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 いやに愛想良く手を振って去っていったモット伯に顔を引きつらせながら、できるだけにこやかに見えるような笑顔をうかべて彼を見送ると、ルイズは案内のために先を歩いている衛士の後に続く。
 彼女のさらに後ろを着いてくるサイトは、物珍しげに辺りを見回していた。
 それもそうだろう、城に雇われた使用人でもないかぎり、貴族階級ではない者がこうして宮殿内を歩くことなどできないのだから。
 ましてやサイトはこの世界の人間ですらないのだ。
 元々ただの高校生に過ぎなかった彼は、きっとこのような西洋風の城を間近で見たことすら初めてなのだろう。

 サイトに比べればルイズは落ち着いたものだった。
 公爵家の三女であり、王女アンリエッタの学友兼遊び相手だったルイズは、ときには父に連れられ、ときにはアンリエッタを訪ねて、幼い頃から幾度となく足を運んでいた。
 そのためそれほど緊張することもないのだが、今回はそれらの経験とは状況が違うためか、どこか硬い表情をしている。
 サイトと比べればマシとはいっても、やはりルイズも完全に落ち着くことはできていなかった。

 通路の石床を、コツコツと音をたてながら進む。
 すれ違う人々が物珍しそうにチラリと横目で見てくるのに、居心地の悪さを感じながら、ルイズは黙って歩き続ける。
 彼女が背後のサイトをそれとなく窺ってみると、彼もルイズと同じく眉を寄せていた。
 ワルドとの一件以来、サイトとの間はどことなくギクシャクしていた。
 今でもそれが解消したというわけではないが、とりあえずこの場に彼がいることに、ルイズは小さくない安堵を覚える。
 現在の状況でさえ不安な気持ちが存在しているのに、もし一人っきりでこの様なかたちで王宮に来ることになっていたなら、今よりさらに心細く感じていただろうから。

 それにしても、とルイズは考える。
 未だに何故自分が呼ばれたのかが分からない。
 道中モット伯に尋ねてみたものの、彼にも理由は知らされていなかったらしく、内容を知ることはできなかった。

 例えば自分を呼びつけたのがアンリエッタであるならばまだ納得できるが、今回の呼び出しはマザリーニだというのだ。
 そもそもルイズはマザリーニと会話をしたこともない。
 先王亡き後トリステインの内政と外交を一手に引き受け、民衆や多数の貴族から「鳥の骨」などと揶揄され、枢機卿の地位までもっている見た目初老の政治家。
 ルイズの中のマザリーニのイメージはそのようなものだ。

 ルイズには彼に呼び出されるような覚えは全くない。
 もしかすると、先日のワルドの件についてなのだろうか。
 ワルドは近衛であるグリフォン隊の隊長、その結婚ともなれば一個人の意志云々で済まされるような問題ではないのかもしれない。
 だとしても、実家―――ラ・ヴァリエール家を通して呼ぶのが普通なのではないだろうか。
 少なくとも、わざわざ学院に勅使を派遣してまで自分を迎えに来るなど考えられない。

 ルイズは前を歩く衛士の顔を上目遣いにのぞき見る。
 いかにも屈強といった感じのひげを生やした強面の男、マンティコア隊の隊長であるゼッサール、と名乗っていた。
 もしかすると、この男なら呼び出された理由を知っているかもしれない。
 そう考えたルイズは尋ねてみようとするが、この無言で歩き続けている雰囲気と、ゼッサール自身の容貌が彼女が口を開くのを躊躇わせる。
 なんというか、下手をすると食われそうなのだ。

 ゼッサール自身はどちらかといえば気さくな貴族であり、多少の無礼などは笑って流すような大らかな性格をしているのだが、そんなことは知らないルイズからしてみれば、気難しそうな歴戦の衛士といった印象しかもてない。
 サイトあたりからはわがままなお嬢様、というような感想を抱かれているルイズだが、基本的に目上の人物には敬吾で話しかけるし、貴族を相手に不躾な真似をするほどやんちゃではない。
 もっとも一つのことに直向きになってしまうと、それらがすっ飛んでしまい、一直線にしか目が向けられず、誰に対しても――もちろんこの場合も例外はあるが――噛みつくようになってしまう困った気性も持ち合わせたのがルイズなのではあるが。

 とはいったものの、もちろん今はそのような状況ではない。
 だが気になることは気になる。
 このまま進めばおそらく10分もしない内にマザリーニに引き合わされるのだろうから、わざわざここで尋ねなくとも、すぐに用件は分かるのだろう。
 しかし、それを待てるほどルイズは年を重ねていない。
 ルイズは一瞬目を瞑り、胸の中でムンと気合いを入れると、ゼッサールに尋ねてみようと顔を上げた。

「あの―――」
「ここだ」

 しかしルイズが用件を口に出す前に、歩みを止めたゼッサールが振り向き、すぐ横の扉に手を向けた。
 タイミングを外されキョトンとした顔になったルイズは、その表情のままゼッサールが手を向けた方向を見る。
 そこには大きな扉があり、その両脇には槍のような杖を構えた衛士が控えていた。
 どうやら考え事をしている間に着いてしまったらしい。
 なんとなく恥ずかしくなったルイズは、わずかに頬を紅潮させた。

「ラ・ヴァリエール公爵令嬢を連れてきた、枢機卿に伝えてくれ」
「はっ」

 ゼッサールが脇に控えている衛士の一人に伝言を頼むと、彼は敬礼をした後部屋の中に入っていく。
 すると間もなく衛士が出てきて、入室許可を得られたことを伝えた。
 ゼッサールは一つ頷くと先導するように前に立ち、ルイズに声をかけてくる。

「では入ろうか、マドモアゼル」
「はい」

 扉を開けながら言うゼッサールの言葉に頷き、ルイズは部屋に入っていった。
 次いで当たり前のように足を踏み入れようとするサイトの目の前に、両脇から交差するように杖が出され、彼の進路を塞ぐ。

「な、なんだよ?」
「貴様はここまでだ。入室は二人だけにしか許されていない」

 当惑して衛士に視線を向けるサイトに、彼らは無表情でそう返した。
 背後の会話を聞いたルイズはとっさに振り向く。
 彼女が何か言おうと口を開きかけたが、その声が発せられる前に扉は閉じられた。

「ったく、何だっつーんだよ……」

 仕方無しにサイトは扉から離れ、目の前の壁に寄りかかった。
 自分を仲間はずれにするような仕打ちにサイトは腹を立てるが、さすがにここで暴れてまで中に入るつもりはない。
 どうやらどこか別室なり遠くに連れて行かれるわけではなさそうなので、二人の衛士に聞こえないように小声で文句を言いながら、ルイズが出てくるのを待つことにする。

 それにしてもルイズは何の用でここに来たのだろうか、とサイトは考える。
 わけのわからないまま学院から何となしに着いてきたものの、馬車に同乗することもできなかったので、ルイズとはまともに話せていない。
 もっとも同乗できたとしても話をできたかどうか分からないが。

 サイトは先ほど一瞬振り返ったルイズの顔を思い出す。
 どこか不安げな、心細そうな表情。
 ワルドの一件以来、ルイズとはまともに話をしていない。
 自分は何故あのとき、ああも取り乱したのだろうか。
 何故あれ以来ルイズとまともに会話をできないのだろうか。
 胸の内に渦巻く、自分でも分からない感情に、サイトは苛立たしげに舌打ちした。

「隊長、お疲れさまです!」

 と、不意に近くで上がった声に、サイトは思考を中断して顔を上げた。
 目の前では二人の衛士が横を向いて直立不動で敬礼をしている。
 サイトは何の気無しにそちらに視線を向け―――嫌そうに顔を顰めた。

「ああ、ご苦労さま」

 敬礼を向けられた男は衛士に労いの言葉をかけると、ゆっくりサイトに顔を向けた。

「おや? 君は……」

 サイトの視線の先、悠々とこちらに歩み寄ってくるのは、今彼が一番といえるほど会いたくない相手だった。
 男はサイトの目の前まで歩み寄ると、気さくに笑いかけてくる。

「ルイズの使い魔君じゃないか」
「どうも……」

 ワルド子爵が目の前にいた。





「枢機卿猊下、ご命令通りお連れいたしました」
「ああ、ご苦労」
「おや? 枢機卿、どういうことですかな? 私以外に来客があるとは聞いていませんが」

 ゼッサールの背後に隠れるようにいるルイズは、見えないながら彼と話しているのがマザリーニだと当たりをつけた。
 だが、もう一人男がいるらしい。
 誰であろうか、とルイズは悩む。
 心なしか、どこかで聞いたような―――よく耳にしていたような、低いバリトン。

「ああ、失礼、お伝えしておりませんでしたな。何、この会談と無関係な者ではございません」
「それはどういう……」
「実際対面した方が早いでしょう。ゼッサール、お前の後ろにいるのかな?」
「はっ! マドモアゼル、こちらに」

 そう言って前に出るよう促すゼッサールの背後から、ルイズはそろそろと顔を出した。
 まず目に入ったのはマザリーニの姿。
 椅子にゆったりと腰掛けながら無表情にこちらを見つめてくる目に、ルイズはつい上体を引く。
 そしてまだ人がいたはずだ、と考えたルイズはマザリーニから視線を外し―――驚愕に目を見開いた。

「お父さま!?」
「ルイズ!?」

 マザリーニの対面に腰掛けているのは見慣れた父の姿。
 まさか彼もルイズがここにいるとは思っても見なかったのだろう、その表情は驚きに溢れていた。

「ルイズ……どうしてあなたが?」
「お母さままで……」

 ヴァリエール公爵の隣には、ルイズの母カリーヌが腰掛けている。
 ルイズにも、そして公爵夫妻にも、この状況が理解できなかった。
 困惑に親子が顔を見合わせている中、いち早く我に返ったヴァリエール公爵は、その表情を驚愕から怒りの色をもったそれに変え、正面に座るマザリーニを睨み付ける。

「枢機卿、どういうことですかな!? 何故ルイズがここに!」
「落ち着きくだされ、ヴァリエール公爵。言ったでしょう、この会談とは無関係でない者だと」
「これが落ち着いていられるかッ! こちらに来てからのらりくらりと私の質問をはぐらかすと思えば、私に無断で娘を呼びつけ―――」
「ですから、これから詳しい説明をいたします」

 怒気を孕ませた声色で怒鳴りつけるヴァリエール公爵とは対称的に、マザリーニは何の感情も窺えない声で公爵の言葉を遮る。
 そう言われてもまだ怒りのおさまらないヴァリエール公爵の袖を、カリーヌが「落ち着け」とでも言うように軽く引く。
 妻の存在に何とか正気戻れたヴァリエール公爵は、まだ怒り収まらぬといった具合ではあるが、とりあえず口を閉じて居住まいを正す。
 それに満足そうに頷いたマザリーニは、未だ呆然と突っ立っているルイズに声をかける。

「ミス・ヴァリエール、とお呼びしようか。どうぞ座りなさ―――」
「隊長! 今はなりません!」

 ヴァリエール公爵の隣を指しながら座るように言おうとしたマザリーニだが、突然外から聞こえてきた声に言葉を途切れさせる。
 部屋の中の全員が何事かと思いそちらに視線を向けると、勢いよく扉が開き、引き留めようとする衛士を振り払うようにして、一人の男が入室してきた。
 マザリーニはその男の無礼を咎める。

「ワルド子爵、今は公爵と会談中だ。入室許可を出した覚えはないぞ」

 そう言われた男―――ワルドは、しかし堪えた様子もなくマザリーニに答える。

「申し訳ありません、猊下。しかし、どうか私めがこのような行動に出た気持ちもお察し下さりませ。何せ婚約者の一大事のようでしたので」
「婚約者だと?」

 嫌な予感がしたマザリーニは、不機嫌そうにワルドに問いかけた。
 ワルドはマザリーニの言葉に首を縦に振り、ルイズに視線を向けて言い放つ。

「そこにいるご令嬢―――ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールこそが、この私の婚約者でございます」

 その言葉に、ルイズが、ヴァリエール公爵が、カリーヌまでもが目を見開く中、マザリーニは一人片手で目を覆い、天井を見上げた。
 どうして何か事を進めようとする度に、こうして問題が起きるのか。
 さすがにやってられない、とばかりに盛大にため息をつくマザリーニ。
 とりあえず面倒な事態にした部下に内心一言。



 ―――子爵、空気を読め。

















 宮殿のとある一角で事態が複雑に絡み合っている頃、アンリエッタの部屋には母マリアンヌが訪ねてきていた。
 マリアンヌは椅子に座り項垂れているアンリエッタの横に、もう一つ椅子を並べさせそこに腰を下ろすと、二人だけにするよう人払いをする。
 二人のお付きの女官たちが退出するのを確認すると、マリアンヌは娘の顔をのぞき込み、心配そうに声をかける。

「アンリエッタ、どうしたの? このところ部屋から出ないで、まともに食事も取っていないらしいわね」

 二人の目の前には小さなテーブルが置かれ、その上にはアンリエッタのであろう食事が乗せられていた。
 しかしそれらにはほとんど手がつけられた様子が見られず、わずかばかりアンリエッタの好物である角羊のスープだけが量を減らしていた。
 減らしていた、といっても精々が三度四度ばかり口をつけただけなのであろう、入れたばかりのときとさほど変わらず、具には一口も手をつけていないようであった。
 その他の料理は言わずもがな、である。

「ねぇアンリエッタ、私の愛おしい娘。何故そんなに悲しそうなのかしら? お願いだからこの母に教えてちょうだい」

 なだめすかすように優しい声色で、マリアンヌはアンリエッタの肩を抱きながら言った。

「母さま……」

 ようやく顔を上げたアンリエッタの目元は、赤く染まっていた。
 それを見たマリアンヌは、まるで自身のみに何か絶望的な出来事が起こったかのように顔を青ざめさせ、震える声でアンリエッタに問いかける。

「おお……アンリエッタ。何がそんなに悲しいの? 何故あなたは泣いているの? さぁ母に聞かせてちょうだい」

 しかしアンリエッタはただ首を振るばかりであった。
 自分に気持ちをうち明けてくれない娘に、マリアンヌはショックを受けさらに顔を青ざめさせる。

「何故? 聞かせてくれないのかしら? ねぇ、アンリエッタ」
「ごめんなさい、母さま。少し……一人にさせてくださいますか……?」
「アンリエッタ……」

 再度顔を伏せ、弱々しい声でそう言ったアンリエッタに、マリアンヌは痛ましい表情になると、ため息を一つつき、立ち上がる。

「ええ、そう……そうね。あなたは少し疲れているのかもしれないわ。ゆっくり眠ってお休みなさい」
「申し訳ありません、母さま」
「いいのよ」

 そう言って顔を振ると、ゆっくりと扉に向かって歩き出す。
 扉に手をかけ開けようとする直前、マリアンヌはアンリエッタに向き直り、優しい表情と声色で声をかける。

「アンリエッタ、もし私に話せるようになったら、いつでもおいでなさい。母があなたの不安を取り除いてあげますからね」
「はい、ありがとうございます」

 泣き笑いのような表情をうかべたアンリエッタに、マリアンヌは寂しそうに微笑みかけると部屋を出ていく。
 部屋を出たマリアンヌは、アンリエッタ付きの女官にしばらく中に入らないよう指示すると、自分のお付きを連れて自室に足を進めた。
 その顔には先ほどまでうかべていた娘を純粋に心配する母の表情はなく、冷徹さを感じる、空恐ろしいまでの無表情があった。

 彼女の脳裏にうかぶのは、目元を赤らめた娘の顔。
 アンリエッタには「何を悲しんでいるの?」と問いかけたが、わざわざそのようなことを尋ねずとも、マリアンヌには娘が悲しんでいる理由は察しがついていた。
 おそらく、そう、アルビオンに向かったという『アレ』のことだろう。

 マリアンヌにとって、アレクは興味を持つような存在ではない。
 ただアンリエッタが存外に気に入っていたため、娘の側にいることを許しているだけのモノだ。
 顔と名前は覚えている、簡単なプロフィールも覚えてはいる。
 ただそれは、娘の玩具がどのような形で、何と呼ばれる物で、どんな遊び方があり、どこで売られていた物か覚えているのと同じこと。
 マリアンヌにとってはアレクはその程度の存在である、だから、そんな存在が娘を悲しませていることが―――許せない。

「玩具が子供を泣かせてどうするのよ……」

 そう、『アレ』は玩具だ。
 子供を楽しませている内は良い、親は子供の笑い顔が一番好きなのだから。
 だが、その玩具が子供を悲しませるというのはどういうことなのだろうか。

 マリアンヌはアンリエッタの幸せを何より願っている。

 幸せな子供は泣かない。
 では何故アンリエッタは今泣いているのか。
 幸せでないからだ。
 ではアンリエッタを悲しませているのは何か。

 ―――あの玩具ではないのか。

 マリアンヌにとってはそれが当然の帰結であった。
 玩具は取り替えがきく。
 代わりなどいくらでも見つけられる。
 だから―――

「―――もう、アレはいらないかしらね」

 母の愛は、ただ狂おしく。





 マリアンヌが出ていったのを見送ったアンリエッタは、力なく立ち上がるとドレスを着替えもせずに寝台に横たわる。
 片腕を額にあて、ぼんやりと天蓋を見上げるアンリエッタの目は虚ろであった。
 しばらくそうしたままでいると、アンリエッタの頭に何度となく繰り返し流れていた思いが甦ってくる。

 ―――何故、こうなったのだろう?

 自分はあの時誓ったはずだ、大切な人を守る、そのためならばどんな手段でも使う、と。
 だが現実はどうだろうか。

 一人の少女であるアンリエッタは、マリアンヌに守られている。
 一国の王女であるアンリエッタは、マザリーニに守られている。

 いくら政治を学ぼうとも、たかだか数年しかまともに教育を受けていない17の小娘。
 内政、外交ともに、ほとんどマザリーニに任せきりで、今のアンリエッタはさながら少々小賢しい知恵をつけただけのお飾りに過ぎない。
 アルビオン対策の会議にも幾度か出席したが、現状を把握するだけが精一杯で、まともな案を出すこともできなかった。
 結局はマザリーニに頼ることになっている。

 そしてそのマザリーニが出した政策すらまともに遂行することができない。
 母マリアンヌによるアルブレヒト三世との婚姻政策の破綻。
 それを聞いたときに自分は何を思ったか。
 自分の胸に去来した感情、それは―――安堵ではなかったか。

 そう、そのとき間違いなくアンリエッタは安堵した。
 自分は政治の道具にならなくて済むのだと、ゲルマニアに嫁がなくてよいのだと。
 一国の王女としてはまず考えてはいけない思い。

 ―――結局覚悟が足りないのだ。

 いくらマリアンヌが反対していたからといって、あの政策を進める方法はいくらでもあったのではないだろうか。
 アンリエッタにもマリアンヌが自分を愛しているのは分かる。
 マリアンヌはアンリエッタと離れたくはなかったのだ。
 その思いはアンリエッタも嬉しく感じる、アンリエッタもマリアンヌを愛しているから。

 ―――ああ、違う。

 これでは母の愛を逃げ口にしているだけだ。
 現状のアルビオンの情勢を考えれば、自分が道具となりゲルマニアに嫁ぎ同盟を締結させ、レコン・キスタの侵攻に備えるのが、一番確実かつ近道であったはずだ。
 そしてそれはあの誓い―――『大切な人を守る』ことに繋がるはずだった。
 アンリエッタの『大切な人』は、どこよりトリステインにいるのだから。
 国を守る、ということは、大切な人を守る、ということになるのだ。

 ―――だけど、覚悟がなかった。

 ゲルマニアに嫁ぎ、アルブレヒト三世の妻になることなど、アンリエッタにとっては怖気が走るほど嫌なことである。
 しかし、個人の感情など持ち込む話題ではないはずなのだ。
 所詮アンリエッタは、嫌だ嫌だと駄々をこねる子供。
 その子供のわがままが―――アレクを戦場に追いやった。

 自分がわがままをいったから、アレクをあんな危険な場所に行かせる羽目になったのだ。
 もしあのときマザリーニに母を説得するよう訴えていたのなら、こんなことにはならなかったのではないか。
 いや、今からでも遅くない。
 今、すぐに母の部屋に向かい、自分がゲルマニアに嫁ぐことを望んでいると訴えたのならば。
 しかし―――しかしこの期に及んでも、アンリエッタは起きあがれない。
 彼女の両頬を涙がつたう。
 悔しさから、悲しさから、腹立たしさから、惨めさから。



 ああ―――





 ―――私は弱い。




















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