アレクの目の前には、アンリエッタと数名の女性の従者。
 それを囲むようにしている、5人の騎士。
 全員馬に乗っている。

 アンリエッタは何かを発見するたび、隣の従者へ話しかけている。
 従者と騎士はそんなアンリエッタが微笑ましいらしく、常に顔をほころばせていた。
 アレクはそれを少し離れた場所で見ている。

 アレクは元々アンリエッタの遊び相手として引き取られた。
 王族の遊び相手とはなかなか名誉なことであり、必然その立場は重要なものだが、いかんせん現在のアレクは平民である。
 そのため、彼の使用人内における地位はけして低くはないが、高いともいえない。

 それでも普段はアンリエッタの横にいることが多い。
 しかし現在アンリエッタの横にいる女性達は、三女四女などとはいえ貴族のご令嬢達である。
 宮廷内の私室など不特定多数の目に触れない場所ならともかく、このような外などで、貴族様方の中にアレクが入るわけにはいかない。
 なので若干離れた場所で、これまた馬に乗り付き従っている。

 また、アレクは普段宮廷内ではアンリエッタの側にいることが最も多いため、護衛の真似事のようなこともしている。
 何とか14の誕生日を迎える少し前に、トライアングルクラスと成れたアレク。
 とりあえずメイジとしての腕前は問題ないとされ、任されている。

 従者としての勉強や魔法の修練は一段落したが、今度は護衛としての修行を課せられた。
 それは戦闘能力を磨くというよりは、主を守るための能力を磨くことに終止している。
 基本的に宮廷内限定のため、接近戦のようなこともあるだろうと、衛士隊が持つような鉄拵えの1メイル強ほどの杖をつくった。
 今もそれを腰にぶら下げている。

 だが今回は護衛のプロともいえる騎士が周りを固めている。
 それ故アレクがアンリエッタの護衛をする必要がなく、近くにいる必要もない。
 なので現在のアレクは離れた場所にいるのだ。

「綺麗なお花」

 アンリエッタがそこここに咲散らばる花に目を奪われ馬を止める。
 馬上から身を乗り出し下を眺めた。
 馬も頭を下げ、草を食む。
 すると花の一つから蜂が飛び出た。

「きゃあ!!」

 それに驚いた馬が暴れ出す。
 アンリエッタは振り落とされないよう必死にしがみついている。
 どうやらそこ一帯に蜂は複数いたらしく、従者や騎士の馬も驚き暴れ出した。

「きゃあああ!」
「これ! 落ち着かんか!」
「どうどう!」

 それぞれ落ち着かせようと試みるが、一旦暴れ出した馬はそう簡単に大人しくならない。
 てんでバラバラに散っていく。
 するとアンリエッタを乗せた馬が興奮のあまり、近くにある森の中へ走っていってしまう。

「ああ! 殿下!」

 騎士の一人が驚きの声を出す。
 何とか馬を諫め追おうとするがうまくいかない。

「私が行きます!」

 一人離れた場所にいたため、アレクの馬はその被害を受けていない。
 唯一暴れていない馬に乗ったアレクが、アンリエッタを追って駆け出す。





 ただ力任せに走る馬は速い。
 アレクも目一杯飛ばしたが、なかなか捕まえられずに森の深くまで来てしまった。

「よしよし、いい子だ」

 何とか落ち着かせることができたアンリエッタの馬を撫でるアレク。
 アンリエッタは馬の上で荒く息を吐いている。
 ホッとした様子でアレクに声をかけるアンリエッタ。

「ありがとう、アレク」
「いいえ。では、戻りましょうか」
「はい」

 馬を並べ元の場所に戻ろうとする―――と、アンリエッタの背後に影が見えた。

「危ない!」
「え?」

 とっさにアンリエッタを引っ張り、馬上から転げ落ちるように飛び退く。
 影から繰り出された何かは、アンリエッタを庇ったアレクの背中を抉り、馬を2頭とも真っ二つにする。
 庇われたアンリエッタは何がなんだか分からない。

 転がる二人と殺された馬を挟み、反対側。
 そこにいるのは2メイルほどの身長、豚の顔と肥満した肉体を持つ亜人。
 木の陰からのそりと出てきたそれは、オーク鬼であった。

 手には大きな斧を持っている。
 それで攻撃してきたのだろう。
 さらにそのオーク鬼の後ろから、2体3体と続々出てくる。
 どうやら群でいたらしく、その総数は20体ほどにもなった。

「ひっ!」

 その醜悪な姿にアンリエッタは悲鳴を上げた。
 アレクはそのアンリエッタを背後に庇い、オーク鬼を見据える。

(少し拙いな……)

 額に汗を垂らすアレク。
 少々この状況は拙いものがある。
 オーク鬼は一体で、手だれの戦士5人に匹敵する。
 それが20もいるのだ。

 だがアレクも伊達にトライアングルメイジではない。
 メイジは一人で、平民の一個中隊に匹敵するといわれている。
 トライアングルクラスはメイジの中でも一級だ。
 アレク一人ならばこの場を切り抜けることはできる。

 そう、アレク一人ならば。

 背後にはオーク鬼に怯え、震えているアンリエッタがいる。
 彼女を庇いながらこの場を切り抜けるのは若干難しい。
 もちろんアンリエッタも魔法を使えるが、戦力には数えられない。

 アンリエッタは魔法を習っているが、あくまでそれは支配階級としての嗜み。
 戦闘を想定しての訓練などしていない。
 しかも彼女は水のメイジだ。
 他の系統より戦闘能力が劣っている。

 頑強さにおいては土系統に劣り。
 破壊力においては火系統に劣り。
 展開速度においては風系統に劣る。
 直接戦闘という場面では、水系統とはそんなものである。

 実はアレクも水系統のメイジだ。
 彼の場合はある程度の戦闘訓練を行っているため、そうそうオーク鬼に負けることはない。
 しかし彼は「守る」ことに重点を置いたため、攻撃呪文より防御やサポート系が得意である。
 そのためこの数のオーク鬼を一掃できるほど強力な呪文は打てない。

 さらに今は背中に傷を負っている。
 最初の斧でつけられた傷はそれなりに深く、大怪我といっていいほどだ。
 長期戦は不利。
 そう判断したアレクは腰の杖を抜き放ち、一か八かの覚悟で、ルーンを唱える。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 アレクの杖の先から、白い、ねっとりとした煙が溢れる。
 水のトライアングルスペル、“眠りの雲(スリープ・クラウド)”だ。

 本来“眠りの雲”は屋外での使用に向いていない。
 あくまでそれは煙状であるため、強い風が吹けばすぐに飛んでしまう可能性がある。
 例え風が吹かなくても、拡散して効果が薄くなる。
 また相手にとって逃げる場所が広いため、煙状で動きの遅い“眠りの雲”は避けやすい。

 よってアレクは、この呪文に通常よりも多い精神力を使い、強化した。
 拡散してしまうなら、それでも効くように濃く。
 逃げられてしまうなら、効果範囲を素早く広げる。
 アレクの放った“眠りの雲”は、一気に半径100メイルにまで広がり、視界が1メイル先も見えないほどの濃さで、オーク鬼を包んだ。

 しばらくして雲が晴れる。
 そこには倒れ込み、ぐっすり眠りこけているオーク鬼の群。
 それを確認し、アレクは力を抜いた。

「ア、アレク! 大丈夫!?」
「ええ、何とか」

 座り込んだアレクを心配するアンリエッタ。
 先ほどまで恐怖で気づかなかった、アレクの背中の傷にも気づいたようだ。
 その顔は真っ青になっている。

「今“治癒”の呪文を!」

 アンリエッタは杖を取り出す。
 ついで、ルーンを唱えようとするアンリエッタをアレクは押しとどめた。
 彼女は疑問の視線をアレクに向ける。
 しかしアレクの瞳は、森の奥を見つめていた。

「まだ、いるようです」

 そう言った直後、森の奥から、ここで寝ているオーク鬼達より一回り大きいオーク鬼が姿を現した。
 おそらくこの群のボスだろう。

(部下を偵察に出したのか? 頭が回るな)

 こちらが疲弊しているのが分かるようで、ゆっくりと近づいてくる。
 アレクはフラフラと立ち上がり前に出る。
 アレクが何かを呟き、杖を振ろうとした。
 しかしそれが見過ごされるはずもなく、ボスのオーク鬼は手に持った棍棒を振り下ろしてきた。

 少し早くアレクが杖を振り切った。
 しかし何も起こらない。
 先ほどの戦闘で、精神力を使い切ってしまったのだろうか。

 ボスのオーク鬼の棍棒がアレクに吸い込まれる。
 彼はそれを何とかギリギリ杖で受ける。
 鉄拵えのため折れることはなかったが、衝撃を受け止めきれず、吹き飛ばされ木にぶつかる。
 背中の傷に直接衝撃を受け、苦悶の表情を浮かべながら膝を崩す。
 倒れ込んだアレクにとどめを刺そうと近づくボスのオーク鬼。

「アレク!!」

 アンリエッタの悲痛な叫びが木霊する。

 ボスのオーク鬼のとどめの棍棒が振り下ろされ―――





「大丈夫、既に終わっています」





 ―――る前に、何かがボスのオーク鬼を羽交い締めにした。

 驚き後ろを振り返るボスのオーク鬼。
 そこには仲間であり、今まで寝ていたはずのオーク鬼の一体がいた。
 何故、と思うボスのオーク鬼にアレクが声をかける。

「さっきの呪文は攻撃用じゃない、そのオーク鬼を操る呪文だ。亜人に効くかどうか不安だったけど、うまくいったみたいで良かった。意識がなかったことも一因かな……って、畜生相手に何説明してんだ俺。何かやばい人みたい……」

 一人で勝手に喋り、一人で勝手に落ち込むアレク。
 たしかに端から見たらやばい人だ。

「それはともかく! これで今度こそ終了!」

 何とか復帰したアレクが、残りの精神力を振り絞りルーンを唱える。
 するとアレクの前に、巨大な氷の槍が出現した。
 “ジャベリン”である。

 アレクが杖を振ると、それは組み合っている2体のオーク鬼に向かい、諸共突き刺さる。
 その一撃で絶命し、2体は倒れた。
 それを確認したアレクは安心し、前のめりに倒れる。

「アレク! アレク!」

 アンリエッタが駆け寄ってくる。
 アレクはそれを視界の角に入れ、気を失った。





 アレクが気を失って10分後。
 ようやく騎士達がたどり着いた。
 彼らがそこで見たものは。

 眠りこける大量のオーク鬼。
 氷に矢に貫かれている2体のオーク鬼。
 背中からだくだくと血を流し、気を失っているアレク。
 そして泣きながらアレクの治療をしているアンリエッタの姿だった。

















 怪我が治り体調が回復した頃、アレクは呼び出しを受けた。
 王族の命を救ったことにより、その功績を認めシュヴァリエに叙することになったらしい。
 彼の目の前には玉座に座った国王がいる。
 アレクはシュヴァリエの紋が入ったマントを恭しく受け取り、それを羽織ってその場に跪く。

「アレクサンドルよ」
「はっ!」
「何か望みはあるか? 一つ叶えてやろう」

 その言葉にアレクはしばし悩み、口を開く。

「では、一つ叶えていただきたい願いが」
「申してみよ」
「はっ! それは……」

 アレクはその願いを口に出した。





 城の西に建てられた塔。
 その一角をアレクは歩いていた。
 この塔は貴人を幽閉するための場所として、その一部が牢屋になっている。
 彼がいる所は、終身刑や長期の懲役を科せられた者達が収容されている場所だ。

 アレクはある二つの部屋の前で足を止めた。
 それぞれ男性と女性が一人ずつ入っている。
 男性の方がアレクの存在に気づき、声をかけてきた。

「ん? まだ食事の時間には早いのではないか?」

 その声に反応し、女性の方もアレクを見る。

「食事ではありません」
「では何かしら?」

 女性の問いかけにアレクは答えられない。
 彼には目の前の光景がショックだった。
 予想はしていたが、いざ目にしてみると、意外に堪える。

 あの時よりもやせ細った体。
 あの時よりもハリがない声。
 あの時よりも近づいた目線。
 全てが懐かしく、辛いことだった。

「どうしたのかね?」

 男性が声をかける。
 アレクはそれに何とか声を出し応える。

「お久しぶりです……父上、母上……」

 その言葉ににアレクの目の前の二人は目を見開く。
 そして震える声でアレクに話しかける。

「まさか……アレクか……?」
「……はい」
「おお……なんてこと……」

 その二人はまさにアレクの父であるサン・テグジュペリ元伯爵と母のコレットだった。
 二人は息子との再会に涙している。
 アレクは今回の褒美に、両親と少しの間面会する事を希望した。
 二人はしばらく感動に浸っていたが、なぜここにアレクが来ているのか不思議に思い尋ねる。

「アレクよ、どうやってここへ来たのだ? 私たちと面会することはできんはずだが。それにそのマントは?」

 父親の質問にアレクは今回の経緯を話す。
 アンリエッタと遠乗りに出かけたこと。
 その際トラブルに出会い、自分が解決したこと。
 その報酬にシュヴァリエに叙され、二人に会うのを許可してもらったこと。
 一部始終を聞いた二人は喜び笑った。

「おお……よくやったアレク!」
「ええ、ええ、とても素晴らしいことをしたわ!」
「ありがとうございます、父上、母上」

 アレクはそう笑顔で言う。
 しかし、ふとその笑顔を消した。

「アレク、どうかしたのか?」
「いえ……」

 実を言うと、アレクはこの二人を両親と呼ぶのに違和感がある。
 この二人と過ごした期間は、4年と少し。
 普通の子供ならば、二人を親と認識するには十分なのだろうが、彼は生まれたときには既に自我があった。
 なので彼らが親という認識はあるが、心の底からそうであると思うのは、少し難しい。

(酷い奴だな、俺は……)

 心の中で自嘲する。
 二人が息子の自分をとてもかわいがっているのが分かるのに、自分はそんな人たちを親とは思い切れていないとは……。
 すると少し離れたところから、面会終了を知らせる声が聞こえた。
 アレクは二人を見て、名残惜しみながらも笑顔を浮かべる。

「今日はここで失礼します、長時間の面会は許されていないので」
「そうか……残念だな」

 言葉の通り残念そうな顔をする二人が、アレクには嬉しかった。

「また何か勲功をたてて会いに来ます」
「無理をするんじゃないぞ」
「私たちはあなたが元気でいてくれれば、それだけでいいわ」

 二人の言葉に笑顔で頷くアレク。
 二人に対して申し訳なさがあるが、それと同時に二人の息子であるという事実に誇りを持っている。
 いつか二人と自由に会えるように。
 いつか二人をここから出してあげることができるように。

 これからもっと頑張ろうと、アレクは誓うのであった。




















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