦闘員問わず、城に残った全ての人々が乗り込み始めている。
多少の問答はあったものの、王党派の貴族等はジェームズの説得により、この地を離れることを受け入れた。
ウェールズ等はそれらの船で、一度アレク等とともにラ・ロシェールまで行くことになっている。
彼らをトリステインで受け入れることはできないとはいえ、さすがにこのまま裸一貫でアルビオンに放り出すことなどできず、一度ラ・ロシェールに留まり、そこで色々と準備をした後、多少落ち着いた頃を見計らって、再度アルビオンに入国する手筈になっているのだ。
ジェームズは少々体調が良くないということなので、ギリギリまで部屋で休んでいるとのことだ。
ウェールズ等もそれにあわせて船に乗り込むようで、多少時間に空きがあるため、その間にこうして『始祖の秘宝』の受け渡しをしようとしている。
宝物庫のある位置は居住区より多少離れているので、いささか距離を歩かなければならない。
ところどころの窓が空いているので、入ってくる風に髪を煽られながら進む。
風自体は清々しいものだが、外には昨日と同じようにカラスが群をなして飛んでいるため、現在の心情も相まって、アレク等の心はあまり晴れ晴れしいとはいえない。
アレクは無言で前を歩くウェールズを見つめ、気づかれないようにため息をはく。
多少なりとも彼らの気持ちを理解できるとはいえ、やはり当事者でない以上、正確にどのように感じているのかは察することはできない。
自分がもし彼らの立場におかれたらどのように感じるだろうかと想像してみても、実際その立場になったことがないので、やはり想像の域を出ない。
何とも声をかけることができず、アレクは再度ため息をはく。
「着いたな、ここだ」
アレクが考え事をしていると、どうやら目的地である宝物庫に到着したようで、ウェールズは足を止め振り向く。
彼の背後には大きな扉があり、魔法的・物理的に厳重な鍵がかけられているのが見えた。
ウェールズは余計な話をするのを嫌がるように、すぐに扉に向き直ると、さっさと鍵を開け扉を開き、中へと入っていった。
部屋の中には乱雑に物が敷き詰められている。
甲冑や剣、槍、鏡、宝石、アクセサリー、魔法具らしきもの、何が入っているか分からない櫃や小箱など、様々な物が所狭しと並んでいた。
ウェールズはそれらに目もくれず、部屋の一番奥に歩き進むと、一つの小箱を手にした。
その小箱は、部屋の扉にかかっていた鍵と比べて遜色ないほど厳重に封をされている。
その封を解いたウェールズは、中身を取り出しアレクに差し出す。
「これが『始祖のオルゴール』だ」
アレクは差し出されたそれに目を向ける。
古ぼけた、ボロボロのオルゴール。
茶色くすすみ、ニスは完全にはげており、ところどころに小さな傷も見える。
パッと見た限りでは王家の秘宝に見えないほどのガラクタ、よく言えば骨董品のように見えるそれが、アルビオン王家に伝わる『始祖のオルゴール』なのだという。
アレクが誘われるように差し出した手にオルゴールを乗せながら、ウェールズはぐっと身を寄せてくる。
「アレクサンドル、まだ私は君を許せてはいない。これからも許せるかは分からない。しかし、陛下が私に生きろと言った。ならば私はそれに従うだけだ。そして生きてこの城を離れる以上、トリステインに利になる行いはするつもりだ。それはアルビオンの民のためにもなるのだろう?」
確かめるように問いかけるウェールズに、アレクは肯定する。
「はい、必ずやアルビオンの民を蔑ろにするようなことはいたしません。もちろん殿下方にも」
「ならば今は堪えよう」
そう言ってウェールズは部屋を出ていく。
アレク等も彼の後を追い、部屋を出る。
部屋を出たウェールズは、宝物庫の扉の鍵を閉めようとしたが、その必要がなくなったことに思い至ってか、寂しそうに目を伏せた後、鍵を懐にしまった。
次いで己の手に視線を落とし、薬指にはまった『風のルビー』を撫でると、それをゆっくりと取り外して、アレクに手渡す。
そして一度目を瞑ると、小さな声で呟く。
「繰り返すようだが、私は心の整理はまだついていない。―――だが……もう一度生きてアンリエッタに会うチャンスができたことは、素直に嬉しくも思う……」
その言葉にどれほどの想いが込められているのか。
真摯な心の底から絞り出された言葉に、アレクは深々と頭を下げて誓約する。
「我がトリステインがレコン・キスタを打ち破ったその後、必ずや殿下のお手元に王権がお戻りなることを確約いたします。そして―――その時は堂々とアンリエッタ様にお会いしていただくことも」
アレクの言葉に、ウェールズは久しぶりに笑みをうかべた。
「その時は、君からアンリエッタが離れてしまうかもしれないね」
挑発するようにそう口にするウェールズに、アレクも笑みをもって応える。
「さて、アンリエッタ様がそれをお望みであるならば、私に否応はありませんが」
その言葉にもう一度笑みをうかべると、ウェールズはマントを翻して歩き出す。
アレクは手にある二つの品物を見つめると、『始祖のオルゴール』をリュシーに渡し、トリステインに帰るまで持っておくように指示する。
もう一つの『風のルビー』に関しては自分で持っておこうと思ったが、どこにしまっておくかしばし悩み、いささか無礼かとも思ったが、自身の指にはめておくことにした。
左手の中指に『風のルビー』をはめ、ウェールズの後を追おうと、アレクが足を進めた瞬間―――
「“エア・カッター”」
―――アレクの左腕、その肘から先が切り離され、宙を舞った。
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