舞踏会の夜、ミシェルと詳しく話をする約束をしてから、思いの外長い日数が経過した。
できることならば次の日にも早速といきたいところではあったが、生憎互いの暇が合わなかったため、先延ばしになっている。
アレクの立場はアンリエッタの補佐なので、彼女の予定によって、彼の予定も左右されるため、休みは不定期だ。
ミシェルはただでさえ基本的に休みは少ない衛士だということに加え、彼女自身平民であり衛士の中でも最下層に近い位なので、朝から晩まで勤務していることが多い。
なので彼らの暇な時間が重なったのは、結局舞踏会から一月近く経ってからのことだ。
この日の朝、偶々ミシェルと出会ったアレクは、彼女が明日は珍しく非番だと聞いた。
ここ数日は、アンリエッタの予定もたいしてなかったため、必然的に彼の予定も開く。
なのでアレクは、今日の夜にでも話をしようとミシェルを誘い、彼女はそれに応じた。
現在アレクはマザリーニの執務室へ向かっている最中である。
何やらアンリエッタに一応目を通しておいてもらいたいものがあるので、それを受け取りに来いと、連絡を受けた。
何を渡されるのだろう、とアレクは考えるが、自分を経由して渡すくらいのものならば、それほど重要ではないのだろうと思う。
重要なものならば、第三者の目に触れないよう、マザリーニが直接アンリエッタへ渡すはずだ。
そんなことをつらつらと考えつつ歩いていると、すぐにマザリーニの執務室へ着く。
アレクが扉をノックすると、すぐさま声が帰ってきた。
「誰だ」
「アレクサンドルです」
「ああ、入れ」
失礼いたします、と言いながら、アレクは扉を開け中へはいる。
部屋の中にはマザリーニが、若い貴族の男性と話をしていた。
マザリーニはアレクへ一度顔を向ける。
「少し待っておれ」
アレクは指示されたとおり、扉の横へ立つ。
一度出直した方がいいのではないか、とアレクは考えるが、どうやら二人とも彼を気にしていないようなので、そのまま待つことにする。
そこに立ちつつも、マザリーニと話をしている男は誰だったかな、とアレクは考える。
年齢はおそらく20代半ばの、精悍な顔つきをしている男性。
頭には羽帽子を乗せ、黒いマントを羽織っている。
長身で逞しい体つきをしていて、腰には鉄拵えらしいレイピア型の杖をさし、形のいい口髭を生やしていた。
そんな男を見てアレクは、さぞモテルだろうな、などと考える。
「では猊下、失礼いたします」
「ああ、ご苦労だった」
アレクが男性を観察している間に、二人の会話は終わったらしい。
男性はマザリーニに頭を下げてから、扉の方へ向かってきた。
アレクは男性へ礼をしつつ、扉を開ける。
「ありがとう」
「はっ」
男性はアレクに笑顔で声をかけると、出ていった。
アレクは扉を閉めると、椅子に座っているマザリーニの元へ行く。
「猊下、あの方は?」
少し不躾かな、と思いながらも、アレクは見たことのない男性が誰なのか気になり、マザリーニに聞く。
マザリーニは「知らなかったのか?」という顔をしてから、アレクへ男性の名を教える。
「彼はグリフォン隊の隊長、ワルド子爵だ。名前くらいなら聞いたことがあるだろう?」
「ええ、ワルド閣下のご高名は聞き及んでいます。あの方がそうだったのですか」
納得した様子でアレクは言う。
そういえばマントにグリフォンの刺繍がしてあったな、と思い出す。
フルネームはジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド、二つ名は『閃光』。
確かグリフォン隊の隊長に若くしてついたということは聞いていたが、予想よりも若かったので、少し驚く。
トリステインには三つの魔法衛士隊が存在する。
マンティコア隊、ヒポグリフ隊、そしてグリフォン隊の三つだ。
魔法衛士隊はエリートばかりを集めた近衛隊であり、トリステイン貴族の子弟達が憧れてやまない存在である。
ワルドはその内の一つ、グリフォン隊の隊長に、20代半ばの若さで任命された。
彼は10年近く前に両親をなくし、10代で領地を受け継いだ。
領地自体の経営は、家の家臣達に任せているらしいが、それ以来精力的に活動し、今では『風』のスクウェアメイジのワルドは、トリステインでは指折りの強さを誇るメイジだという。
その活動功績によって、グリフォン隊は魔法衛士隊の中で、枢機卿に最も覚えがいい隊となった。
アレクが知っている、ワルドに関する情報はその程度だ。
話にはよく聞いていたが、実際目にしたのは初めてのため、覚えておこう、とアレクは思った。
と、そこまで考えたところで、後一つ思い出す。
(確かワルド子爵の領地は、ラ・ヴァリエール領の隣だったな)
領地が隣同士ならば、それなりに付き合いがあるだろう。
しかしラ・ヴァリエールの三女である、ルイズからは、今までワルドの話を聞いたことはない。
少し不思議だが、10年近くも前に領地を継ぎ、それ以来職務に東西奔放していたのなら、ルイズはあまり彼のことを覚えていないのかもしれないな、とアレクは納得した。
そんなことをアレクが考えていると、用件を思い出したマザリーニが彼に話しかける。
「でだ、アレクサンドル。殿下に渡してほしいものだが」
「あ、はい。何を渡せばよろしいのでしょうか?」
マザリーニの言葉で、アレクも何故ここに来たのかを思い出す。
アレクの目の前では、マザリーニが机の引き出しの中を、引っかき回している。
トリステインの国政を一手に引き受けているため、やはり書類の類が多いのか、なかなか目的のものを見つけだせないようだ。
しばらく漁っていると、見つけだせたのか、ホッと一息吐きそれを取り出す。
「ああ、これだ。よし、渡しておいてくれ。まぁ今はそこまで重要なものではないが、殿下も知っておいた方がいいだろう」
そう言ってマザリーニが差し出したのは、書簡であった。
アレクはそれを受け取る。
「かしこまりました。では、失礼いたします」
「ああ」
マザリーニに礼をして、部屋を出る。
少し歩き、アンリエッタの居室へつくと、声をかけ中へ入る。
部屋の中にはアンリエッタがいるのみで、つまらなそうに椅子に座り、紅茶を飲んでいた。
彼女は入ってきた人物がアレクだと分かると、笑顔を向けた。
「アレク、マザリーニ枢機卿には、何のようで呼び出されたの?」
「これをアンリエッタ様へ渡すように、と」
アレクはマザリーニから預かった書簡を、アンリエッタへと渡す。
彼女はそれを受け取り、無造作に封を解いた。
警戒も何もないその動作に、アレクは少し眉を寄せたが、何も言わない。
アンリエッタは初めは気のない様子で読んでいたが、進める内に少しずつ物憂げな顔になっていく。
全て読み終えると、彼女は深くため息を吐いた。
「いかがなさいましたか?」
アンリエッタの悲しげな様子が気になったアレクは尋ねる。
すると彼女はアレクに書簡を渡した。
どうやら、読め、ということらしい。
いいのか、というようにアンリエッタを見て、彼女が頷くのを確認すると、アレクはその書簡に目を落とす。
「アルビオンで……?」
書簡には、アルビオンで一部の貴族達が不穏な動きを見せていることが書いてあった。
なるほど、確かによい報せではないので、アンリエッタが悲しむのも無理ないだろう。
現アルビオン国王は、アンリエッタにとって叔父にあたる。
今はそれほど大きな動きはないが、それでも親戚関係の国で良からぬことを企んでいる者達がいると聞けば、いい気はしない。
かといって、それほど気にする話題でもない。
ハルケギニアに存在する国の内の4国、すなわちトリステイン、アルビオン、ガリア、ロマリアは始祖ブリミルの3人の子供と一人の弟子が築いた国だ。
その中のロマリアを除いた3国の王族は、始祖ブリミルの直系にあたり、その存在は神聖不可侵のものだ。
だからといって、全ての貴族が王家に絶対の忠誠を持っているわけではない。
より権力を得ようと自身が王にならんとする貴族もいるし、その王家の政策に不満を持ち是正しようとする者も出てくる。
なので、この程度のことは頻繁に、というほどでもないが、間々あることだ。
だが、今までこれらの王家が倒されたという記録はない。
今回も早々に鎮圧されるだろう、とアレクは考える。
マザリーニは、政治を学ぶなら他国の情勢も気にしろ、ということをアンリエッタに伝えたかったのだろう。
アンリエッタ自身もそれらのことを分かっているのか、アルビオンのことについては、そういう事実があるということ自体に悲しみを覚え、マザリーニの行動には理解と感謝、そして多少の面倒さを覚えてため息を吐く。
この時点では、アレクもアンリエッタもアルビオンでの出来事に、さして重要性を感じていなかった。
それは二人だけでなく、マザリーニなど他にこの報告を聞いた者も、同様にそれほど気にかけてはいない。
後にこの報告が、ハルケギニア中を巻き込む事件に発展すると予想しているのは、極々一部の者に過ぎなかった。
その日の夜、アレクはミシェルを自室へ招いた。
今日のミシェルの勤務時間は、アニエスとずれてはいるが、もし話をしている最中に帰ってきてしまったら、どう説明するか、どう誤魔化すかなどが面倒なため、特に訪ねてくる者もいないアレクの部屋で話し合いをしようと思ったのだ。
アレクの部屋へはいるとミシェルは羨ましそうに、ため息を吐いた。
「広いですね」
「まぁ、曲がりなりにも貴族だし。あ、そこ座って」
「あ、はい、ありがとうございます」
アレクが椅子を指し示しそう言うと、ミシェルは礼を言いつつ座る。
それを見届けた後、アレクは部屋の端に行き、紅茶を入れる準備をし始めた。
ミシェルがしばらく部屋を眺めつつぼうっとしていると、入れ終えたアレクが、カップを二つ運んでくる。
「はい」
「あ、わざわざ申し訳ありません」
恐縮して頭を下げるミシェル。
アレクは彼女の向かいに座り、苦笑いして口を開く。
「そんな丁寧にしなくてもいいけどな。元の世界じゃただのサラリーマンだったし」
「しかしアレクサンドル様は、今は貴族ですし。こっちで生まれて約20年、こういう教育を受けたので急に変えるのはすこし難しいです」
紅茶を入れさせておいてなんですが、とはにかみながら言うミシェル。
それもそうか、とアレクは納得する。
普通なら数年もすれば、そこの環境に慣れるものだ。
ましてやミシェルは平民として生まれ育ったのだろうから、ある意味アレク以上に人に対する態度を、厳しく教育されているのだろう。
せっかく見つけて仲間なので、できれば気軽に接してほしいものだが、そう簡単にもいかないようだ。
アレクはそう考え、無理に態度を変えさせるのはよそうと思った。
「まぁそうか。しかし驚いたな」
「ええ、そうですね。まさか私の他にも、同じ境遇の人がいるとは思ってもみませんでした」
初めは互いに自分だけだと思っていたので、知ったときは驚いた。
アレクはこの世界と元の世界が、何らかの形で繋がっていると予想していたので、「そんなこともあるのかも」と比較的冷静だったが、ミシェルは非常に驚愕しただろう。
何故自分たちがこの世界に生まれたのか、そして他にもいるのではないか。
いろいろ考えることが多そうだ、と判断したアレクは、とりあえず互いの共通点を見つけてみようか、と切り出した。
「簡単に自己紹介からしようか。元の世界の自分のことも含めて」
「はい」
二人は何となく姿勢を正して、構える。
「じゃあ俺から。名前はアレクサンドル・シュヴァリエ・ド・サン・ジョルジュ、今はアンリエッタ様の従者をしている。元の世界では佐々木徹、さっきも言ったけどサラリーマンだった」
「ええと、私はミシェルです、平民なので姓はありません。今は衛士ですが、元の世界ではただのOLでした。元の名前は木下礼子です」
アレクは頷き、少し考える。
「やっぱ、知り合いとかじゃないよな?」
「ええ、私はアレクサンドル様の元の名前は、聞いたことはありません」
特に知り合いにのみ起こったことではなさそうだ。
「ちょっと聞き難いんだけど……あっちじゃやっぱり死んだのか?」
「ええ……そうです。会社帰りに……」
ミシェルは顔を暗くして言う。
確かに話しやすいものではないだろう、アレクもあまり思い出したいものではない。
しかし、何を考えるにも知っておくべきだろう。
少し口ごもりながらも、アレクはミシェルに話かける。
「じゃあ、元の世界の最期のことでも話そうか」
気分のいいものじゃないだろうけど、とアレクは続ける。
そして自分のことを話し出した。
それを聞いたミシェルは、悲しそうな顔をしつつも、自分のことを話し出す。
どうやら彼女は自分で車を運転していたときに、対向車がぶつかってきたらしい。
すこしの間、息はあったが、ほどなく意識がなくなり、次に気がついたときは、両親に抱かれていたという。
その後も二人はいくつか自分のことを話したが、やはり特にこれといった共通点は見つからなかった。
事故にあった場所、勤め先、出身地など、近くであるどころか同じ県内でもない。
こちらでの生まれ故郷も、同じトリステイン国内ではあるが、近い場所でもなかった。
「分からないな……」
「そうですね」
何故こちらへ来たのか、その理由は分かりそうにもない。
というより、二人だけなので、推測できるほどの情報も集めることができない。
これについてはアレクは元々そう期待していなかった。
ミシェルもそうなのだろう、あまり残念そうな顔はしていない。
どちらかというと、これから話すことの方が本題だ。
アレクは居住まいを正して、ミシェルに話しかける。
「このことはおいていくとして、ちょっと他に気になることがある」
「気になること、ですか?」
首を傾げるミシェルに、アレクは頷く。
「ミシェルは東方から流出してきた品物を見たことあるか?」
「東方からですか? いえ、滅多に流出しなくて、価値の高いものだと聞いたことはありますが、直接見たことはありません」
そうか、と言い立ち上がるアレク。
彼は部屋にある棚に近づき、中を漁る。
突然立ち上がったアレクを、ミシェルは不思議そうに見ていた。
少しすると、目的のものを見つけたらしく、手に何かを持って戻ってくる。
「前に買ったものでな、東方の品らしい」
そう言ってミシェルの目の前に置いた。
それは以前アンリエッタが寝込んだとき、アレクが町にくり出した際、たまたま店で見つけて買った茶碗である。
ミシェルは茶碗を見て、少し目を見開く。
「これは……陶器ですよね? ハルケギニアの物とは違いますね、どちらかというと……」
「そう、日本の物に近い」
そしてアレクは今までに見た東方の物を話す。
緑茶の茶葉や、仏像など、日本と似た文化があるようだ、と。
それを聞いたミシェルは少し考える。
「それは確かに気になりますが、偶然、というだけではないのですか?」
「まぁこれだけならそういうこともできるけどね。もう一つ気になるのは、ハルケギニアに日本人がいた可能性があるんだ」
「何ですって!?」
アレクの言葉を聞いたミシェルは、つい大声で叫んでしまった。
立ち上がったミシェルに、アレクは落ち着くように言うと、彼女はハッとして恥ずかしそうに座る。
そして紅茶を口に含み、心を落ち着けると、どういうことか、と尋ねてきた。
アレクは彼女に『魅惑の妖精亭』の店長、スカロンから聞いた話と、それから自分が推測したことを話す。
一通り話を聞いたミシェルは、確かに気になる、と頷いた。
「タルブというとラ・ロシェールの近くですよね? 東方から『竜の羽衣』というものに乗って、ですか」
「うん、多分ヘリか飛行機の類だと思うんだけどね」
飛んできた、というのならそのどちらかだと思う、とアレクは言う。
もしこちらの世界と元の世界の時間が同じ進み方をしているのなら、おそらくその人物がこちらへ来たとき、元の世界では戦時中。
ならば戦闘機の類かもしれない、とアレクは推測する。
ミシェルはなるほど、と頷くと、右手で首筋を撫でながらアレクに話しかける。
「問題は、どうやってこちらへ来たか、ですか?」
「それについても、一つ可能性を見つけた」
そう言って立ち上がると、アレクは先ほどの棚に、もう一度近づく。
そして中を漁り、一つの箱を手に持って戻ってきた。
アレクはミシェルに箱を見せるように差し出し、その側面を指し示した。
そこに書いてある文字を見て、ミシェルは息をのむ。
「日本語、ですね……」
箱は茶碗を買ったときに、同じ店でアレクが買った物。
アレクはその箱と、いつも持ち歩くようにしている小刀を懐から取り出し、机に置いた。
「箱はからくり箱ってやつだね。これを開けてみたら、中に小刀が入ってた」
「これも東方からの品ですか?」
「いや、店の主人に聞いてみたけど、どこで手に入れたか分からないって。でも、どうやらメイジに召喚されたものらしいよ」
「召喚というと、使い魔の、ですか?」
「多分」
アレクもミシェルも、召喚といえば使い魔召喚の儀式くらいしか知らない。
他にあるのかもしれないが、少なくとも一般的なものではないだろう。
すると、ミシェルが何かに気づいたようにアレクに顔を向ける。
「あの、アレクサンドル様」
「ん? 何?」
「店の主人がどこで手に入れたのか知らないのなら、何故これが召喚されたものだと分かったのですか?」
ミシェルの言葉に、アレクは少し固まる。
そして、小刀を指さすと、何故か嫌そうに口を開いた。
「それ、抜いてみれば分かるよ」
「これですか?」
ミシェルが小刀を持ち上げ尋ねると、アレクはゆっくり頷く。
何がそんなに嫌なのか分からないミシェルは、不思議そうな顔をしながら小刀を抜いた。
「ぃぃぃいいやっふぅぅううぅぅぅ!!!」
「きゃあ!!」
と、同時にやけにテンションの高い声が響き渡る。
ミシェルは驚き、つい手に持った小刀を落としてしまう。
アレクは落ちた小刀を拾い上げ、それに声をかける。
「お前、もう少し静かにできないのか?」
「いやいや、兄さん! 静かにって、そりゃ無理な注文よ! こちとら久々にシャバに出れたっつうのに、また閉じこめやがって! もう少し構ってもいいんじゃないかと小生は考える所存であります!! 俺としてはもっと、こう、和気藹々といろいろ喋くりたいのにさ! 兄さんったらさ! また閉じこめやがって! お前にこの気持ちが分かるのか!? 分からないか!? まぁそうだな! でもなぁ! 寂しいんだよぉ……悲しいんだよぉ……もっと相手してくれよぉ……おろろ〜ん!!!」
「お前……面倒くさいな……」
「めっ!? 酷い! なんて言いぐさだ! 兄さんは残虐非道だ! 血も涙もないのか!? 鬼か!? 悪魔なのか!? こんなかわいそうなインテリジェンス君を捕まえて、寄りにもよって『面倒くさい』だと!! なんてことを言うんだ! あんまりだよ……う〜〜ううう……あんまりだ……あ ァ ァ ァ ん ま り だ ァ ァ ア ァ!!!」
今にも「HEEEEYYYY!!!」とでも叫きそうな感じに泣き出す小刀。
アレクはそれを聞き、またしても「面倒くせぇ」と呟く。
しばらく呆気にとられたように見ていたミシェルは、ハッと我を取り戻すと、小刀を指さしながらアレクに声をかける。
「インテリジェンス、ナイフ? だったんですか……」
「ああ、こいつから聞いた」
アレクは以前この小刀から聞いたことをミシェルに伝える。
ミシェルはそれを聞いた後、小刀に目を向けると、感心したように息を吐く。
「しかし、私インテリジェンスアイテムって初めて見ました。本当に喋るんですね」
「おっと姉さん、俺をそこらのインテリジェンスナイフと同列に扱ってほしくないねぇ。見よ! この軟体力を!!」
そう言うと、アレクの手の中で、小刀は、波打つようにうねる。
さらに刀身を伸ばしたり、丸めたりもする。
ミシェルはそれを見て、呆けたような感心したような表情をつくる。
「何と言いますか……けっこうすごいんじゃありませんか?」
「まぁ確かにすごいんだけどな……」
すごいことはすごいのだろう。
武器に何らかの性能を付与するのではなく、その性質自体を変化させる。
質量自体は変わらなくとも、自身の意志でどうにでも形状を変化させるというのは、武器としては優秀で、向けられた相手にとってなかなかやっかいなものだろう。
「折れず曲がらず」を旨とする日本刀としてはどうかとも思うが、これを創ったメイジはかなりの能力を持っていたことが窺える。
「でもな、こいつ武器として使えないんだよ」
「そうなんですか? かなり高性能といえると思うんですが」
「まぁ見れば分かる。よっと」
不思議そうな顔をしたミシェルに声をかけ、アレクは目の前の机を切るように、小刀を振り下ろす。
ミシェルは急にそんな行動をとったアレクに驚き、何を、と言おうとしたところ、その結果を見てため息をこぼす。
「ていっ」
刀身が机に当たろうかという瞬間、小刀が気が抜けたような声を発する。
すると刀身の、ちょうど机に当たる部分だけが、グンニャリと曲がり、目標を素通りした。
何度も切ろうと試すが、その度に小刀は刀身を曲げ、目標を避けてしまう。
アレクはため息を吐き、行動を止めた。
「まぁこんな感じで、何か切ろうとすると、こいつ避けるんだよ」
「確かに、それでは使えないですね……」
見た限り切れ味はとても良さそうだが、小刀自身が切ることを拒むのならば、武器としては全く使えない。
二人そろってため息を吐くのを聞き、小刀は拗ねたような声を出す。
「いやいや、兄さんも姉さんも刃物になってみれば分かるって。あの、物を切った後、自分の体をなぞるように通過する気持ち悪さ! 思わず鳥肌が立つってもんよ! 肌ないけど! いいじゃないか、ほら、歌って踊れるプリティーな刃物ってことで! 何でも歌うよ? リクエストはあるかい? ほれ、遠慮せずに! ほれほれ!」
アレクは、小刀をインテリジェンス化したメイジが、何故こいつを気に入らなかったのか分かる気がした。
メイジとしては、刃物を武器として使うわけではないが、だからといってまったく刃物として機能しないのは納得いかないだろう。
ましてやこんな喧しい物を手元に置いておこうとも思わなかったに違いない。
半ば本気で「捨てようかな?」と考えるアレク。
ミシェルは乾いた笑い声を上げている。
「もう引っ込んでろ」
「えっ!? ちょ……待って! もう少し! もう少しでいいから喋らせてくれ! せっかく兄さん以外の人と会ったんだから! ね? ほら! 好きな子の話とかしよう!! ね? ね? あっ! 待って!! 分かった、うた歌うからきいておくれ! アア〜オ〜ン〜トォ〜アア〜オアア〜ソミカ〜イ〜ノ」
パチン、としっかり納め、汗を拭うアレク。
そして一転して真面目な表情になると、ミシェルに話しかける。
「と、いうわけで、もしかしたらタルブにいたっていう人も、召喚されたのかもしれない」
「あっ、え? え、ええ、そうですね」
アレクが急に話を戻したため、ミシェルは少しの間、何のことだか分からなかった。
少々混乱気味のミシェルをおいて、アレクは話を続ける。
「もしかすると、ハルケギニアに召喚された日本人が、東方に集まっているのかもしれない。もしくは東方に日本と繋がっている所があるのかもしれないな」
「元の世界の日本以外の国から来た物はないのでしょうか?」
何とか混乱をおさめたミシェルは、今のところ日本以外の物が出てきていないことに疑問を覚える。
アレクは首を捻り、「俺は見たことない」と告げた。
そしてすこし考え、ミシェルに声をかける。
「そうだな。そういうのを含めて、何かあったら教えてくれないか? 噂話程度でいいから」
「ええ、分かりました。私も気になりますから、少し調べてみます」
ミシェルの言葉に、アレクは頷くと立ち上がる。
先ほどの箱などが入っていた物とは違う棚に近づく。
そして戻ってきた彼の手には、酒瓶とグラスが二つ握られていた。
「アレクサンドル様、それは?」
「え? 酒」
見れば分かるだろ、といわんばかりの顔をするアレク。
「いえ、そうでなくて、何故それを持ってきたのかと……」
「いや、人と、それも同年代と飲む機会なんてあんまないからさ……飲もう?」
そう言ってミシェルの前に、一つグラスを置き、瓶を差し出す。
「お酒、お好きなのですか?」
「まぁそこそこ。『酒は百薬の長』とも言うしね、疲れたときは飲むにかぎる」
アレクの言葉に、ミシェルは苦笑いして、グラスを持ち上げる。
「『されど万病の元』とも言いますよ。あまり飲み過ぎないようにしてくださいね」
それに笑いながら、アレクはミシェルのものと自分のグラスに酒を注ぐ。
二人は軽くグラスをあわせ、飲み始める。
するとミシェルは、ふと、顔を上げ、アレクに声をかけた。
「アレクサンドル様」
「ん?」
「もし元の世界と何らかの形でコンタクトがとれたら、どうされるおつもりですか?」
ただ確かめたいだけなのか、それともそちらへ行くつもりなのか。
アレクは曖昧に笑い、口を濁した。
「さぁ、ね。どうしようか……」
「まったく。ミシェルのやつ、どこへ行ったんだ……」
勤務から帰ってきたアニエスは、部屋に誰もいないのを不思議に思った。
先に帰っているはずのミシェルは、普段なら既に寝ている時間帯だ。
しばらく待ってみても帰ってくる気配がないので、少し心配になってくる。
すると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「誰だ」
声をかけてみるものの、反応はない。
心なしか、誰かの笑い声が聞こえる気がする。
再度、声をかけるが、やはり反応はなかった。
アニエスは不自然に思い、剣をもって立ち上がり、扉へ近づく。
警戒しつつ、扉を開けると―――
「あっはははははははは!!!」
「お届けものです」
顔を真っ赤にして片手に酒瓶を持ちつつ、大爆笑してるミシェルと、彼女に肩をかすアレクの姿があった。
おじゃまします、と言って、アレクはミシェルと共に部屋へ入る。
アニエスはしばし固まっていたが、アレクがミシェルをベッドに座らすのを見届けると、我に返り声をかける。
「ア、アレクサンドル様!? ミシェルはどうしたのですか!?」
「ああ、一緒に飲んでたら酔っぱらっちゃってね。ミシェルって笑い上戸だったんだな」
「はぁ……」
何と言っていいか分からないアニエス。
そんな彼女に、ミシェルは立ち上がると、手の持っている酒瓶を突き出す。
「アニエスも飲もう!」
「は? 何を言ってるんだ、お前は」
「それいいな。よし、飲もう」
「アレクサンドル様まで!?」
アレクはどこからか、さらに二本の酒瓶を取り出す。
二人はじりじりとアニエスに寄っていく。
気がついたら、アニエスは部屋の角まで追いつめられていた。
結局アニエスは、二人に押し切られて飲んだ。
ミシェルはそれに満足したのか、ほどなくして寝た。
アレクはまたしても酔っぱらったアニエスに絡まれた。
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