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 ドサリ、という音と共に、アンリエッタの前に多数の書簡が置かれる。
 アンリエッタはその重そうな音を聞いただけでうんざりとし、嫌そうにため息をついた。
 さすがに多いだろう、という抗議を含めた目を、書簡を置いた張本人、マザリーニへ向ける。
 しかしマザリーニそんな彼女の視線を気にした様子もなく、しれっと言い放つ。

「これらは今日中に目を通してくだされ」

 そんなマザリーニに言っても無駄だと覚ったのか、アンリエッタはもう一度ため息を吐くと、書簡の一つを手に取った。
 アンリエッタが読み始めるのを確認すると、マザリーニは頷き扉へ向かう。
 ドアノブに手をかけ部屋を出ようとするマザリーニの背へ、アンリエッタから声がかけられる。

「マザリーニ枢機卿、アレクはいつ帰ってくるのですか?」
「昨日もお答えしたはずですぞ。あと半月もすれば帰ってきます」

 このところ何度も同じ質問を繰り返し聞かれているマザリーニは、呆れたような顔をして答えた。
 アンリエッタはマザリーニの答えに、唇をとがらせる。
 彼女自身何度も同じことを聞いていることは自覚しているが、いつも側にひかえているはずのアレクがいないというのは、寂しいというか違和感があるのだ。

 およそ半月前、アレクに命令を下したマザリーニは、彼が出立した後にアンリエッタへ「使いを頼んだ」と告げた。
 報告を受けた当初は、もちろん憤慨したアンリエッタ。
 アレクの身柄が国に保有されているとはいえ、彼の立場はアンリエッタの従者である。
 その従者を主人であるアンリエッタの許可なく使用するというのは、いくらマザリーニといえど失礼というものだ。

 マザリーニはアンリエッタがそういう反応をするだろうと予想していたので、彼女が文句を言い続ける間はじっと黙って聞き、一通り言い終えて少し冷静になった彼女に、事前に考えておいた理由を話した。
 アンリエッタに黙ってアレクを使いに出したことについては、急なことであり、事前に彼女へ報告する暇がなかった、と頭を下げたのだ。
 従者一人のことについてマザリーニに罰を与えることなどできるはずもなく、さらに頭を下げられては許すしかない。
 一月だけのことだ、とその場は引いたのだが、これ程長い間アレクと離れることのなかったアンリエッタは、数日前からそわそわとしだしたのである。
 どうも、いつもいるはずの者がいないということが落ち着かないらしい。
 なのでアンリエッタはここ数日、何度もマザリーニへ同じ質問を繰り返している。

「では、失礼いたします、殿下」

 マザリーニはそう言うと、頭を下げ部屋を出ていった。
 閉まるドアを少しの間見続けると、アンリエッタは、また、ため息を吐き、あらためて書簡に目を落とした。





 アンリエッタの居室を出て、自分の部屋へと向かうマザリーニはその途中、ある女性に声をかけられた。
 彼の視線の先には、先ほどまで会っていたアンリエッタの母である女性。
 マリアンヌ太后が数人の侍女を引き連れて立っていた。
 マリアンヌは国政には基本的に関わらないため、普段は自身へ声をかけることなどそうないので、マザリーニは意外そうな顔をして、挨拶をする。

「これは、太后陛下」

 そう言い深々と頭を下げるマザリーニに、マリアンヌは手を振り頭を上げるように示す。
 マザリーニは頭を上げ、あらためて何用か、とマリアンヌへ問いかけた。
 マリアンヌは顔にうっすらと笑みをはりつけたまま、口を開く。

「私の娘に随分と厳しくしているようね、マザリーニ枢機卿」

 その言葉に、マザリーニはやせ細った自身の顔を撫でながら答える。

「さすがに私一人で政治を行うのは無理がありますからな、殿下には快く手伝って頂いております。日々の激務をこなすには、この老骨だけではどうにもこうにも……」

 心底まいっているような顔をして言うマザリーニ。
 少々オーバーだが、そう間違ってはいない言葉に、マリアンヌは感謝の気持ちを込めて口を開く。

「あなたには感謝していますよ、マザリーニ枢機卿。ヘンリー亡き後、このトリステインはあなたでもっているようなものですから」
「ご過分なお言葉、真にありがとうございます、陛下」

 深々と頭を下げるマザリーニ。
 マリアンヌは彼に頷きかけると、しかし、と話をつなげる。

「あまりアンリエッタをいじめないように頼むわね、あの子も疲れてしまうわ」
「いじめるなどと……」
「それと」

 マリアンヌの言葉に、首を振って否定しようとするマザリーニ。
 それを遮るように、マリアンヌは目を細めて言葉を続ける。

「アレクサンドルをガリアへ送ったそうね?」

 それを聞いたマザリーニは、内心「どこで聞いたのやら」と思う。
 誤魔化そうかとも考えたが、おそらくマリアンヌは確信した上で尋ねているのだろうと判断し、素直に肯定する。

「はい、少々使いを頼みまして」
「使い、ね……」
「使いでございます」

 重ねて尋ねるように、言葉を繰り返すマリアンヌに、マザリーニは顔をピクリとも動かさずに言った。
 マリアンヌは少しの間、何かを考えるようにじっとマザリーニを見ていたが、急にフッと息を吐き、表情をゆるめる。

「そう。あなたが何をしようとかまわないけれど、アンリエッタに悪影響がないように頼むわよ。アレクサンドルに何を吹き込むつもりかは分からないけれど、ほどほどに。アレに余計なことをすると、アンリエッタにも影響が出るかもしれないから。私の愛しい娘は、存外アレを気に入っているようですからね」

 マリアンヌは唯一の肉親であるアンリエッタを溺愛している。
 彼女が最優先するのは、娘の安全と幸せ。
 それを阻害するような原因は、何であろうが許しはしない。
 たとえそれが、アンリエッタが望むものであろうとも、だ。

 王族としての最低限の常識をわきまえてはいるが、マリアンヌは私人としての考えを優先する傾向がある。
 もしアンリエッタの安全と幸せに不都合なものがでたとしたら、マリアンヌは一切の躊躇も見せず排除するだろう。
 彼女は隠居した今もなお、それをできるだけの影響力を持っているのだ。
 マザリーニはマリアンヌを崇敬しているが、その部分においては、警戒すべき人物だと判断している。

「肝に銘じておきます」

 マザリーニの言葉を聞くと、マリアンヌは笑みを浮かべ去っていった。
 彼女の姿が見えなくなると、マザリーニはため息を吐く。
 もしマリアンヌが、女王として即位していれば、これほど気に病むこともなかったかもしれない。
 先王崩御以後、よく痛むようになった胃を押さえつつ、マザリーニは自分の執務室へと向かった。

















 ルションにあるリュリュの家から目的の修道院までは、急げば3日ほどで着く。
 期間もたいしてないので、できるだけ早く着きたいとは思うが、何せアレクはトリステインから出たのは初めてのため、道中の街などを少しぶらついてみたい気持ちがあった。
 なので、アレクは「外国のことを知る良い機会だ」などと言って、あちらこちらを見回っている。
 アニエスもアレクと同様、トリステインから出たのは初めてなので、やはり興味があるのか、特に異論は挟まなかった。

 アレクは道中の町で、一人の男を雇った。
 アレクもアニエスもガリアへ来たことはないので、道案内が必要だと判断したのだ。
 長い銀髪と切れ長の目を持った、アレクとそう変わらない年頃の、端正な顔を立ちをした男。
 『トマ』と名乗った男を、ガーゴイルの変わりに御者台に乗せ、馬車を走らせる。

「アレクサンドル様、アニエス様。もうじき目的の修道院に到着いたします」

 御者台にいるトマが馬車の中へと声をかけた。
 アニエスは、現在は貴族令嬢のフリをしているとはいえ、今まで『様』をつけて呼ばれることがなかったため、むず痒そうにしている。
 アレクはそんなアニエスの様子に苦笑いをした後、外へ視線を向けた。

 少々時間をかけて進んでいたため、リュリュの家を後にしてから、すでに5日経っている。
 帰りの時間を考えると、もしここで何も得られなかったのならば、手ぶらでトリステインに帰ることになりかねない。
 これから会うリュシーという女性から、せめて情報だけでも得られればいいな、とアレクが考えていると、馬車が止まった。

 御者台からトマが降り、扉を開ける。
 まずアレクが馬車を降りてから、アニエスをエスコートするように手を出す。
 それに慣れないためか、アニエスは怖ず怖ずとアレクの手を借り、馬車から出る。
 3人は修道院の入り口まで歩き、そこからアレクが中へ声をかけた。
 すると、扉が開き、初老の女性が顔を覗かせる。

「あら、どうされました?」

 聖職者が着るローブに身を包んだ女性は、意外そうにアレク達を見た。
 修道院に来る客としては、若い貴族が女連れで召使いを一人だけ連れている、というのは珍しいのかもしれない。
 アレクは自分はけして怪しい者ではない、とでもいうように柔らかく微笑み、目の前の女性に話しかけた。

「私はルションの方からまいりました、アレクサンドル・ド・サン・ジョルジュと申します。突然失礼ですが、シスター・リュシーはいらっしゃいますか?」

 少し詐欺っぽい自己紹介をするアレク。

「シスター・リュシーに御用でいらっしゃいますの? 少々お待ち下さい、今呼んでまいりますわ」

 女性は特に怪しむ様子もなく、奥へと引っ込んでいった。
 3人が少しの間そこで待っていると、扉が開き、若い女性が出てくる。
 金髪を結い上げた、20になるかならないかといった年頃の女性。
 彼女がリュシーなのだろう。
 リュシーはアレク達を見て、少し困惑気味に口を開く。

「私がリュシーです。あの、あなた方は……?」
「初めまして、アレクサンドルと申します。そしてこちらが」
「アニエスと申します」

 自身の紹介をした後、アレクはアニエスに手を向け、彼女はそれを受けるように口を開き、二人そろって礼をした。
 リュシーは戸惑いつつも、それにつられるように頭を下げると、訝しげにアレクに声をかける。

「初めまして、ということは、どこかでお会いしたことがあるというわけでは……」
「ええ、ございません」

 尋ねてきた3人の中には、リュシーが見知った顔はない。
 もしかして自分が忘れているのだろうか、と思ったリュシーは、確かめるように尋ねたが、アレクが会っていないということに同意したため、自分の思い違いではないと分かる。
 では、と続けるリュシー。

「どのようなご用件なのでしょうか?」
「実はあなたにお聞きしたことがございまして」
「私に聞きたいこと、ですか?」

 アレクの言葉にリュシーは首を傾げる。
 彼女には貴族に何かを尋ねられるような覚えはない。

「それならば、とりあえず中へ……」
「ああ、いえ、できれば少し外へ出られますでしょうか?」

 無碍に追い返すというのははばかられるため、とりあえず修道院の中へ招こうとするリュシーだが、アレクはそれを遮り、彼女に外へでないか、と誘う。

「外へ、ですか?」
「はい、できれば他の方の目につかない場所がいいのですが」

 リュシーはアレクの言葉に眉を寄せた。
 やはり不躾だっただろうか、とアレクは心配したが、リュシーは少し考えると、「少々お待ち下さい、院長に告げてきます」と言い中へ入っていった。  しばらくそこで待っていると、リュシーが出てきて、アレクに声をかける。

「お待たせしました、ではどこへ?」
「そうですね、散歩でもしながら話しましょうか。トマはここで待っていてくれ」
「かしこまりました」

 リュシーの言葉にアレクは近くにある森を指す。
 そしてトマに指示し、彼が頷くのを確認すると、アニエスとリュシーを引き連れ歩き出した。





「リュシーさんはいつから修道院へ?」
「そうですね、そろそろ3年になると思います」
「そうなんですか」

 3人は森の中を歩いている。
 アレクはリュシーへたわいないことを聞き、彼女はそれに嫌な顔一つせず受け答え、アニエスは二人の少し後ろで黙ったまま歩く。
 しばらくそんな調子のままでいると、リュシーが少し口ごもりながらアレクに声をかけた。

「あの……」
「はい?」
「私に聞きたいことというのは、何でしょうか?」

 いつまでも取り留めもない話ばかりをするアレクに焦れたのだろう。
 自分に聞きたいことがあると言い、わざわざ人気がないところまで連れてきたのは、このような話をするだけのためとは思えない。
 そう思いアレクに問いただすリュシーに、彼はぐるりと辺りを見回すと、一つ頷きリュシーを見据える。

「そうですね……では、端的にお聞きします」
「はい」

 真面目な面持ちになったアレクに、リュシーは緊張を表す。
 アレクは一拍間をおくと、リュシーに問いかけた。

「あなたのお父上は、オルレアン公に仕えていましたね?」

 その言葉を聞くと、リュシーは息をのんだ。
 しばらくじっとアレクを見つめていると、フッと目線を下に落とした。

「……ええ、私の父は、確かにオルレアン公に仕えておりました」

 リュリュの情報通りか、とアレクは納得し、続けて問おうとした。
 が、どうもリュシーの様子がおかしい。
 顔は俯いたまま、体はわずかに震えている。
 どうしたのだろうと思い、リュシーの顔をのぞき込もうとすると、バッと彼女が顔を上げた。

「私を……粛清しに来たのですか……?」
「は?」

 不意にかけられたリュシーの言葉を理解できず、アレクは呆けた声をあげてしまう。
 そんなアレクの様子に気づかないまま、リュシーは言葉を続ける。

「ジョゼフ陛下の命で、私を粛清に来たのでしょう? 父と、同じように……!」

 怯えるようにかすれた声でアレクに言い放つリュシー。
 その体は恐怖で震えているが、彼女の瞳には、どこか暗い光が見える。
 リュシーがどんな感情を自分たちに持っているのかは分からないが、どうも勘違いされているのだということは、ようやく理解できた。
 アレクは慌てて弁解をする。

「ちょ、ちょっと待ってください!」
「何ですか? 陛下はかつてオルレアン公についた者は、一人としてお許しになられないおつもりなのでしょう!? 私も父同様、粛清の対象に……」
「いえ、ですからそれは勘違いです。私たちはガリア王政府の者ではありません」
「え?」

 アレクの言葉に、リュシーは打って変わってポカンとした表情になった。
 彼女はいささか動揺したままアレクに問いかける。

「で、では、あなた方は何をしに……」
「いえ、ですからあなたに聞きたいことがあるのです」

 アレクの言葉を聞いても、リュシーはまだ信じられない様子だ。

「その聞きたいことというのは? 私がオルレアン公派の貴族だったかどうかというだけですか?」

 その言葉にアレクは何と答えたものか悩んだが、普通に聞くことにした。

「それだけではありません。聞きたいことというのは、あなたが他に元オルレアン公派の貴族であった方々の居場所を知っているかどうか、です」
「それを聞いてどうするのですか?」

 少々胡散臭そうにアレクを見やるリュシー。
 アレクはしばらく簡単な質問をして、リュシーという人がどういう人間かを調べた上で、何と聞き出すか考えようとしていたため、いきなりこのような状況になることは想定していなかった。
 何といったものか困っているアレクを、やはり怪しいと思ったのか、リュシーはまた声を厳しくする。

「答えられないのですか? やはりあなた方は王政府の……」
「それは違います」
「では何だというのですか?」

 眉を寄せるリュシーに、アレクはある程度の範囲を話すことにした。

「我々はガリアの人間ではありません。具体的にどこか、というのは言えませんが、他国の人間です」
「え?」

 リュシーはアレクの言葉に、またもやポカンとなった。

「他国の……?」
「はい、他国の人間です」
「で、では何故あのようなことを?」

 リュシーの問いかけに、またもアレクは何と言おうか悩んだが、ここでまごついていたらまた疑われかねない、と判断する。

「そう、ですね。簡単に言えばスカウトにきました」
「スカウト、ですか?」
「はい」

 同じ言葉を繰り返すリュシーにアレクが頷くと、彼女は急に力を抜く。

「つまり、元オルレアン公派の方々をスカウトしたいので、私のその方々の情報を求めている、ということでしょうか?」
「その通りです」

 アレクがそう言うと、リュシーは俯く。
 しばらくその様子を見ていたアレクだが、リュシーが何も言おうとしないので、自分から声をかける。

「そういうわけでして、協力していただけないでしょうか?」

 リュシーはその言葉を聞くと顔を上げ、少しアレクを見つめると、ゆるゆると首を振った。

「申し訳ありません、私は協力できかねます」
「それは、他の方のことは知らない、という意味でしょうか?」
「それもありますが……私はもうそのことに関わりたくないのです。そのために出家いたしました」

 そう言いまたも顔を伏せるリュシー。
 アレクとしては困るが、リュシー自身が関わりたくないと言うのなら無理強いすることはできない。
 さらに、彼女が他の元オルレアン公派の人物について知らないというのならば、ここでもたついていてもしょうがない。
 そう考え、アレクはここから離れようと思い、後ろを振り向きアニエスに声をかけようとする。
 と、今までずっと黙っていたアニエスが口を開いた。

「それは……」

 その声にリュシーは顔を上げ、アニエスに目を向ける。

「それは、本心でございますか?」
「どういう、意味ですか?」

 アニエスの言葉に、リュシーは何を言っているか分からない、といったように問いかけた。
 その問いに、アニエスは先ほどと同じように、抑揚のない声で口を開く。

「言葉通りです。先ほどあなたが言った、「関わりたくない」というのは、本心なのでしょうか?」
「本心も何も……そのために出家したと言ったはずです」

 首を振りつつ答えるリュシー。
 アニエスは彼女をじっと見たまま表情を変えずに、言葉を紡ぐ。

「私には、あなたがそう思っているようには、見えませんでした。むしろ―――復讐を願っているように見えます」
「―――っ!」

 アニエスの言葉に、リュシーは息をのんだ。
 俯き唇を噛みしめるリュシーに、アニエスは容赦なく言葉を続ける。

「あなたはガリア王への復讐の機会を窺っているのではないですか? 自分の家族を突如バラバラにした張本人へ、自身の手で罰を与えるために、その胸の内に復讐の炎を燃やし―――」
「あなたに!!」

 リュシーは顔を上げると、アニエスへ向かって怒鳴り声をあげた。
 そこに憎い相手が居るようにアニエスを睨み付け、どこか痛いところを突かれ、癇癪を起こしたように大声で叫び、内心抱えていたことを吐き出す。

「あなたに何が分かると言うのですか! 私の父は、ただオルレアン公派だというだけで処刑されたのです! オルレアン公が健在であった時ですら、ジョゼフ王に一度として刃向かったことはなかったのに! ただ、自分につかなかったというだけで!! 家族を理不尽に奪われた私の気持ちが分かるわけが―――」
「分かります」

 リュシーの叫びを遮り、アニエスは口を開いた。
 その言葉にリュシーの顔は怒りで赤くなる。
 分かるものか、とリュシーが怒鳴りつけようとする前に、アニエスが小さな声で呟く。

「私の故郷は、ある日、何の前触れもなく燃やされました」

 ヒュッと息をのむリュシー。
 アレクも僅かに目を見張る。
 そんな二人の様子に頓着することなく、アニエスはそこで初めて顔を歪ませ、言葉を続ける。

「およそ20年前のことです。幼い私はその日、いつものように何事もない日常を送っていました。しかし突如として現れたメイジの一団に、村は焼かれました。人も家も、全てをです。炎から誰かに庇われたと思ったら、私はすぐに気を失いました。次に気がついたのは、誰かに背負われて燃えさかる村の中を進んでいる時でした。村の生き残りは私のみです。それ以来ずっとその光景を忘れていません。いつか私の村を滅ぼした者に復讐するために……!」

 話している内にヒートアップしていくアニエスを、アレクとリュシーはただ見つめていることしかできなかった。
 アニエスはハッと我に返ると、自分を呆然と見ている二人に気づき、頭を下げる。

「申し訳ありません、私のことは今関係ありませんでした。つい、リュシー殿の姿が私に重なってしまい……。差し出がましいことを申しました」
「いえ……」

 リュシーは何も言うことができず、首を振る。
 アレクも黙ることしかできない。
 しばらくの間、彼らは何も言葉を発さずに、そこへじっと佇んでいた。

「私は……」

 不意にリュシーが口を開く。
 アレクとアニエスは、彼女に視線を向け、次の言葉を待った。

「私は……」

 何かを言おうとするが、どうしても出てこない様子のリュシーを、二人は黙ったまま見つめる。
 が、アレクはリュシーの後方で、何か光ったような気がした。
 それが気になり、彼女からわずかに目をそらし、後方を見る―――と、そこにいたものにアレクは驚愕する。

 リュシーの斜め後方、約20メイル。
 赤い巨大な影。
 それは―――



 ―――こちらへ向かってブレスを吐こうとしている、火竜の姿であった。



「アニエス! リュシーを下がらせろ!」

 それを視認した瞬間、アレクはアニエスに大声で指示を出す。
 アニエスは何故アレクがそんなことを言ったか分からなかったが、それを理解する前に動き出した。
 彼女が駆け出すと同時に、火竜の口からブレスが吐かれる。

 斜め後方からなので、アレクには当たりそうもなかったが、その斜線上にはリュシーとアニエスの姿。
 アレクは杖を抜き放つと、二人と竜の間に、巨大な水の壁を作り出す。
 しかし急造のためか、十分に魔力を込めることができなかった壁は、ブレスを軽減したものの、防ぎきることはできない。
 ブレスが二人に当たろうかという瞬間、何とかアニエスがリュシーを抱え転がることに成功し、直撃はしなかった。

「ぅくっ!」

 しかし避けきれず、ブレスはアニエスのドレスの裾をかすめ、彼女の足に少し火傷を負わせた。
 アレクは二人へ駆け寄り、まずリュシーへ声をかける。

「怪我はありませんか?」
「え、ええ、私は大丈夫です。でも、アニエスさんが……」

 弱々しく頷くと、リュシーは心配そうにアニエスを見る。
 アレクはリュシーの体を一通り見て、彼女の言葉が嘘でないことを確認すると、アニエスに声をかけた。

「アニエス、大丈夫か?」
「っ! 申し訳ありません、火傷を負いました」
「動けそうか?」
「いつもの通りには、無理そうです……」

 顔を顰めながら答えるアニエス。
 アレクは頷くと、どうするか考える。
 このまますんなりと逃げることは出来そうもない。
 アニエスは怪我をしている上、リュシーは聖職者なので体力に期待は出来ないだろう。
 迂闊に動くと、こちらをじっと見ている火竜はすぐにブレスを吐くだろう。
 アレク一人では、それを何度も防げるものではない。

 アレクは火竜を見やる。
 まだ成竜ではないのだろう、その体長10メイルほど。
 だからといって、アレク一人で――それもリュシーと怪我をしたアニエスをかかえている状態で――そうそう勝てる相手ではない。

 と、アレクはその竜の様子がおかしいことに気づいた。
 竜の羽の片側が、不自然に折れ曲がっているのだ。

(怪我をしているのか?)

 それならば何とかなるかもしれない、とアレクは杖を力強く握りしめた。
 自分が竜と闘っている間に、二人には逃げて貰えばいい。
 アレクはそう考え、竜に向かって踏み出そうとする。

“ビャアビャアッ”

 と、その前に、竜の体を、竜巻が包み込む。
 何事か、とアレクが辺りを見回すと、一人の少女が目についた。
 自身の背丈よりも大きい杖を構えた、青い髪の小さな少女が、竜に目を向け杖を構えている。
 あの竜巻は、あの少女が起こしたものだろうか、とアレクが考えていると、少女は竜から視線を外し、アレク達に向かって走ってきた。
 少女は3人の近くで立ち止まると、ポツリと呟いた。

「引く」

 アレクは少女の言葉を理解すると、アニエスを抱え上げ、リュシーに声をかける。

「リュシーさん、走れますね?」
「……は、はい! 大丈夫です!」

 どうやらリュシーは少女に気を取られていたらしく、アレクの言葉に反応するのに少し時間がかかった。
 アレクはそんなリュシーの様子に首を傾げるが、今はここから逃げることを優先し、何も言わない。
 4人は修道院へ向かって、走り出す。





 トマはアレクに言われたとおり、馬車の側に立ち、3人が帰ってくるのを待っている。
 何度かシスターに中で待っていてはどうかと誘われたが、トマはそれを辞退し、外にずっと立っている。
 すると、そのトマの目に、4人の人影がこちらへ走って来るのが映った。
 先ほど森へ向かった時より、一人増えていることに首を傾げ、さらにアニエスがアレクに抱えられていることに驚く。

「アレクサンドル様、どうされたのですか? それにアニエス様は……」

 トマは、彼の目の前まで来たアレクに声をかける。
 そしてリュシーがチラチラと増えている一人に目を向けているのに気づくと、そちらへ視線を動かす。

「っ!」

 その少女を見た瞬間、トマは息をのんだ。
 まさか、とでもいうような表情を張り付け、少女を凝視した。
 そんなトマに、アレクが声をかける。

「トマ、アニエスが怪我をした。誰か呼んできてくれ」

 しかしトマは何も反応しない。
 アレクは眉を寄せ、もう一度トマに声をかける。

「トマ、どうしたんだ?」
「……っ、は、はい。何でしょうか?」
「アニエスが怪我したから、誰か呼んできてくれ」
「かしこまりました」

 トマはもう一度少女を見ると、修道院に向かって駆けだした。
 リュシーといいトマといい、何か様子がおかしいことに内心首を傾げるが、理由は分からない。
 とりあえずアニエスにもう少し待つよう言うと、アレクは少女に顔を向ける。

「どうもありがとうございました、先ほどは助かりました。ええと……」

 頭を下げ礼を言うアレクに、少女は首を振る。
 そしてアレクが彼女が誰か知らないので、何と呼べばいいか分からず言いよどんでいると、少女は僅かに口を開き、小さな声で名乗った。

「ガリア花壇騎士、タバサ」




















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