5人の前には巨大な火竜の姿。
 まだ成竜ではないとはいえ、全長10メイルのその生き物は、自分たち人間とは比べられないほどの存在感を持っている。
 太く禍々しい爪と牙を持ち、炎の結晶のような鱗をもつ竜は、警戒するように5人を見ていた。
 元来、同じ竜種である風竜などと比べて気が荒い火竜は、自身の翼が傷ついていることもあってか、さらに気が立っているようだ。
 迂闊に近づくものなら、すぐさま火竜最大の武器である炎のブレスを放ってくるだろう。

 先頭にアレクが立ち、彼の左右には少し下がってアニエスとトマが弓矢を背負い並ぶ。
 さらに下がってリュシーとタバサが立つ。
 そしてアレクの側には、人型の何かが置いてあった。
 アレクはタバサを一度見て、彼女が頷くのを確認すると、アニエスとトマに声をかける。

「やってくれ」

 その言葉に二人は頷くと、背負っていた弓矢を取り出す。
 それを火竜に向かって構えると、狙いを定め討ちはなった。
 火竜との距離は、およそ20メイル離れている。
 ハルケギニアにおける弓は、それほど離れているとそうそう当たらないものだが、これは火竜に「敵がこちらにいる」と認識させるものなので、構わない。

 十も射れば二か三は当たるが、やはり効いた様子はない。
 しかし、ダメージがないとはいえ火竜は煩わしそうにしていた。
 咽を鳴らしながら、僅かに身を捩っている。

 しばらくの間そうしていると、火竜は焦れたように口を開いた。
 ブレスを吐く準備をしているのだ。
 口からゴボリと炎が溢れ、その熱量によって、僅かに周りの空気が揺らぐ。
 十分にそれをため込むと、火竜はアレク達に向かってブレスを吐き出した。
 太い炎の柱が真っ直ぐ向かってくるのを確認すると、アレクは他の皆に下がるよう言い、杖を振る。

 すると、アレクの前に大きな厚い水の壁ができあがった。
 前回とは違い、トライアングルクラスの水メイジであるアレクが十分に魔力を込めてつくりあげたそれは、火竜のブレスを正面から受け止める。
 しかし、成竜ではないとはいえ、火竜のブレス――怪我で弱っているため、威力は本来の半分ほどだろうが――は竜種において最も強力な威力を誇るものだ。
 アレクはその圧力に押される。

「ぐっ、ぅうぅぅっ!」

 額に脂汗をかきながら、アレクはさらに魔力を込める。
 数秒間の間、そのまま耐えると、目の前に広がっていたブレスが止んだ。
 アレクは予想以上の威力のそれに、防ぐのは2度が限度だろうと判断する。
 3度目は良くて軽減できる程度だろう。
 他の皆に急いでくれ、と目配せをすると、タバサが頷き杖を振った。

 火竜の体を、濃い霧が包み込む。
 完全に火竜の視界が隠し通せたのを確認すると、タバサ、アニエス、リュシーの3人が動き出す。
 タバサは“フライ”を唱え火竜の直上へ、アニエスとリュシーは火竜の真後ろへ回り込む。
 アレクは火竜がやたらに暴れ回るのを防ぐために、側に置いてあった人型の何かを、火竜へ向かわせた。
 そして、念のため距離をとろうと、トマと共に少し下がる。



 火竜はいきなり自身の体が霧に包まれたことに困惑した。
 これでは敵が見えない。
 しばらく霧がはれるのを待ったが、どうにもすぐにはれそうな気配はない。
 それに苛つき、火竜は口に炎を溜め、適当にブレスを吐き出そうとする―――と、自分の前方、少し上空から何かの影が向かってきていることに気づく。
 火竜は首を上げ、その影に向かってブレスを吐き出す。

 ブレスは直撃し、影は一瞬にして黒こげになった。
 影はバラバラになりながらも僅かに原形を残したまま落下する。
 しかし、影は先ほど火竜が見た人間のどれでもなかった。
 その正体は、アレクが御者の代わりとしてトリステインから連れてきていたガーゴイル。
 だが、火竜はそれに気づかない。
 火竜は強力な炎を持っているが、代わりに知能があまりよろしくないため、ガーゴイルを燃やし尽くしことによって、敵の一人を仕留めたと勘違いし、油断をする。



 霧に乗じて後ろに回り込んだアニエスとリュシーは、じっと火竜がいるであろう場所を見つめている。
 リュシーは杖を持つ手に力を込め、精神を高揚させることで強力な魔力を編む。
 少しすると霧がわずかにはれてきた。
 その中に火竜の影を見たアニエスが、傍らに立つリュシーへと声をかける。

「リュシー殿、今です」
「はい!」

 それに答えると同時に、リュシーは火竜へ向かい杖を振った。
 空気中の水分を集め、水の縄となったそれを火竜の体に巻き付ける。
 さらに魔力を操り、その水を氷へと変えた。
 その氷は火竜の体を覆い、完全にその動きを拘束する。

「おぉ……」

 最初の位置からさらに10メイルほど離れた場所で、トマと並んでそれを見ているアレクが感嘆する。
 火竜の巨体を容易く包み込み、そして抵抗をする間もなく瞬時に氷で動きを固める技術。
 一介の聖職者にできることではない。
 どうやら昨日の夜聞いた、「魔法の腕を磨こうと修練した」というのはでまかせではないらしい。
 単純な魔法戦なら自分より強いかも、とアレクは内心唸る。

 火竜はその拘束を破ろうと暴れ回る。
 しかし、強固に固められた氷はそれを許さない。
 が、いつまでも止めていられるわけもなく、10分もすれば氷は砕けるだろう。
 その前に火竜を無力化しなければならない。

 上空で待機していたタバサは、リュシーが火竜を拘束するのを見るや否や、“フライ”を操り降下する。
 火竜に気づかれないよう、かつ、出来るだけ早くその背に降り立つ。
 拘束を破ろうと吼えながら暴れる火竜の背で、振動に合わせるようにバランスをとると、ルーンを唱える。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 タバサによって唱えられた“眠りの雲スリープ・クラウド”は火竜の頭の周りに集中してまとわりつく。
 それによってようやく自身の背に何かがいることに気づいた火竜は、さらに激しく暴れる。
 氷が音をたててひび割れ、タバサは大きくなった揺れに体勢を崩しつつも、“眠りの雲”を止めない。

 “眠りの雲”は風などで簡単に散ってしまうため、本来屋外での仕様は向かない。
 しかし、うまく効けばこれ以上に、相手を無力化しやすい魔法はないのだ。
 何せ、くらった相手は問答無用で眠りにつくのだから。
 高位のメイジや、巨体を持つ幻獣などはある程度耐えることは出来るが、長い間かけ続けられれば、その効果に抗うことは出来ない。

 だが、逆に言えば、高位のメイジや幻獣にまともに効果をあたえるためには、時間がかかるということだ。
 今アレク達がいるのは屋外なため、遠距離から唱えたとしても火竜に届くことはない。
 必然、かなり近くに寄らなければならないことになるが、いくら体を拘束するとはいえ火竜の近距離で魔法をかけ続けるのはかなりの危険を伴う。
 この場に存在する3人のメイジの内、最も実力が高いタバサでなければ、暴れる火竜の上でバランスをとりながら“眠りの雲”をかけ続けることなどできないのだ。

 火竜の動きは徐々に弱まっていく。
 心なしか目も虚ろになっていき、今にも眠ってしまいそうな具合だ。
 このまま問題なく捕らえることが出来そうだ、と全員が安心したとき、細くなっていた火竜の眼がカッと開く。
 タバサがそれに気づき何か言おうとした瞬間、火竜の口から最期の足掻きかというように、前方に向かってブレスを吐き出した。

「っ!」

 アレクは自分たちに向かってくるブレスに目を見開く。
 遠目に見える火竜の状態から、いささか油断していた。
 目の前に迫るブレスに、急ぎ杖を振り壁をつくって防御する。
 しかし、急ごしらえなため、意識を失う寸前に力を振り絞って吐かれたブレスに対抗できず、あっさりと突き破かれた。

(まずっ!)

 炎の柱がアレクに当たる―――というところで、横から彼の体に何かがしがみつき、もろとも転がるように横へ飛んだ。
 側にひかえていたトマが、寸前の所でアレクを抱えブレスを避けたのだ。
 すぐ側を通り過ぎる高温に冷や汗を掻きながら、アレクは自分を助けたトマへ礼を言う。

「ああ、ありがとう、トマ。本気で助かった……」
「いえ、お怪我は?」
「大丈夫だ、お前こそ怪我はないか?」
「ええ、服が少し焦げましたが、特に怪我というほどのものは」

 そうか、とアレクは安堵の息をこぼす。
 火竜の方はどうなったかと視線をやると、そちらには丁度首を落とし意識を失ったようである火竜と、杖を下げ背から降りようとしているタバサの姿。
 そして、その後方からこちらへ駆け寄ってこようとする、アニエスとリュシーの姿がある。
 どうやら終わったようだ、とアレクは座り込んだまま、今度こそ体の力を抜いた。





「おおぅ、すごいぞこいつの鱗。ほら、ゴワゴワかつスベスベだ。なぁ、トマ」
「ええ、これはいい肌触りですね」

 あれから意識を失った火竜に、水の秘薬を用いて3人がかりで“治癒”をかけた。
 その甲斐あって、不自然に折れ曲がっていた火竜の翼は元通りになり、元気を取り戻している。
 目が覚めてからまた襲いかかられてはたまらないので、意識を失っている間に敵意を持たないよう魔法をかけたので、好意的、というほどではないが、火竜はアレク達に襲いかかろうとはせず大人しくしている。

 アレクとトマはそんな火竜をなでまくっている。
 初めて遭遇したときや、闘っているときは恐ろしかったが、こうして大人しくしている分にはつぶらな瞳が可愛らしい。
 二人とも初めて野生の竜を見たので、若干テンションが上がっているようだ。
 男はいくつになっても子供のままなのである。
 目をキラキラさせながら火竜にまとわりついている二人を、女性達は少し離れたところで呆れたように眺めていた。

「ここに上等の肉がある」

 アレクはどこからか一切れの肉を取り出す。
 そして、右手に持つそれをゆっくりと火竜の鼻先へ持っていく。
 すると、火竜は肉に鼻を近づけ、においをかぐ。

「肉に目がない様子だな」

 そう言い誘うように肉を揺らすと、火竜は肉を食らおうと、大口を開けた。
 アレクは心なしか目を光らせると、左手に隠し持っていたある物を火竜の口へ放り込んだ。

「そこに、不意打ちではしばみ草を食べさせてみるッ!」

 それは肉同様、いつの間にか持っていたはしばみ草だった。
 口に放り込まれたはしばみ草を、火竜は思わずのみ込んでしまう。
 そして、一瞬ピタリと動きを止めると、一転して叫き始めた。

“ビャアァァァ!”
「はっはっは! 悶えてる悶えてる!」

 火竜を指さしながら笑うアレクに、トマは苦笑いした。
 アレクはひとしきり笑うと、火竜をなでようと手をのばす。

「いやいや、悪かっぐふぅおわぁ!!」
「アレクサンドル様ァ!?」

 暴れる火竜の口先が、アレクの脇腹に激突し、彼を吹き飛ばす。
 トマは目の前から一瞬にして消え去ったアレクに驚愕の声をあげると、5メイルほど離れたところに倒れ込んだ彼に駆け寄った。
 そして、傍らに膝をつき、アレクの上体を抱え上げる。

「アレクサンドル様! ご無事ですか!?」
「うぅ……トマ……」

 トマの呼びかけに、アレクは弱々しく応える。
 それなりに飛ばされはしたが、ダメージとしては軽い方であったにも関わらず、アレクの口からは血がたれていた。
 よく見るとアレクの左手には、いつの間にか赤い液体が入った袋が握りしめられている。

「トマ……どうやら俺はここまでのようだ……」
「そんな!? しっかりしてください、アレクサンドル様!」

 アレクは震える手右手をトマに差し出した。
 トマはそれを握りしめ、アレクを励ますように声をかける。

「短い付き合いだったが……トマに出会えて良かったよ……」
「もったいないお言葉です……」
「最期にお前に言っておきたいことがあるんだ……」
「最期だなんて言わないでください!」

 アレクは顔に儚げな笑みを浮かべ、口を開く。

「『トマと〜』って言うと……『トマト〜』って聞こえるよな……ゲフゥ!」

 それだけを言うと、アレクは血を吐き首を落とした。

「アレクサンドル様? アレクサンドル様!?」

 トマはアレクの体を揺さぶるが、何の反応もない。
 それを確認すると、トマは顔を歪め、天に向かって雄叫びを上げた。

「だから何なんですか、アレクサンドル様ァァァアアァァアアアァァァ!!!?」

 それにしてもこのトマ、ノリノリである。





「アレクサンドル様は何をやってるんだ……?」

 アニエスは男二人が繰り広げているコントを見て、呆れたようにため息を吐く。
 どうやらトリステインから出たこともあり、ここしばらくいろいろと新鮮なものを見たことの喜びが、火竜を間近で見たことでピークがきたのか、アレクは今まで見たことがないほどはしゃいでいる。
 というか、トマはあんな性格だったのか、とアニエスは再度ため息を吐いた。

 と、アニエスは他の二人が何も反応をしないのを訝しがり、横に視線を向ける。
 隣にいるタバサは、昨日からよく見るように、黙々と本を読み続けていた。
 特に興味もないのだろう、彼女はいつも通りである。
 しかし、そのさらに隣にいるリュシーは、どこか落ち着かない様子でタバサをチラチラと窺っていた。
 アニエスがそれに内心首を傾げていると、横合いから声がかけられる。

「アニエス」

 その声に反応して、顔をそちらへ向けると、そこにはいつの間に近寄っていたのか、アレクが立っていた。

「もう終わったのですか?」
「ああ、火竜も飛び立ったしな」

 そう言いアレクは後方を親指で指す。
 アニエスがそちらへ視線をやると、翼を羽ばたかせ、ゆっくり飛び去っていく火竜の姿があった。
 それを確認して頷くと、アニエスは再度リュシーへ視線をやった。
 何を見ているのかと、アニエスの視線を辿ったアレクは、そこにタバサの様子を窺っているリュシーを見つける。

「ああ、リュシーか」
「アレクサンドル様は、何か知っているのでしょうか?」

 どこか訳知り風に言ったアレクに、アニエスは心持ち声のトーンを抑え尋ねた。
 アレクはそれに少し頷くと、トマの方に視線をやりながら口を開く。

「ああ、まぁな。ほら、トマもだ」

 アニエスがトマへ視線をやると、なるほど、少し離れたところでは、先ほどアレクとコントをやっていた者とは同人物とは思えない雰囲気で、トマも何か複雑な感情を込めた目でタバサを見ている。

「あいつもさっきから元気がなくてな」

 そう言うアレクに、アニエスは何か気づいたような顔をして話しかける。

「もしかして、トマの気を紛らわそうとあんなことを?」
「ん? ああ……まぁ、そう、かな?」

 切れ悪く頷くアレク。
 どうやらそういうつもりではなかったらしい。
 アニエスはジト目でアレクを見つめる。
 その視線にわずかに居心地が悪そうに身をすくめると、アレクは誤魔化すように口を開く。

「うん、まぁそれはおいといて。これは個人達の問題だからな、俺達が口を出すことじゃない。火竜を追い払うことも出来たし、修道院へ戻ろうか」

 そう言って、アニエスから離れ、タバサの元へ足を向けるアレク。
 どうにも誤魔化されたような気もするが、それほど間違ったことを言っているわけでもないので、アニエスは一つため息を吐くと、アレクの後を追う。
 そしてアレクがタバサへ何か言い、それに彼女が頷くと、他の2人へ声をかけ、修道院へ戻っていくのだった。

















 火竜を追い払ってから3日後。
 もう少しゆっくりしていってはどうか、と止める院長に、タバサは首を振り帰るというので、アレク達もそれにあわせて修道院から離れることにした。
 タバサは馬に乗り帰る準備をし、その側にはトマとリュシーがいる。
 アレクとアニエスは少し離れたところで3人を見ている。
 3人はしばらく何も言わずに向き合っていたが、意を決したようにトマが口を開いた。

「お嬢様、何故王政府に協力をしているのかは、お教えいただけないのですか?」

 その言葉に、今まで俯いていたリュシーも顔を上げ、タバサを見る。
 しかし、やはりタバサは黙して語ろうとしない。
 リュシーはタバサの様子に、理解できない、というように首を振る。

「シャルロット様は、もう何とも思っていられないのでしょうか? あの時のことを、忘れてしまったとでも?」

 リュシーの視界が涙でにじむ。
 タバサは彼女の顔を一度見ると、やはり何も言わずに手綱を握った。
 馬を操り、離れようとするタバサに、二人は声をかける。

「お待ち下さい、お嬢様!」
「シャルロット様、何か仰ってください!」

 タバサはその声に振り返り、無表情のまま、二人を突き放す。

「私はもう、シャルロットじゃない」

 そう言ったきり、二度と振り返ることなく去っていく。
 トマとリュシーは何も言えず、ただタバサの背中を眺めていることしかできなかった。

 アレクはタバサの姿が見えなくなったのを確認すると、二人へ近寄っていく。
 二人はアレクが近づいたことに気づいた様子もなく、呆然とタバサが走り去っていった方向を見ていた。
 そんな二人に自分の存在を気づかせるため、アレクは声をかける。

「リュシーさん。トマ」

 そこでようやく存在に気づいたようで、二人はハッと我に返りアレクの方へ向く。
 アレクは二人の様子に頓着することなく、唐突に話を切りだした。

「二人とも、これからどうするつもりなんだ?」

 その言葉に、二人は虚をつかれた顔をした。
 どうする、とはどういうことなのか、といった表情でアレクを見る。

「よければこちらに来ないか?」

 少しの間アレクが何を言っているのか分からなかったらしいが、リュシーは以前彼が言っていたことを思い出したようだ。
 つまり、他国の貴族からの引き抜き。
 しかし、トマはその話を聞いていなかったので、何のことやら分からない。
 アレクもそのことに気づき、トマへ説明をする。

「簡単に言えば、スカウトだ」
「スカウト、ですか?」
「ああ、ガリアから出て、こちらへ協力をしないか?」

 そう言われたものの、何と答えればいいか分からない。
 そもそも何の協力か分からないのだ。
 だが、アレクとしても内容が内容だけに、そうそう話すわけにもいかない。
 話すとすれば、こちらへ来ることが確定してからだ。
 しかし、アレクはこの二人を欲しいと思っている。

 火竜との戦闘を見る限り、リュシーの魔法の腕はかなりのものだ。
 それだけで見れば、同じトライアングルクラスのメイジと比べても、それなりに上位にくるだろうと思う。
 実戦を経験したことはあまりないだろうが、才能は十分なはずなので、追々鍛えればいいだろう。

 トマにしても、火竜と遭遇した夜に、彼自身が言っていたことを考えると、下手なメイジより強いはずだ。
 何より、今までごろつき同然の暮らしをしていたトマは、そういう方面の知識もあるだろう。
 それはむしろ、単純に強いというより必要になってくるものだとアレクは考える。

 しかし、二人はどう答えたものか、悩んでいる。
 なので、アレクは簡単な待遇くらいなら、と話すことにした。

「それなりに給金は出す、それ以外にも危険手当みたいのもあるしね。休みは不定期だけど、何もないときは長期間休みだということもあるだろう。どうだ?」

 それを聞いても、二人は答えない。
 トマはアレクが言った「危険手当」という単語から、そういう可能性があるものだと気づいたようだ。
 今の生活から抜け出せそうな話ではあるが、そう簡単に決められるものではない。
 アレクは二人の反応から、少し逆効果だったか、と思いつつ、あることを加える。

「二人がこちらへ来てくれるのなら……タバサ、いや、シャルロット・エレーヌ・オルレアンについても調べてみよう」

 「シャルロット」の一言は、二人にとって絶大だった。
 その言葉を聞いた瞬間、二人は目をむきアレクを見る。
 リュシーが微かに震えながら、口を開く。

「何故、あなたがシャルロット様のことを……?」

 リュシーの言葉に、アレクはただ笑みを浮かべるだけで答えた。
 というか、先ほどそんな離れていない場所にアレクとアニエスがいたというのに、特に警戒した様子もなく話しておいてそれはないだろう、と思う。
 タバサに気を取られすぎて、アレク達のことは忘れていたのかもしれない。
 それはともかく、とアレクは再度二人に問う。

「二人とも、どうする?」

 二人はしばらく口をつぐみ、アレクに自身の望みを言った。

















 今現在、アレクはトリステインの王宮、マザリーニの執務室にいた。
 修道院を離れた後、あまり期限まで時間がなかったので、リュリュに調べて貰った他の人物達を捜す余裕もなく、簡単にガリア国内を回っただけにして帰ってきたのだ。
 早朝に宮殿に着いたアレクは、できるだけ人目につかない方が良さそうだ、と忍び込むようにしてマザリーニの執務室を訪れた。

 マザリーニはアレクから渡された、報告書代わりの書簡を読んでいる。
 アレクはマザリーニがそれを読み終わるのを、何も言わずにその場で待つ。
 しばらくすると、一通り目を通したようで、書簡に落としていた顔を上げ、アレクに声をかけてきた。

「ふむ、ご苦労だった。しかし、一人二人で良いと言ったとはいえ、本当に二人だけとはな。それも一人はメイジではないときた」

 期待はずれだ、とでもいうように首を振るマザリーニへ、アレクはため息を吐く。

「無茶を仰らないでください。一月ではこれが精一杯です」

 アレクの言葉に、マザリーニは「まぁいい」と呟いた。

 結局トマとリュシーの二人はアレクの申し出を受けた。
 内心良くは思ってないかもしれないが、二人にとって「シャルロット」というのは、そうとう重いものだったらしい。
 その対象は現在、花壇騎士の一員であるため、簡単に何か分かるとも思えないが、個人だけでは調べることに限界はあるため、それなりに情報を集めれば、二人に不満は起こらないだろう。

 端からそのやり取りを見ていたアニエスは、少し不満そうにしていた。
 生真面目な彼女からすれば、弱みにつけ込むようなアレクの言動は、あまり良く映らなかったのだろう。
 二人に出したその条件はアレクの独断であったので、マザリーニからお仕置きがあるかと思っていたが、彼は特に何も言わなかった。
 これくらいなら問題ないようだ。

「ああ、もう下がっていいぞ。まだ殿下に顔を見せていないだろう? 行って来い」
「そう、ですね。では、失礼いたします」

 マザリーニの言葉を聞き、アレクはこの後のことを考えて少し気を落とすと、礼をして出ていった。
 ドアが閉まり足音が遠ざかっていくと、マザリーニはもう一度書簡に目を落とす。

(オルレアン公の娘、元王族のシャルロット、か)

 今回アレクがガリアに行ったことで起こったことの中、彼女との出会いが最も重要だろう。
 これが後々、吉と出るか凶と出るか。
 マザリーニにも分からなかった。





 アレクはアンリエッタの居室の前に立つと、一つ大きく深呼吸すると、意を決したようにドアを叩いた。
 すると、中から若い女性の声が返ってくる。

「誰?」
「アレクサンドルです。ただいま戻りました、アンリエッタ様」

 アレクがそう言うと、少し間が空き、中へはいるよう指示された。
 失礼します、と言いドアを開け、中へ入るアレク。
 部屋の真ん中では、アンリエッタが一人座っている。
 彼女の顔に笑みが浮かんでいるのを確認すると、アレクは心持ち気分が軽くなった。
 アレクがアンリエッタの前に跪くと、彼女は片手を差し出し、口を開く。

「お帰りなさい、アレク」
「ただ今帰りました。無断でアンリエッタ様のお側を離れてしまい、申し訳ありません」

 差し出された手に口づけをし、謝罪の言葉を言うアレク。
 アレクの言葉に、アンリエッタは首を振る。

「いいえ、いいのよアレク。アレクがマザリーニ枢機卿の指示に逆らえるわけはないものね」
「ありがとうございます」

 アレクは頭を下げる。

「ただ気晴らしに付き合ってもらえればいいわ」

 ついで、聞こえたアンリエッタの言葉にアレクは少し嫌な予感がした。

「気晴らし、ですか?」
「ええ」
「何をするのでしょうか?」

 怖ず怖ずと問いかけるアレクに、アンリエッタは心から楽しみにしていそうな笑顔で答える。

「宮殿を抜けだして町に出るわ、付き合いなさい」

 そう言い放ったアンリエッタに、アレクは内心頭を抱える。
 幼少時代ならまだしも、先王がすでに崩御している今、アンリエッタの価値はそのときより高い。
 わずかとはいえ危険な可能性がある所へ連れていけるはずもないのだ。
 本来アンリエッタが抜けだそうとするのを諫める立場であるアレクが、率先して手助けするわけにもいかない。
 なので、止めようと口を開くが、アレクが声を出す前にアンリエッタが先に声をかけた。

「アレクだって外で楽しんできたのだから、いいでしょう?」

 別にアレクとて遊んでいたわけでもないが、アンリエッタに無断で出たことに対する罪悪感が、反論を許さない。
 しかし、どうにかして止めようとアレクは口を開く。

「しかしですね……」
「そういえば、アレクは暇になるとよく町へ飲みに行っているそうですわね? それも私が聞いた限りでは女性の衛士ばかりと……」
「すぐに用意してまいります」

 即行で説得を諦めるアレク。
 どうやらアニエスやミシェルと飲みに行ってたことが、アンリエッタの耳に入っていたらしい。
 このままでは、何やらやぶ蛇になりそうだと判断した。
 アレクの了解の言葉を聞くと、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだ。

「ふふ、私も変装しておきますわ」

 アレクは一度アンリエッタに頭を下げると、自分も着替えるために部屋を出て、自室へ向かった。
 帰ってきたばかりで疲れそうだな、とため息を吐きつつ、アンリエッタに飲みに行っていることを知らされた原因になった奴をいつか見つけだし、復讐してやると胸に誓いながら。



 結局この後、アレクは一日中アンリエッタに付き合わせられた。
 アンリエッタは終止ご機嫌な様子だった。
 宮殿に帰ったら、久しぶりにラ・ポルトに説教をされた。




















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