「本格的に魔法を習いたい?」
「ええ」

 アレクはアンリエッタの自室で彼女と向かい合っている。
 彼の姿は今までのような従僕などが着る質素な出で立ちではない。
 白いシャツに黒いタイ、濃灰色のベストの上から丈の長いジャケットを着て、手には白い手袋をはめている。
 つまり執事然とした格好だ。

 こんな格好をしているアレクだが、彼を執事と呼ぶには少し語弊がある。
 執事とは主人に代わりその家の男性使用人を総括し、さらにそれらについての雇用の権限を持っているものだ。
 アンリエッタを守った褒美の一部として、今までより高い権限を与えられたアレクだが、さすがに使用人の雇用についてまで口出す権利は与えられていない。
 せいぜいがアンリエッタ付きの男性使用人の統括と、彼女のお守りを一任された程度だ。
 ただの従者に比べると遙かに高い権限を持っているため、執事と呼んでも差し支えはないが、正確には執事ではないというよく分からない地位が与えられていた。

 もちろんそれはただのシュヴァリエ成り立てでしかないアレクにとっては、かなり優遇されたものである。
 一粒種であるアンリエッタに、深い愛情を与えている国王は、アレクに過剰と思える褒美を与えた。
 それがシュヴァリエの称号と現在の地位である。
 アレクはそれ自体には喜んだが、いくつか余計な物を背負わされた気がしないでもない。
 没落貴族であるアレクは、宮廷内では一部を除き蔑まれている。

「罪人の息子でありながら、おそれ多くも王女殿下のお付きとは……」

 アレクは周囲の貴族からいつもそう陰口を叩かれていた。
 さらにいえば彼の元々の家であるサン・テグジュペリ伯爵家自体、トリステイン貴族の間ではあまり好まれてはいなかった。
 元々嫌う家の者が罪を犯したにも関わらず、分不相応に優遇されているのは、彼らにとって面白いはずもない。
 今回のシュヴァリエ叙勲と、さらにアンリエッタに近づいたのは、それに拍車をかけるだろう。

 もちろんそれが嫌だからといって、断れるはずもない。
 表向きとしてはアレクに対する褒美だが、実質的には「よりいっそうアンリエッタに尽せ」という国王陛下自らの『命令』である。
 もしも断ってしまったら比喩でなく首が飛ぶ。
 それは避けたいアレクは、色々不安になりながらも受けるしかなかった。

 しなければならないことは増えたが、実際与えられた権限は以前とは比べ物にならず、給金も大幅にアップしている。
 とりあえず問題からは視線を外し、アレクは与えられた物はありがたく受け取ることにした。
 そして今日も命じられた通りアンリエッタのご機嫌を窺おうと、彼女の私室に訪れたアレクに言い放たれたのが冒頭の言葉である。

「どうしてまた急にそのようなことを?」

 不思議そうに首を傾げ、アンリエッタに尋ねるアレク。
 彼女は真っ直ぐにアレクを見つめ、それに答える。

「自分の身を守れるくらいにはなりたいのよ」
「しかし、それは王女たる者が気にすることではないでしょう?」
「それでも、いざという時に何もできないのは、もう嫌」

 どうやらアンリエッタは、先の事件の折にアレクが負傷したことを、想像以上に気にしているらしい。
 蝶よ花よと育てられた彼女は、おそらく人が大怪我をした場面など初めて見たのだろう。
 それも幼い頃から一緒にいるアレクが、である。
 あの時彼女が受けた衝撃と後悔の念は、それなりのものがあったはずだ。

 もし自分を守れるくらい魔法が使えたら。
 もしオーク鬼を退治できるくらい実力があったなら。
 もしあの傷を治せるくらい治癒が巧かったなら。
 アレクはあんな目に遭わなくてもよかったのかもしれない。

 現在11才のアンリエッタは、まだ幼いながらに必死に考えた。
 そして思いついたのが「ちゃんと魔法を習う」というものだった。
 遊びたい盛りなため、それ程必死に魔法の練習をしていなかったアンリエッタ。
 今日からは頑張ろうと心に決め、アレクへお願いした。

「そこまでいうなら、もちろん構いません」

 アンリエッタが真剣だと感じ取ったアレクは快く頷いた。
 彼女はそれに嬉しそうに笑う。

「では教師の方は誰にいたしましょう?」
「アレクにしてほしいわ」

 アレクが「私ですか?」と言うように首を傾げると、アンリエッタはコクコクと頷く。

「私はトライアングルですけど、よろしいのですか? 何でしたらスクウェアの優秀な方にお願いしますが」
「アレクがいいわ」

 普通王族の教師といえば最高の人材があてられる。
 今回のように魔法を教えるとなれば、最上級であるスクウェアメイジが担当すべきであろう。
 しかしアンリエッタ自身が指名するなればできるだけそれに添う方がいい。
 アレクはしばらく悩むと、うん、と頷く。

「そうですね。特別なことがない限り、アンリエッタ様のお世話は私に任されているので、大丈夫でしょう」

 微笑みながら了承するアレクに、アンリエッタは安心したように息を吐く。
 ついで、いつから始めるか聞く彼に、彼女は今日から早速始めたいという。
 それならば動きやすいような服装に着替えなければと、アレクは使用人を呼ぶために、部屋へ備え付けられた紐を引っ張る。
 するとすぐさま女官が現れた。

「アンリエッタ様に動きやすいお召し物を」
「畏まりました」

 アレクは女官に命じると、アンリエッタに礼をして部屋を出る。
 そして今の内に報告をしておこうと、ラ・ポルトの私室へ向かって歩き出した。





 その日からアレクのアンリエッタに対する魔法教育が始まった。
 さすが王家の血統というべきか、彼女はみるみるうちに成長する。
 これならばそう遠くない内に自分を追い越すかもしれないと、アレクは危機感を抱く。
 守る立場でありながら、その対象より弱いというのはどうかと、彼は自らの魔法にさらに磨きをかけることにした。
 しかしアレクの危機感はあることによって解消される。
 アンリエッタが魔法の練習を始めて、1年も経たない内にそれは中断されることとなった。

 現トリステイン王国国王ヘンリーの崩御。

 以前より体調不良を訴えることは多々あったが、まさかこれほど急に崩御するとは思っていなかったため、トリステインは慌ただしくなる。
 王座が空位となり、周囲はアンリエッタの母で亡くなった国王の妻、マリアンヌ太后にその場についてもらうよう上奏するが、彼女はこれを拒否。
 いくら周りから「女王陛下」と呼ばれようとも、マリアンヌは妻としての立場を貫き、夫の喪に服した。

 そうであるならば現在その座につくことのできる人物はあと一人しかいない。
 アンリエッタである。
 しかし彼女が玉座につくには、まだ幼すぎる。
 彼女は将来トリステインの頂点に立てるようにするための教育が始まったため、魔法の練習は終わらせるしかなかった。

















 それから一年が経った頃、四大大国の一つアルビオンであることが起こった。
 現在アンリエッタは私室で休憩をしている。
 そこへ現れたアレクから聞いた報告に彼女は驚く。

「プリンス・オブ・モードが?」
「ええ、それと同時期に大公家の仕えるサウスゴータ家が、お取り潰しになったようです」

 現アルビオン王国国王ジェームズ一世の弟であるモード大公の死去。
 前トリステイン王のヘンリーはアルビオン王族からの入り婿のため、アンリエッタにとってモード大公は叔父にあたる。

「そう……急なことね……」

 突然の叔父の死によってアンリエッタは顔を青くしている。
 一度も会ったことがないとはいえ、親類が亡くなることは辛い。

「何故お亡くなりに……?」
「聞いた限りでは病死とのことですが……」

 アンリエッタに聞かれたアレクは途中で口を閉ざす。
 それを見たアンリエッタはこの死に何かおかしな所があるのだと察した。
 冷静に考えれば彼女にも何かあるというのは分かる。

 他国とはいえ王族が体調を崩したのならば、その報告はもたらされる。
 現にハルケギニア最大の国家であるガリアの王は、今は体調を崩し床に伏せているという。
 しかしモード大公にはそんな話はなく、今回の報告はとても急なことだった。

 そしてサウスゴータ家のお取り潰し。
 大公家に仕えるこの家は、広大なサウスゴータの地を治める太守である。
 サウスゴータといえば、始祖ブリミルが最初に降臨した土地といわれる場所だ。
 広いためか地方行政は議会によって運営されているが、中心都市の「シティオブサウスゴータ」は人口4万を越える大都市であり、そのような場所の太守というからには相当な有力貴族である。

 お取り潰しの理由は明かされていないが、おそらくモード大公の死と関わりがあるのは推測できる。
 表だってそのことを話すことはできないが、おそらく誰もがそう考えていることだろう。
 近頃いろいろと学び、そんなことが推測できてしまったアンリエッタは物憂げにため息を吐く。
 そんな彼女の様子を見たアレクは、何か思いついたような顔をし、アンリエッタに話しかける。

「アンリエッタ様、気晴らしをいたしましょうか?」
「気晴らし?」
「ええ」

 いたずらっぽい表情で、アレクはアンリエッタに話しかけた。





「クレマンス! こっちこっち!」
「落ちつけって、アン」

 前をはしゃぎながら歩くアンリエッタに苦笑いをしながら、アレクは彼女に駆け寄る。
 トリスティンの城下町、この国で最も大きな通りのブルドンネ街に二人の姿があった。
 最も広いといっても道幅は5mもなく、現代人の感覚を持っているアレクからすれば狭い。

 アレクの提案で二人は変装し、城下町へ来ていた。
 アレクの名前を知っている者がどれほどいるか分からないが、念のため偽名で呼ぶように申しつけている。
 初めはアンリエッタの名前も変えようとしたが、「アン」という愛称を持った女性はいくらでもいるので大丈夫だろうと、そのまま呼ぶことにした。
 アンリエッタに対し敬語をつかわないというのには、アレクは渋っていたが、彼女が変装するなら徹底的に、と言ったため、そこいらの街娘に話しかけるのと同じようにしている。

「私こんな風に街にでたのは初めて!」

 通りの左右に並べられている露店を珍しそうに眺めていたアンリエッタは、アレクに楽しそうに笑いかける。
 王族である彼女は、今まで自分の足で町中を歩いたことはなく、街に出るときはいつも豪奢な馬車などに乗っていた。
 なのでこのように自分の足で、しかも共を連れずに歩くことは新鮮でたまらないのだろう。
 アンリエッタの楽しそうな顔を見て、アレクは連れ出してみてよかったと頷く。

「あれ、アン?」

 少し目を離した内にアンリエッタの姿が消えていた。
 人通りが多いため、どうやらはぐれてしまったようだ。
 まずいな、と思いながら辺りを見回すが、彼女の姿は見あたらない。

「離しなさい!」

 しばらく辺りを見回っていると、細い路地から聞いたことがある声が聞こえた。
 アレクが覗くと、そこには二人の男に手を掴まれているアンリエッタの姿があった。
 彼女が見つかったことに安堵の息を吐き、アレクは男とアンリエッタの間に滑り込み、彼女の手を解放する。

「アレク!」
「クレマンス、です」
「そうね、クレマンス。でも、あなたも言葉遣いが戻ってるわよ?」
「そうですね、いや、そうだねアン」

 にこやかに話す二人に、無視された男達は突っかかる。

「てめぇら! 無視してんじゃねぇぞ!」

 その声にアレクは顔を向ける。

「ああ、うちのお嬢さんが迷惑をかけたね。もう行ってかまわないよ」
「ふざけんじゃねぇ! そっちの嬢ちゃんには服の弁償をしてもらわねぇとならないんでね」

 そう言って男は自分の胸元を引っ張る。
 アレクがそちらへ目線を向けると、なるほど、何か飲み物がかかったような跡があった。
 おそらく珍しい風景によそ見をしていたアンリエッタが彼にぶつかり、彼が持っていた飲み物が服にかかったのだろう。
 アレクは仕方無しに懐から貨幣を取り出す。

「それは悪かったな、これで勘弁してくれ」
「最初から素直に出せば……って、何だこりゃ!?」

 男の手には、ハルケギニアの言語で「百億万エキュー」と書かれた一枚の銅貨。

「クレマンス、何あれ?」
「この前町のお子さま方と『人生ゲーム』という遊びをしたときにね、その子達がつくった貨幣」
「いつの間にそんなことを……あなた案外暇なの?」

 アンリエッタはあきれ顔でアレクを見る。
 アレクはそれに対し肩を竦めるだけで答えた。

「馬鹿にしやがって……! ゆるさねぇ!」

 アレクにふざけた貨幣を渡された男は、懐から短い杖を出した。
 もう一人の男も杖を構えている。
 おそらく何らかの理由で身を落とした元貴族なのだろう。

「おら、命乞いするなら今の内だぜ?」

 杖を構えた男達は強気に出る。
 それもそうだろう、魔法を使えるのと使えないのとでは、その戦闘能力にかなりの差がつく。
 特殊な訓練をした者でなければ、魔法を使える者にはまず勝てない。
 アレクは仕方無しに30サントほどの教鞭のような杖を取り出した。
 変装しているため鉄拵えの杖は持ってきていないが、魔法を使うだけなら、この子供の頃から使っていた杖でも支障はない。

「てめぇもメイジだったのか……!」
「そうだ。で、どうする? こっちとしてはそのままどっか行ってくれればいいんだけどね」

 杖を取り出したのを見て怯む男達に、アレクは通告する。
 男達は少し考えたが、2対1ということで安心したのか、にやりと笑いルーンを唱え始めた。
 二人の男から繰り出されたのは、火の魔法“ファイヤーボール”。
 しかしそれはアレクからすれば、あまりに小さく弱々しい。
 おそらく二人の男はドットかライン程度のメイジなのだろう。
 アレクは面倒そうに杖を振り、水の壁を作り出し防いだ。

「何!?」
「俺はトライアングルだよ。で、続けるのか?」

 自分たちの魔法をいとも簡単に防いだことに驚く男達に、アレクは聞いた。
 二人の男は彼がトライアングルだと知り、じりじりと後退し始める。
 やっと終わるか、とアレクが息をつくと、男達の後ろからどやどやと複数の足音が聞こえた。

「ルードウィヒ、ジェルマン、お前等何やってるんだ?」

 後ろからは7、8人の男達が姿を現す。
 その内の一人がアレクに襲いかかった二人に声をかけた。
 全員が杖を持っているところを見ると、貴族崩れの傭兵が徒党を組んでいるのだろう。
 援軍を得た二人の男は強気な顔になってアレクを見る。
 新たに現れた男達も、この二人とそう変わらない実力ではありそうだったが、如何せん多勢に無勢。
 アレクは困ったように頭をかき、アンリエッタに話しかける。

「困ったね、アン」
「ええ、困ったわね、クレマンス」
「こういうときには有効な手が一つある」
「有効な手というと?」
「それは……」
「それは?」

 アレクはしかつめ顔になって言う。

「逃げる!」
「きゃっ!?」

 アレクは杖を振り濃い霧を生み出すと、アンリエッタを抱え素早く“フライ”を唱える。
 霧によって男達がこちらを見失った隙に宮殿へ向かって飛んでいった。

「うおっ!」
「何だこれは!?」
「おいっ! さっさと散らせ!」

 数人が魔法で風を起こし、霧を散らせる。
 しかし辺りを見回しても既にアレク達の姿はない。
 男達は悔しそうに舌を鳴らしその場を去った。





 宮殿へ着き、二人は変装を解いてからアンリエッタの私室へ向かった。
 最後には少し面倒な事態になったが、アンリエッタの様子は終止上機嫌そうであったため、気晴らしにはなったようである。
 それにアレクは満足そうに笑みを浮かべた。

「楽しかったわアレク! また行きたいわね!」
「ええ、そうですね。また機会があれ……」

 アンリエッタの私室のドアを開け中を見たアレクの言葉が止まる。
 彼女は不思議そうな顔をし、部屋の中をのぞき込むと、ピクリと頬を引きつらせた。

「殿下、どちらへおいでになったのですかな?」

 そこには仁王立ちになって待ちかまえるラ・ポルトの姿があった。
 額に血管を浮かび上がらせ、かなりキテル様子だ。

「二人とも、こちらへ」

 ラ・ポルトが指し示す先には並べられた二つの椅子。
 そこへ座れというのだろう。
 アレクは彼を説得しようと口を開く。

「ラ・ポルト様、アンリエッタ様は私が無理を言って……」
「座れ」
「はい」

 ラ・ポルトの一睨みであっさり諦めるアレク。
 後ろから「このヘタレが!」と言わんばかりの視線をアンリエッタが送ってくるが、怖いものはしかたない。
 身を縮めながら、二人は椅子に座った。
 そしていつも通りにラ・ポルトによって説教が始まるのであった。

 その後このことに味をしめたのか、アンリエッタは度々変装して城を抜けだすようになった。
 その度に彼女を捜し回り、ラ・ポルトに小言を言われるようになったアレクは、町に連れ出しなんてしなければよかったと、後悔することになる。




















前へ 目次へ 次へ