アレクは杖を振り、アニエスの足に“治癒”をかける。
 すると彼女の足の火傷は見る見るうちに回復し、5分と経たない間に、そこに火傷があったという痕跡すら見えないほどになった。
 重度の怪我や病気ならば“水の秘薬”が必要になってくるが、幸いなことにアニエスの火傷はそれほど酷いものではなかったので、アレクの魔法だけで事足りたようだ。
 アニエスの足を一通り眺め、どこにも痕が残っていないことを確認すると、アレクは頷く。

「よし、大丈夫だな」
「はい、ありがとうございました」

 アレクの言葉を聞くと、彼に頭を下げた。
 ついで、アニエスは自分の足を見回すと、ふっと息を吐き呟く。

「やはり、魔法というものはすごいものですね……」

 感心したようでありながら、どこか憎々しげに言うアニエス。
 アレクは彼女の複雑な態度に首をかしげる。
 そういえば、とアレクはつい先ほどアニエスが話していた彼女の過去のことを思い出した。

 アニエスが言うには、彼女の故郷である村は、ある集団に焼かれたらしい。
 その村の生き残りが彼女一人だけだということから、徹底的であり、且つあっという間の出来事だったのだろう。
 この世界に、村ひとつを容易く――村人たちが逃げる暇もない間に――焼き払う兵器など、アレクが知りうる限り存在していないため、それを行ったのがメイジだということは想像に難くない。
 だとすると、アニエスは魔法に対して何か複雑な思いがあるのかもしれない。
 ひいては魔法を使用するメイジ、つまり貴族一般にも、おそらく否定的な感情を持っているだろう。

 そんなことを考えていると、アニエスが自分のことをじっと見ていることに、アレクは気がついた。
 眉を寄せた、あまり良いとはいえない表情。
 アレクはそんなアニエスに、できるだけ何でもないかのように声をかける。

「どうした? アニエス」
「いえ……」

 それっきり口を閉ざすアニエス。
 アレクは「そう」と答え、少し離れたところで飲み食いしている人たちを見る。
 彼の視線の先には、タバサと名乗った少女の姿があった。

















 アレク達はタバサと名乗った少女と共に修道院へ入る。
 火傷を負ったアニエスをシスターの一人に預け、それ以外の面々は、事の次第を院長へ説明し、それと同時に院長たちから説明を受けた。
 どうやら2・3週間ほど前から、森で火竜の姿を見かけたという人が多くいたらしい。
 修道院のシスターや近隣の村人たちからもそのことを聞いた院長は、領主に対して嘆願した。

「あなたが騎士様なのでしょうか?」

 院長がタバサを訝しげに見ながら言うと、彼女は無言で頷いた。
 どうやら院長は、タバサが花壇騎士だということを信じられないようだ。
 それもそうだろう、なにせ花壇騎士といえば、精鋭中の精鋭、魔法大国ガリアの中でも、指折りの達人たちの集団である。
 その精鋭であるはずの花壇騎士が、このような小さな少女だというのだ。

 アレクももちろん信じられなかったが、先ほど火竜の動きを止めた風の魔法を思い出すと、少し納得がいった。
 あれほどの魔法、おそらくトライアングル以上のメイジであろうとあたりをつけ、そのことを尋ねてみる。
 タバサが何も言わず、ただその実力を見せるように、窓から外へ向かって魔法を唱えた。
 常人には無理な速度で唱えられたルーンは、複数の氷の矢を生み出し、その一つ一つがぶつからずに1メイル四方もないない窓から飛び出していく。

「さすが……」

 アレクが感心しながら呟く。
 生まれもっていたのだろう膨大な魔力と、今までの修練が窺える精密なコントロールが感じられるそれを見て、院長たちは驚き感心し、疑ったことを詫び、あらためて願った。
 自分が疑られていたことなど気にした様子もなく、タバサは淡々と頷く。
 院長はそれに頭を下げ、タバサに詳しい依頼内容を話す。

「以前から火竜の目撃情報はあったのですが、まさかこれ程近くにいるとは……」

 頬に手を当て、ため息混じりでそうこぼす院長。
 アレク達が火竜と遭遇したところは、修道院から1リーグも離れていない場所である。
 これほど近くに潜んでいるとは思ってもいなかったようだ。
 院長はタバサに懇願するような目を向け、声をかける。

「出来る限り早くしていただきたいのです」

 その言葉に、タバサはまたしても何の感慨もなく、首を縦に振った。
 しかし、院長は一つの希望を出してくる。

「その、申し訳ありませんが……生かしたまま追い払うことはできませんでしょうか……?」

 院長の言うことには、ここが修道院である以上、その近くで殺生は行ってほしくないということらしい。
 もちろんそれは、たとえタバサが腕利きのメイジだとしても、難しいことだ。
 何より、その旨がタバサの持つ指令書に書かれていないものであったので、考慮する必要すらない訴えである。

「どうか、お願いいたします」

 深々と頭を下げる院長に、タバサは首を横に振る。
 何度も院長は頼み込むが、タバサはまともに反応すらしなかった。
 すると、それに業を煮やしたのかは分からないが、今までずっと黙ってタバサを見ていたリュシーが、急に口を開く。

「タバサ様……その、私も手伝いますので、どうかできないでしょうか?」

 何を言うのか、と周りの面々は目をむいてリュシーを見つめた。
 リュシーはそんな視線を気にした様子もなく、ただタバサを見て、訴える。

「私はこれでも水のトライアングルです。足手まといにはなりません」

 瞳に強い力を込めて言うリュシー。
 修道院の面々は、リュシーがそれ程の腕前を持つメイジだとは知らなかったらしく、ひどく驚いている。
 リュシーが元貴族だということは、アレクは知っていたが、まさかトライアングルクラスだとは思っても見ていなかったため、彼も内心驚いていた。

 それにしても、とアレクは考える。
 タバサは明らかにアレクより年下の、幼い少女。
 リュシーはアレクと同年代のシスター。
 ガリアの花壇騎士であるタバサは、先ほどの魔法行使から見ても、アレクが適いそうな相手ではない。
 さすがに聖職者であるリュシーに負けるつもりはないが、それでも彼女はアレクと同じ、トライアングルの水メイジ。
 これでもアンリエッタの従者として、それなり以上に厳しい訓練を受けてきたアレクだが、年下の少女には適いそうもない上に、同年代の聖職者と同クラスだと知り、少しヘコんだ。

 アレクが人知れず落ち込んでいる側で、リュシーはじっとタバサを見つめている。
 しかしタバサはやはり頷かない。
 どうしても駄目なのか、とリュシーが口を開きかけたとき、アレクの後方から男の声があがった。

「私も、お手伝いいたします」

 その声に全員がそちらへ振り返る。
 そこにはアレクが雇った男、トマがいた。
 アレクは何故彼がそんなことを言うのか分からず、首を傾げながら聞く。

「トマ、どういうことだ?」
「申し訳ありません、アレクサンドル様。しかし、私も是非加えていただければ、と思いまして」
「いや、加えるといっても、お前は……」
「はい、私は魔法は使えません。しかしメイジと闘ったこともあり、後れを取ったことはそうありません」

 無表情ながらも自信を持っていそうなトマ。
 彼は『メイジ殺し』なのだろうか、とアレクは考える。
 魔法を使えない身でありながら、メイジを倒しうる方法を持っている者をそう呼ぶことがあるのだ。

 だとしても、今回はメイジを相手取るわけではない。
 対象は、巨大な体を持つ火竜。
 魔法以外でこの場に火竜を傷つけることができる道具はない。
 いくら剣やナイフの腕が良くとも、火竜との戦闘で、そう役に立つことがあるとは思えないのだ。
 アレクはトマにそう言うが、彼は首を振る。

「囮くらいならできます」
「囮といってもな……」

 トマもリュシーと同じく、何故か撤回するつもりはないようだ。
 どうしてこの二人がそんなことを言うのかは分からないが、彼らはただタバサを見つめるだけである。
 だが、依然としてタバサは頷く様子はない。
 リュシーはどうにかタバサに首を縦に振ってもらおうと、説得を続ける。

「おそらく、あの火竜は怪我を負っているから、あそこへ留まっているのだと思います。なので、どうにかして怪我を癒すことができれば、離れていくのではないでしょうか?」

 たとえそうだとしても、あの火竜の怪我を癒すには、捕らえなければならない。
 近づくだけでも困難でありそうなのに、それを捕らえるとなると、たとえタバサが優秀なメイジであり、リュシーがトライアングルだとしても難しい。
 やはり、承諾はしないだろう、と思ったが、タバサは彼女の言葉に初めて反応し、ポツリと呟いた。

「それでいく」
「え?」

 タバサの反応は意外だったらしく、リュシーは呆けた声をあげた。
 言ってもみたものの、まさかタバサが頷くとは思っていなかったらしい。
 アレクも意外だったが、とりあえず受け入れてくれるならば問題はないだろう、と内心頷く。
 院長はタバサの言葉に、思わず身を乗り出し、彼女に声をかける。

「火竜を殺さずに追い払っていただけるのですか?」

 院長の言葉にタバサは頷く。
 それに、院長は頭を下げ感謝した。
 アレクは成り行きを見ていて、どうしようか考える。
 どうやらリュシーとトマは、このままタバサを手伝うつもりらしい。
 火竜の捕獲、という困難なことをすれば、タバサはともかくリュシーとトマはおそらく負傷するだろう。
 アレクとしては、それはあまり良いことではない。
 なので、アレクはタバサに声をかける。

「私もお手伝いいたしましょう。自信があるわけでもありませんが、一応リュシーさんと同じ水のトライアングルなので、足手まといにはならないかと。何かバランスが偏っていますけどね」

 そう言ってアレクは苦笑いする。
 火竜が羽を怪我して空を飛べない以上、もし土のメイジがいれば捕獲は比較的容易くなるが、そう贅沢も言ってられないだろう。
 タバサはアレクに視線を向け、じっと見る。
 先ほど一通りのことを説明している途中、アレクは他国の貴族だということを言ったので、いささか考慮しているのかもしれない。
 が、少し時間が経つと、タバサは首を縦に振った。
 アレクは安心したように笑い、全員へ声をかける。

「では、どうやって火竜を捕らえるか考えましょうか」

















 その後、どうするか話し合い、一通り決まる頃には夕食時になったので、院長から食事を出された。
 タバサはもちろんのこと、アレク達も泊まっていくように誘われたため、それに甘えることにして、食事を頂いたのだ。
 食事が終わり、少し離れたところでアニエスの治療をしたアレクは、まだ食卓にいる人たちを見ている。
 そんなアレクに、アニエスが怖ず怖ずと声をかけてきた。

「アレクサンドル様」
「ん?」

 アレクはアニエスに向き直る。
 アニエスはアレクの視線を受け少し目を逸らすが、どこか決心したように話を切り出す。

「あの、私の過去についてなのですが……」
「ああ……大丈夫、誰にも話さないから」
「そうですか……ありがとうございます」

 ホッとしたように息を吐き出し、頭を下げるアニエス。
 アレクとしても気にならないわけではないが、根ほり葉ほり聞くつもりもなく、誰かに話すような話題でもない。
 しかし、アレクは少し気になり、アニエスに声をかける。

「アニエス?」
「何でしょうか?」
「アニエスは、メイジが嫌いだな?」

 アレクの言葉に、アニエスは顔を暗くして答える。

「……はい、特に火のメイジは」

 村が焼かれたということで、火は苦手なのだろう。
 アレクは頷き、続ける。

「じゃあ、俺も嫌いかな? 実はいつか寝首を掻こうとしてるとか?」
「は?」

 思わず間抜けた声を出すアニエス。
 少しすると、慌てたように口を開く。

「い、いえ、そんなことは考えていません!」
「ああ、そうか。良かった良かった」
「当たり前でしょう」

 アニエスは苦笑いする。
 もしかしたらアニエスは自分のことが嫌いだが、命令としてしかたなく普段から付き合っていたのではないか、とアレクは少し考えて質問した。
 もしそうだったら悪いな、と思ったがそうではないようなので、安心する。

「じゃあそろそろ部屋に戻るか、明日に備えなきゃな。アニエスも参加するんだろう?」
「はい、では私も休みます」

 アレクが立ち上がりながら言うと、アニエスも頷き立ち上がる。
 シスターに連れられ離れていたアニエスに、アレクは夕食前に説明をしたところ、アニエスもそれに加えてくれと言った。
 アニエスとしては、アレクやリュシーが参加するというのに、自分が何もしないというのは考えられないらしい。
 タバサにそのことを言ってみたところ、彼女が了承したので、アニエスも参加することになったのだ。

 院長達に声をかけ部屋に引っ込もうとしたアレクは、一度タバサを見る。
 他の皆が夕食を食べ終わっている中、タバサはまだ黙々と食べていた。
 あの小さな体にどうしてそれ程入るのか、と疑問に思う。

 しかも、タバサの前にあるのは、『はしばみ草』のサラダ。
 体には良いらしいが、あまりにも苦すぎて食べられる人はほとんどいないという野菜だ。
 それなのに、何故かハルケギニア中に普及している不思議な野菜。
 アレクももちろん苦手である。
 そんな物をひたすらに食べているタバサに戦慄し、アレクは僅かに震える唇を開く。

「ガリアの花壇騎士は化け物か……!」

 言ってみたかっただけのアレクであった。

















 修道院の与えられた一室で、タバサは一人黙々と本を読んでいた。
 彼女の顔には明日の任務に対する不安などは一切感じられず、まったくの無表情である。
 すると、本のページをめくる音しかしない部屋に、ドアをノックする音が響いた。
 タバサは本に落としていた顔を上げ、ドアに声をかける。

「誰?」
「失礼いたします、タバサ様。トマです」

 若い男の声が聞こえた。
 タバサはトマのことを思い出すと、再度声をかける。

「何の用?」
「少々お話ししたいことがございまして」

 タバサは少し考えると、側に置いてある杖を持ち上げる。
 ドアには鍵をかける魔法がかかっていたのだろう、タバサが杖を振ると、ドアの鍵が開く音がした。

「入って」

 許可の言葉を聞くと、ドアが開く。
 そこから長い銀髪の男、トマが入ってきた。
 トマはタバサに向かって頭を下げ、再度頭を下げる。

「このような夜分に失礼いたします」
「用件は?」

 トマの謝罪を必要ない、とでもいうように、タバサは来訪の用件を尋ねた。
 そんなタバサにトマは笑いかけると、口を開く。

「失礼ながら、タバサ様はまだ幼いご様子でありながら、騎士になれるほどの腕前とは、よほど魔法の才能に恵まれていらっしゃるようで」

 わざわざこの様な夜中に訪れ、世間話を始めるトマに、タバサは顔には出さずに不思議に思う。
 タバサの様子に気づかずに、トマは話を続ける。

「ご両親も素晴らしいメイジだったのでしょう」

 どこか懐かしむように話すトマ。
 タバサはトマがわざわざ「だった」と過去形で話したことが引っかかり、考え込む。
 少しすると何か思いついたのか、未だ話し続けているトマに、タバサは声をかける。

「トーマス」

 タバサの言葉に、トマは笑みを深めた。

「はい、オルレアンの屋敷でコック長を勤めさせていただいていたドナルドの息子、トーマスでございます。お久しぶりでございます、シャルロット様」

 そう言い深々と頭を下げるトマ。

「このような場所で再会できるとは……。シャルロット様がアレクサンドル様方と現れたときは、飛び上がるほど驚きました」

 感慨深げに続ける。

「あれ以来、お嬢様のこと案じていました。私ども使用人にはお嬢様の処遇など知らされていなかったものですので。様々な噂を耳に入れました。他国に人質として取られた、平民に身をやつされた、エチエンヌの城で幽閉されている、など……」

 そこで初めて僅かに顔をしかませる。

「元気なご様子でいられたのは安心しました―――が、よもや花壇騎士になっているとは……思いも寄りませんでした」

 トマはタバサに真摯な視線を向ける。

「何故、王政府に仕えているのでしょうか? 誰よりもジョゼフ王を恨んでいるはずのあなたが……」

 首を振りながらそう言うトマ。
 タバサは何も言わずにトマを見ている。
 その顔からは、感情を窺うことは出来ない。

「シャルロットお嬢様―――」

 そんなタバサに続けて声をかけようとするトマだが、急にドアが開け放れる音がしたので、中断する。
 トマトタバサはそろってドアに視線を向けた。
 そこにいたのは、蒼白な顔色のリュシー。
 どうやら外で聞き耳をたてていたようだ。
 彼女は困惑したようなトマを気にかけず、タバサに歩み寄る。

「やはり……あなたはシャルロット様だったのですね?」

 震えた声で、リュシーはタバサに声をかけた。
 そして、自らの胸の内に溜まっていたものを吐き出すかのように話し始める。

「私の父は、オルレアン公に仕えておりました。とはいっても、お屋敷の敷居をまたげるほどの身分ではありませんでしたが……」

 それにタバサは僅かに眉を動かし、トマは目を見張った。

「オルレアン公が、狩猟中の『事故』で亡くなった後、宮廷に吹き荒れた粛清の嵐によって、父も処刑されたました。それによって一家が散り散りになり、私はこの修道院に身を寄せ出家いたしました。もう世俗のことへ関わりたくなかったのです」

 リュシーは少し口をつぐみ、しかし、と続ける。

「いくら日が経とうとも、あの頃の気持ちを忘れることができなかったのです。どうしても忘れられない私は決心いたしました、そう―――いつかジョゼフ王へ復讐をしようと」

 部屋の空気が僅かに重くなる。

「それ以来、機会を窺っていました。魔法の腕を磨こうと修練をし、今ではトライアングルになっています。禁術、というものにも手をかけました。それもこれもジョゼフ王へ復讐をするためです。ですが……シャルロット様は何故、騎士などになられたのですか? 誰よりも、私以上に復讐心を胸に秘めざるを得ないあなたが!」

 思わず声を張り上げるリュシー。
 タバサは何も言わず、リュシーを見つめ続けた。
 さらに詰め寄ろうとしたリュシーの隣に、トマが並び立つ。

「父はあの後、すぐに他界いたしました。最期までお嬢様の身を案じておりました。もちろん私も今までずっと。……私にはお嬢様の考えが分かりません。何故、王政府に協力するのですか? 私には、理解できません……」

 タバサの真意を聞こうと、二人は真摯に彼女を見つめる。
 だが、タバサは何の反応もしなかった。
 感情のない、人形のような目で、二人を見つめるのみである。

「お嬢様……」

 トマが声をかけるが、やはり反応しない。
 そのまましばらく時間が経つと、タバサは急に布団へ潜り込んだ。

「もう寝る」

 そう言ったきり、何も声を発さなかった。

「お嬢様」
「シャルロット様!」

 二人が何度か声をかけるが、タバサは黙ったままであった。
 その様子をしばらく見ていた二人だが、タバサがこれ以上何も話すつもりがないことを察すると、ドアへ向かう。
 二人はタバサへ頭を下げると、部屋を出ていった。





 トマとリュシーは、タバサの部屋を出ると無言で別れ、それぞれの部屋へ向かった。
 二人の姿がそこからいなくなると、廊下の角から一つの人影が出てくる。
 その人影は、アレクであった。

 アレクは用を足し部屋に戻る途中、どこかへ向かうリュシーに姿を見かけた。
 このような夜更けに一人でどこかへ向かおうとするリュシーを不思議に思う、後をつけたのだ。
 すると、リュシーがある部屋の前に立ち止まり、しばらくすると慌てて中へはいるのを見た。
 そこがタバサの部屋だと思い出すと、アレクは不審に思い外で聞き耳をたてたのである。

「シャルロット様、ね……」

 まさか、という気持ちであった。
 オルレアン公の娘であるシャルロット。
 生前オルレアン公が先王の名代としてトリステインに来たとき、一度見かけたことがある。
 遠目からであったが、その時の彼女は、青い髪を長く伸ばし、元気な少女であったはずだ。

 しかし、今の彼女はそれとは真逆の少女。
 まるで人形のように感情を表さず、髪も短く切っている。
 しかも、花壇騎士の一員であるというのだ。

「どうしたもんかね」

 アレクは困ったように頭を掻く。
 彼がどうこうしたところで、トマやリュシーの気持ちがどうにかなるとは思えないが、知ってしまった以上放置するのもどうかと思う。
 何故、ジョゼフ王に忙殺されたというオルレアン公の娘が王政府に協力しているのかも、気になる。
 しばらくそこに立ち止まったまま考えるが、良い案は浮かばない。
 アレクは一つため息を吐き、とりあえず明日に備えて寝ようと、自分の部屋へ足を向けた。





 タバサの部屋には、彼女の寝息だけが僅かに響いている。
 二人が出ていった後、タバサはすぐに眠りについた。
 静かに眠り続けるタバサが、一言、寝言を呟く。

「父さま」

 タバサの瞳から、一粒の涙がこぼれる。

「父さま」

 タバサは同じ言葉を呟く。
 部屋には月の光が差し込み、タバサの顔を照らす。
 その光を受け、頬をつたう涙が輝いた。



 タバサの言葉は、誰にも聞かれることはない。




















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