宮廷に引き取られた次の日から、アレクに対する厳しい教育が始まった。
 アレクには教育係がつけられ、その元で昼夜問わず侍従としての心得等を学ばされる。
 そこには元貴族に対する敬意などはなく、他の新米の使用人と何ら変わりない態度で接せられた。

 王族の侍従、それも現時点に置いて王位継承権第1位であるアンリエッタの相手ともなれば、それなり以上の教養を身につけなければならない。
 アレクは貴族の息子であったため、多少礼儀作法や立ち居振る舞いの教育をされていたが、ここで必要なのは王家の侍従として適当なものであったため、一から学ばなければならなかった。

 サン・テグジュペリ家での教育もそれなりに厳しいものではあったが、ここではそれ以上に厳しくされる。
 ちょっとした間違えでも怒鳴られ、時には鞭で叩かれることもあった。
 少しの粗相も許されない環境は、他の使用人見習いが次々と辞めてしまうほどである。

 しかしここを出るとまともに生きていけなくなる。
 見た目とは違い、精神的には成人に近いアレクは、それを理解しているため必死で頑張った。
 そこには、わざわざ自分のために国王へ願い出た両親の思いを、無碍にしてはならないという思いもあっただろう。
 アレクがここにいる経緯を知っている者はそう考え、幼い彼に同情していた。

 もちろんそんな考えも持っていたが、それ以前に当のアレクは周りが考えているほど辛くは思っていない。
 元々一般庶民で死ぬ前は会社の下っ端だった彼は、むしろ今までのように貴族の息子として敬れることの方が、むず痒くて居心地が悪かった。
 貴族だった頃は両親以外に怒られることなど無かったため、今の状況は以前に戻ったようで懐かしく感じられる。

 いくら怒鳴られ叩かれようとも辛さを感じさせず、いつも楽しそうに笑っているアレクを周りは不思議に思った。
 没落した貴族の子供が他の貴族の使用人などになることは少なからずある。
 そうなった者は大概プライドを傷つけられるか、辛くて逃げ出したりするのだ。

 一度周囲の一人がそのことをアレクに聞いてみたことがある。
 辛くないのか、と。
 そう聞かれたアレクは、一度キョトンとした後笑ってこう言った。

「まぁ、こんなもんじゃないの? むしろ少し楽しい」

 そう言うアレクに周囲の人間は驚き、そしてかわいそうな人を見る目になる。
 その目は明らかに「ああ……叩かれすぎて……」や「もしかして、そういうのが好きな……」という目つきだった。

「い、いや……違うよ? いっちゃったわけじゃないし、Mでもないからね?」

 アレクの言葉は誰にも信じてもらえなかった。
 そのことを人づてに聞いた教育係にまで「大丈夫か? 厳しすぎたか?」と心配される始末である。
 そう言われたアレクは、宮廷に来て初めて……涙を流した……。



 閑話休題。



 侍従としての教育に平行して、魔法の練習も課せられた。
 4才ながら多少魔法を使えると聞き、教育係は驚いていたようであった。
 それを話した次の日から、魔法用の教師をつけられ練習が始まる。

 それも厳しいものであった。
 やはり王家の直系であるアンリエッタに直接仕えるのならば、魔法の腕も平均以上でなければならない。
 最低でもトライアングル、できればスクウェア。

 日夜厳しい修行が行われ、アレクの体からは生傷が絶えることがない。
 ときには重傷といえるほどの怪我を負うこともあった。
 実技の前に座学をして、実技は体力と精神力が尽き果て気絶するまで続けられる。
 そうなっても侍従としての教育は行われ、アレクに休まる暇はなかった。

 しかしそれでもアレクはへこたれなかった。
 彼にとって魔法とは空想上の産物であり、この世界で生まれるまでは自身が使うことになるとは夢にも思っていなかった。
 そのためサン・テグジュペリ家にいた頃から、魔法には並々ならぬ興味を持っている。
 彼には教えられる知識の一つ一つが新鮮であり、自分が行使する魔法の一つ一つが夢のような出来事なのだ。

 必死に魔法を勉強する彼は、中身が成人男性ということもあり、見る見るうちに上達をした。
 魔法を本格的に習い初めて1年半が経つころには、アレクはラインまでになっていた。
 これには教師も「まるで、彼のオルレアン公のようだ」と驚き、もしかして逸材なのかもしれないと期待する。
 しかしそれを考え直すのは早かった。

 ラインまで上り詰めたアレクは、そこで成長が緩まる。
 さらに一年経ってもアレク魔法の腕が上達することはなかった。
 普通に考えればこの時点でラインというのは素晴らしいものであり、現在の成長速度も遅いというわけではない。
 しかし今までを考えるとガッカリせざるを得ない。

 ラインまでは凡人が努力すれば十分成れる。
 トライアングルはかなりの努力と少々の才能が必要。
 スクウェアは死ぬほどの努力と特別な才能、もしくは何らかの切っ掛けがなければ成れない。
 魔法の腕とはそういうものだ。

「最初は素晴らしい才能だと思ったんだがな……」

 アレクの教師はそう言いため息を吐く。
 彼は「十代でトライアングルに成るのは可能だろうが、おそらくそこで打ち止めだろう」と言った。
 アレクからすれば「褒めてもいいんじゃね?」と言いたくなるものだ。
 それはそうなのだが、教師は自分の教え子がハルケギニア随一のメイジに成る可能性もあったので、少々気落ちしてしまう。

 まぁそれでも十分一流だろうと思い、教師はそれまで以上にアレクヘ魔法を教え込む。
 アレクも嬉々として魔法の練習を行う。
 侍従としての教育も、魔法の練習も、アレクが一人前になるまでずっと続くのであった。

















 アレクが7才になる頃、彼は初めてアンリエッタと出会うことになる。
 既に3才になったアンリエッタは宮廷内を走り回り、周りの手を焼かせていた。
 遊び相手がいれば多少大人しくなるだろうとの考えから、アレクは彼女の玩具としてあてがわれることとなる。

 アレクはまずアンリエッタの侍従長であるラ・ポルトと引き合わされた。
 彼はどうやらお転婆なアンリエッタの相手に疲れていたようで、アレクの加入には喜んでいた。
 ラ・ポルトは貴族らしい貴族で、貴族でない者は元がそうであれ低く見る。
 そのためアレクに対してもぞんざいな扱いであるが、それ以上にアンリエッタの相手に疲れていたのか、他の使用人と比べると友好的であった。

 おそらくアレクが魔法を使えるというのもその一因だったのだろう。
 この世界において魔法とは貴族の証であり、誇りでもある。
 アレクのような元貴族などの例外を除き、魔法とは貴族の特権だ。

 貴族は魔法を使えて、平民は魔法を使えない。
 その理由は、アレクが習った限り、貴族は始祖ブリミルの血を継いでいるからである、とのことだった。
 これがアレクには不思議だった。

 自分のように没落した貴族がいるのならば、その元貴族と平民の間に子供が産まれることもあるはずだ。
 ならばその子供はブリミルの血を継いでいることになり、魔法が使えるのではないか。
 アレクはそう考えた。

 もっともその考えが合っているにせよ間違っているにせよ、現在のこの世界では、平民に対し魔法の教育を行うことなどできないだろう。
 そう考え諦めるアレクだが、いつか機会があれば試してみようと思っている。

 それはともかくとして、アレクはラ・ポルトに引き連れられアンリエッタの元へ向かう。
 使用人用の服装に着替え、アンリエッタの前に出て失礼がないよう身なりを整える。
 しばらくするとアンリエッタの自室へと着いた。
 ラ・ポルトがその扉をノックし、中へと声をかける。

「失礼しますぞ」
「はい、どうぞ」

 中からは成人しているだろう若い女性の声が聞こえた。
 おそらくメイドの一人が答えたのだろう。
 その声と共に、内側から扉が開かれた。
 扉が開ききると中へ入るラ・ポルトと、その後につくアレク。

 部屋の中には二人のメイドが控えていた。
 そして部屋の真ん中には子供用の椅子が置いてあり、その椅子には一人の小さな女の子がちょこんと腰掛けている。
 少女は栗色の髪を肩ほどまで伸ばし、可愛らしいヒラヒラのドレスを着ている。
 おそらく彼女がアンリエッタなのだろう。

 ラ・ポルトは、そのくりくりした瞳でこっちを見ているアンリエッタの前まで進む。
 アレクもその後に続いた。
 彼女の目の前まで来ると、跪き声をかけた。

「アンリエッタ殿下、ご機嫌はいかがですかな?」

 柔らかく微笑みながら声をかけてくるラ・ポルトをしばらく見つめ、アンリエッタは一言発する。

「ラポルト」
「はい、ラ・ポルトでございます」
「ラポルト!」

 何が面白いのか何度もラ・ポルトの名前を呼び、きゃらきゃらと笑うアンリエッタ。
 しばらくそんなやり取りを続けると、ラ・ポルトは後ろに跪いているアレクを見やる。
 その視線を受け、アレクは前へ進み出て、ラ・ポルトと並ぶようにアンリエッタの前に跪く。

「殿下、本日は殿下の遊び相手を連れて参りました」

 そのラ・ポルトの声に、アンリエッタはアレクの存在に気づいたのか、彼のことを不思議そうに見た。
 ラ・ポルトに促され、アレクは顔を上げるとアンリエッタに自己紹介をする。

「お初にお目にかかります、アンリエッタ様。本日はアンリエッタ様のお相手を務めたく、こうして参りました。アレクサンドルと申します。よろしければアレクとお呼び下さい」

 既に貴族でなくなったアレクは姓を名乗ることができない。
 今後貴族に復帰できる可能性も無いわけではないが、今の時点では彼はただの『アレクサンドル』である。
 じっとアレクを見つめるアンリエッタ。

「あれく?」
「はい、アレクと申します」
「遊ぶの?」
「アンリエッタ様のお許しが頂ければ」

 アレクがそう言うと、アンリエッタはぱぁっと笑う。
 そして椅子からピョンッと降りると、アレクにまとわりつき楽しそうに声を出した。

「遊びましょ! 何して遊ぶの? おままごと? ダンスする? それともお花を摘みに行く?」

 アレクの周りをクルクル回るアンリエッタ。
 彼女に笑いかけながら、アレクはラ・ポルトを見る。
 その視線を受け、ラ・ポルトは頷く。

「ねぇねぇねぇったら〜」

 アンリエッタはアレクの袖を掴み、急かす。
 ラ・ポルトはそれを微笑ましそうに見ながら立ち上がる。

「では殿下、私は失礼致します」

 ラ・ポルトはアンリエッタに声をかける。
 しかし彼女はもう遊ぶことしか考えていないのか、それに何の反応もせずアレクを引っ張っている。
 そんな様子に苦笑いをすると、ラ・ポルトはアンリエッタに一礼しメイド達に声をかけ、退室していった。

「ねぇアレク、早く遊びましょう!」
「ええ、遊びましょう」
「何するの!?」

 期待した顔でアレクを見るアンリエッタ。
 ワクワクした様子を隠さずに、体を揺らしている。

「そうですね、あやとりというものをしましょうか」
「あやとり?」
「はい」

 そう言うとアレクは懐から糸で作った輪を取り出す。
 せっかくなので、こちらではあまり馴染みのない遊びをしようと考えたアレク。
 その中で簡単にできるものの一つが、このあやとりだった。
 アンリエッタはそれを不思議そうに見る。

「それでどうやって遊ぶの?」
「これはこうして……」

 そう言いつつ、輪を弄くるアレク。
 少しすると完成し、それをアンリエッタに見せる。

「はい、これが橋です。で、これが……」

 それを解きまた弄くる。

「亀ですね」

 あやとりで作った亀をアンリエッタにみせる。
 ただの紐がくるくると様々なものに変わるのを見て、彼女は驚きの表情になった。

「すご〜い。ねぇ、どうやるの!?」

 キラキラした瞳でアレク見つめるアンリエッタ。
 どうやら興味を引けたようだ。
 アレクはアンリエッタ用に作っておいた小さめのあやとりを取り出し、それを彼女に渡す。

「はい、どうぞ。これはアンリエッタ様専用です」
「やった!」

 アンリエッタはそれを嬉しそうに受け取る。
 早速やり方を教えろとせがむアンリエッタに、アレクはゆっくりと自分のあやとりを動かしながら教える。
 アンリエッタはそれを見ながら弄くるが、うまくできない。

「アレク、できない」

 そう言うアンリエッタに微笑みかけると、アレクは自分のを放し彼女の手に自分の手を添えた。
 アンリエッタの小さな手をゆっくり動かしながらあやとりの仕方を教える。
 そうして何とかアンリエッタに気に入られることができたアレクは、彼女の遊び相手としての役割をこなすことができたようであった。




















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