アレクの手には小さな茶碗。
 藍色に染め釉薬を塗られ光沢のある表面。
 サイズに反してずっしりとくる重さ。
 軽く叩いたときに響く鈍い音。

「これは、良いものだ……」





 トリステインの城下町ブルドンネ街。
 その一角にある骨董品店のような店にアレクはいた。
 彼の手には一つの陶磁器が握られている。
 トリステインにも陶磁器の類は一応あるが、彼の手に握られているものは、それらとは違うデザインだ。
 それは彼が『徹』だった頃に見たことがある、日本製のものに酷似していた。
 店主にこれはどこで作られたものか尋ねてみると、どうやら東方から流れてきたものらしい。

 ハルケギニアの東には、エルフが住んでいる砂漠がある。
 人間以外の一部種族が使う、自然界に存在する精霊の力を借りる『先住魔法』を行使する種族のエルフ。
 彼らは人間より遥かに進んだ技術を持ち、彼ら自身も熟練のメイジ十人分にもなる戦闘能力をほこる。
 エルフは人間とは折り合いが悪く、ほとんど交友はない。
 彼らが住む砂漠のさらに東には、始祖ブリミルが降臨したといわれる聖地が存在する。
 しかし現在聖地への道はエルフによって閉ざされ、ハルケギニアの住民がそこへ行くことはできない。
 東方『ロバ・アル・カリイエ』と呼ばれる地域は、その聖地のさらに東にある。
 そこではハルケギニアとは全く異なった文明が栄えているといわれるが、エルフによって聖地への道が閉ざされている今、東方へ行き着く術は人間にはない。

 アレクは今までに東方から流れてきたものを、いくつか見たことがある。
 その中には仏像のようなものや、緑茶の茶葉などもあった。
 さらに今日発見した茶碗から考えてみても、東方には日本と似たような文化を持つ場所があるのかもしれない。
 アレクは一度行ってみたいな、などと考えつつ、この茶碗を購入しようとした。

「親父さん、これいくら?」
「えっと……20エキューになります」
「高くないか?」

 トリステインでは20エキューもあれば、一人ならば二ヶ月は普通に暮らせる。
 茶碗一つの値段としては高すぎるだろう。
 そう思ったアレクは負けさせようとする。

「5エキューにしてくれ」
「馬鹿いわねぇでくださいよ、お客さん。東方からは滅多に物が流れてこねぇんですぜ? そんな安い値段で売れるわけがねぇでしょうよ」
「だからって20エキューなんて値段つけたら買う人もいないだろう? なら負けても金が手に入るだけいいじゃないか」

 図星だったのか、言葉に詰まる店主。
 しばらく考え込み、仕方がないといった風にため息を吐くと、何か覚悟したような目でアレクを見据えた。
 戦いが始まる。

「じゃあ18エキューでどうでさぁ?」
「6エキュー」
「17エキューでは」
「7エキュー」
「15エキュー。これ以上は負けられませんぜ?」
「7エキュー」
「ぐっ……14エキューでは?」
「7エキュー」
「……13エキューだ!」
「6エキュー」
「どうして下がる!?」

 さて、何故アレクがこんな所にいるかというと、一言でいえばアンリエッタが寝込んだからである。

















 ラグドリアン湖で開かれた園遊会から、そう日も経っていない頃。
 宮殿にあるアンリエッタの私室、アレクはそこでベッドに臥せている彼女の看病をしていた。
 数日前から彼女は流行風邪をこじらし、寝込んでいる。

「教皇聖下の即位式には出席できそうもありませんね」

 アンリエッタの診断を終え、しばらく完治しそうにないことを確認したアレクが言う。
 彼女はそれに申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 ガリア王国真南のアウソーニャ半島に位置する都市国家連合体、ロマリア連合皇国。
 始祖ブリミルが没した地であるそこに、弟子の一人であった聖フォルサテは墓守として王国を築いた。
 宗教都市ロマリアは、ハルケギニア中の神官達が『光溢れた国』として、神聖視している。
 ブリミル教の中心地であるロマリアの代々の王は『教皇』と呼ばれ、『始祖の盾』と呼ばれた聖エイジスの名を受け継ぐ。
 今回はその地にて、聖エイジス三十二世の即位式が行われる。
 ハルケギニア中の王族は、即位式に参列する習わしであった。

 新しく教皇に即位する人物は、名はヴィットーリオ・セレヴァレといい、まだ二十そこそこの若者らしい。
 アンリエッタが快調であれば、アレクも従者の一人として着いていけただろう。
 そんな年で形式上ハルケギニアのトップに立つ人物をアレクは見てみたかったが、彼女がこの状態ではそれはできそうにない。
 アレクは着いていけなかったが、アンリエッタは以前一度だけロマリアに行ったことがあり、その時見た豪勢な寺院をもう一度見てみたい気持ちがあったため、残念そうにしている。

「新しい教皇聖下には申し訳ありませんわね。それにいくつか書類がたまっていたはず……」
「アンリエッタ様の所為ではありませんし、しょうがないでしょう。国政に関してはマザリーニ猊下にお任せすれば心配いりません。アンリエッタ様は安静にして、お早く元気になられますように」

 ロマリア出身のマザリーニ枢機卿は、先王亡き今、トリステインの内政と外交を一手に引き受け、事実上トリステインの宰相となっている。
 先立っての教皇選出会議からの帰国要請を断わりトリステインに残ったため、この国を乗っ取ろうとしているなどと噂を立てられているが、それは平民の血を引いているという噂話と相俟った妬みからだろう。
 アレクから見た彼は、教皇という絶対的な地位を蹴ってまでトリステインに尽力している、苦労性な人である。
 最近では激務に追われ、まだ四十だというのにそれよりも十は年をとって見える外見がもの悲しい。

「ええ、そうね。枢機卿には悪いけど、早く元気にならなくちゃ」

 笑顔でそう言った後、アンリエッタはすぐに眠りについた。
 女性の寝顔を見つめているのは失礼だろうと、アレクは侍女に看病を任せ部屋を出る。
 アンリエッタが眠ってしまったのならば、特にアレクに仕事はないため、何か彼女の手慰みになる物を探しにいこうと、町へ出る準備をしに自室へ向かった。

















 そんなわけで町に出てきたアレクだが、どうも良さそうな物が見つからないため、ブラブラとあてもなく歩き回ることにした。
 そうしている内に骨董品店に置かれている茶碗が目に入ったので、つい店に入って品を手に取ったところ、気に入ったので今値引き交渉をしているのだ。

「んじゃ、その値段で」
「まいどあり……」

 店主が疲れた声を出す。
 30分にも及ぶ値引き交渉の結果、アレクは茶碗を8エキュー72スゥ6ドニエまで引き下げた。
 貴族のくせに貧乏くさい奴である。
 アレクは懐から財布を出し、金を払う。
 その際にお釣りを誤魔化さないよう釘を刺すのも忘れない。

 お釣りを受け取り店主の力のない声を背に店を出ようとしたアレクの目に、一つの品物が入った。
 見た目には長さ25サントほどの古い木の箱。
 大きめの小物入れか何かのようだが、問題は側面に書いてある文字。
 それを見た瞬間、アレクはハルケギニアに生まれた当初と同じくらいに驚いた。
 箱を手に取り、突っ伏している店主に声をかけるアレク。

「親父さん、これは?」
「ん〜……ああ、それは家の倉庫の奥にしまってあったやつですね。開かないんで壊れてるのかもしれませんが、捨てたり壊したりするのももったいないかと思いまして」
「少し重いが中に何か入ってるのか?」
「さぁ? さっき言ったとおり開かないんでさ。魔法を使って鍵をかけているわけじゃないみたいなんで、特に高価な物が入っているとは思えませんがね」

 売れないようならいつか開けてみようと思ってますが、と店主は続けた。
 どこで手に入れたかアレクが聞くが、どうやらいつの間にかあった物なので分からないらしい。
 店主が自分の父にも聞いてみたところ、どうやらその人物が言うには店主の祖父がどこからか手に入れた物で、祖父亡き今出所は分からないとのことだ。
 アレクはその品物をしばし見つめ、店主の方へ持っていく。

「いくら?」
「それなら20スゥで」
「何かまた高いな……まぁいいや、はいよ」

 見た目はただの木の箱なので、20スゥはあきらかに高い。
 アレクが文句を言ったとき、店主はビクリとしたので、おそらく腹いせにぼったくろうとしたのだろう。
 そんな気持ちにさせたのはアレクの所為でもあるため、今度は負けさせずに素直に払った。
 茶碗と木の箱を持ち、アレクは自室へ帰っていく。





 自室に帰ったアレクは早速買ってきた木の箱を手に取る。
 調べてみた結果、店主の言っていたとおり魔法で鍵をかけているわけではなかった。
 しかし実際に開けてみようとしても開かない。
 そう、普通に開けようとしても、この箱が開くわけがないのだ。



 ―――これはおそらく『からくり箱』といわれるもの。

 ―――側面には店名らしい名と日付が『日本語』で書かれていた。



 アレクが見たことのある物より幾分大きいが、このサイズのものが存在していなかったということもないだろう。
 彼は苦労しながらも、何とか開け方を思い出しそれを開けてみた。
 10分ほどかかりながらも開けることに成功し中を覗くと、そこにあったのは一振りのナイフ。
 いや、これはナイフというよりおそらく―――小刀。
 全長20サントほどのそれを持ち上げ、鞘から抜き放つ。

「いやー! つまんなかった!」
「おおっ!?」

 小刀を抜いた直後に聞こえた声に、アレクは不意をつかれ驚く。
 誰かいるのかと辺りを見回すが、部屋の中には自分以外存在しない。
 不思議に思いキョロキョロするアレクに、再度どこからか声がかけられる。

「おいおい兄さん、どこ見てんだよ! こっちだこっち!」

 アレクはその声に恐る恐る手に持つ小刀に目をおろす。

「そーだそーだ、俺だ! 兄さんが手に持ってるのが俺だよ!」
「インテリジェンスナイフ……だったのか……?」

 知性を持つ――インテリジェンス――魔法の道具。
 それはそう珍しい物ではなく、アレクも今までに何度か見たことはあるが、まさかこの箱の中にあった小刀がそうであったとは思わず、意表をつかれた。
 刃渡り10サントもないほどの小刀。
 “固定化”でもかけられていたのか、箱の古さに反して見た目は新品同然。
 アレクは「この場合はインテリジェンス小刀と言った方が正しいのか?」などと、どうでもいいことを考えながら心を落ち着け、小刀へ語りかける。

「お前ずっとこの中に入ってたのか?」
「おうよ! ずっと入ってたぜ! 確か50年間、いや60年だったかな? まぁどっちでもいいや。何十年もずっとだぜ!? 信じられるか、いや信じられまい! 反語! その間誰一人箱を壊して俺を出そうとしやがる奴なんかいなかったんだ! ありえねぇだろ! 誰か一人ぐらい確かめようとしろっつうの!! もしかしたらお宝でも入ってるんじゃないか、とか考えろよ! つまんねぇっつうの! 寂しいっつうの!! たまにカタカタ箱を鳴らしてたじゃねぇか! 怪しめっつうの!!! 何で何十年もこんな暗くて狭い場所にこもってなきゃならねぇんだよ! 思わず心が錆び付きそうになったじゃねぇか! おっ! 俺今何か格好いいこと言った!? 刃物だけに錆びるってな! うまい! うまいね俺! そうでもないか!? まぁそうだな! 第一俺鞘にしまわれたら外のことわかんないから、暗くて狭いとか感じないしね! しかし本当何で誰も出そうとしないのかね!? だいたい―――」

 余程鬱憤がたまっていたのだろう。
 堰を切ったようにしゃべり出す小刀。
 アレクはそれをスルーし考え込む。
 何故日本語が書かれた物がここに存在するのか。
 これが言うとおり、何十年も中にずっと入っていたのならば、どこから来たのか分かるかもしれない。
 アレクはそう思い、まだ喋り続けている小刀に話しかける。

「おい」
「―――ったく、あの親父ったらよ! 普通刃物をスープにひたす……って、ああ! 何だ、俺に聞きたいことがあるのか!? 良し聞け早く聞け何でも聞け!」
「お前自分がどこから来たか覚えてるか?」
「俺がどこから来たかって? おいおい、兄さんもうボケちまったのか!? あんたがあの店から買ってきたんじゃねぇか! あん? ああ、その前か!? そうならそうと早く言えと小一時間……悪い! 話すから杖をしまってくれ! そんなに怒らなくてもいいじゃねぇか、ったく……だからごめんって! 俺がどこから来たかって話だな!? そうだな、さっきも言ったとおり50年くらい倉庫にしまわれてたからな、その前となると……俺が知性をあたえられた頃? うーん……思い出した! そうそう、確か箱ごと召喚されたらしいんだ! 箱を弄くってたら偶然開いたらしくてな、開けたら中に俺がいたから研究中だった知性を与える魔法を試してな、俺爆誕! みたいな! それで何か俺に不満があったらしくて箱にしまったと! んでその後箱の開け方が分からなくなって、面倒になって知り合いに譲ったって箱の中で聞いた! この場合捨てられなくて良かったと思うべきかな? それとも壊して取り出せよって怒るべきかな? やっぱ寂しかったから怒るな? くっそあのハゲ! いやハゲてはなかったけどあのクソ親父! 知性を与えたならもっと愛情そそげ―――」

 自分を生み出したメイジに文句を言い続ける小刀を無視して、聞いた情報を整理するアレク。
 この箱と小刀について分かったことは、どうやってか分からないが召喚された物だと言うことだけだ。
 長い割に対した情報は得られなかった。
 アレクが考え込んでいる間も、小刀の話は続いている。

「―――その後俺はこう言ってやったんだ! 『お前はもう死んでいる』ってな! 格好いい俺! しびれるね!! もてもてだ!!! いや、嘘だけどね!? 俺ずっと箱の中に入ってたからそんな暇ねぇっつうの! 騙されたか!? 正直に言っていい……って、ちょっと待って!? しまわないで! もう少し喋らせ」

 うるさかったので、何やらわめいていたのを無視して小刀を鞘に収める。
 確かに少なかったが、何かしら考えられる程度には情報を得た。

 まず箱に日本語が書かれていたので、これらが日本製ということは間違いないだろう。
 日本語が書かれていなかったのなら、東方から召喚された可能性もあった。
 ハルケギニアには東方から流出したといわれる、日本の文化によって作られた物に酷似した物も大量にあるのだ。

 しかしこれが日本製だとなると、ある思いが浮かんでくる。
 この世界はかつて『アレク』が『徹』として過ごした世界と全く違う場所ではなかったのか。
 アレクは今まで元の世界に帰るという思いを持ったことはない。
 『徹』はあの時点で人生を終え、今の自分は『アレク』なのだということに納得していた。
 だが、もし何らかの形で元の世界に通じる手段があるならば―――















「あ。アンリエッタ様に土産を買うの忘れてた」




















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