ウルの月も終わりに近づき、トリステインは過ごしやすい暖かな風に包まれていた。

 その月の最後の虚無の日、いくら休日とはいえ貴族としての教養も学ばされる魔法学院では、惰眠を貪ることなど許されるはずもなく、生徒たちは朝早くから活動をしていた。
 平日より僅かに遅い時間帯に朝食を取った生徒たちは、午前中から各々あくまで「貴族らしい」という枕詞が外れない程度に、好き勝手に休みの日を過ごしている。
 自室で編み物をする者、友人たちとカード遊びに興じる者、広場で談笑する者、学院の厩から馬を借りて街や遠乗りに出かける者など、様々であった。

 そんな平和な日常が送られる魔法学院の一角で、一人の教師の監督の下、三人の男子がベララ羊歯の葉を使って作られた大きな箒を手にせっせと動き回っていた。
 ギーシュにマリコルヌ、そしてサイトの三人である。
 先日ヴェストリの広場でわけの分からない小ネタ――本人たちは真面目だったのかもしれないが、他者からはそうとしか見えなかった――を演じていた彼らは、授業をさぼった罰として、アウストリの広場の罰掃除を命じられたのだ。
 学院の貴族生徒たちがぽいぽいと放り捨てた食べカスや空き瓶を掃除している三人の近くを、数人の女生徒たちがくすくすと笑いながら通り過ぎる。
 その笑い声に気恥ずかしさを覚えながら、サイトは口をへの字にまげて呟く。

「ったく、何で俺までやんなきゃなんねぇんだよ。俺は生徒じゃねえっつうの……」

 サイトのぼやきに、近くで一緒に掃除をしていたギーシュが、箒を動かす手を止め、肩をすくめてこたえる。

「連帯責任さ、連帯責任。君も一緒になって騒いでいたのは事実なんだ」
「まぁ文句言ったって今更どうこうなることじゃないし、さっさと終わらせた方が建設的だね」

 同じく箒で広場を掃いていたマリコルヌが、手を止めずに顔だけ上げて言う。

「連帯責任っつったってなぁ……これは授業サボった罰なんだろ? じゃあ俺関係ないじゃん。ったく、今日も稽古しようと思ってたのになぁ……」

 そう言ってため息をつくサイトに、ギーシュは呆れたような視線を向ける。

「君はそんなに戦闘馬鹿だったっけか? やけに必死になっているみたいだけど」
「別に切った張ったが好きなわけじゃねーよ。俺はあいつに勝ちたいだけだ」
「前に言ってたワルド子爵のことかい? 本気だったのか。随分無謀なことを言うものだね……」

 やれやれ、とギーシュは再度肩をすくめる。
 どうせ敵わないと思っているのか、そもそも戦い自体が実現しないと考えているのだろう、まともに受け取っていないようなギーシュの態度に、サイトは眉を寄せて不機嫌そうな表情になった。

「無謀ってなんだよ?」

 面白くなさそうにそう言うサイトに、マリコルヌが今度は手を止めて答えた。

「だって魔法衛士隊の隊長だぜ? トリステイン中の貴族子弟の憧れだ。二十代でそんな地位に上り詰めた『風』のスクウェア、ワルド隊長どのにどうやって勝つっていうんだ? まぎれもなくトリステイン最強の一角だよ、ギーシュとはわけが違う」
「一言余計だよ、マリコルヌ」

 頬を引きつらせながらギーシュは文句を言うが、マリコルヌに「事実だろ?」と言われると、言い返すこともできず口をつぐむ。
 確かに事実であるからだ、というか近衛の隊長と学院の一生徒、比べることが間違っている。

「んなこたぁ分かってるよ……」

 今更マリコルヌにそう言われずとも、、ワルドの強さは実際に手合わせしたサイトが一番よく分かっている。
 以前手合わせしたときは、まともな決闘にさえならなかった。
 豊富な実戦経験の内で研鑽されたであろうワルドの実力は、こちらに来て初めて剣を握ったサイトでは、まともに打ち合うことすらできないレベルであったのだ。

「大体何でそこまで子爵を目の敵にしているのか、僕には理解できないね」
「目の敵にしてるってわけじゃねぇよ、ただ……何となく気に入らないだけだ」

 ギーシュの言葉に、サイトは仏頂面で返す。

「何となくって……そんなあやふやな理由で、勝つとかいってたのか?」

 マリコルヌは呆れたようなため息をついた。

 その言葉にサイトは眉を寄せるが、実際のところ、ワルドが気に入らない明確な理由が思いつかないのだから仕方がない。
 ワルドが必要以上にサイトを馬鹿にしたわけではないし、上から見下ろすような、相手に敵意を持たせる態度をとったわけでもない。
 何故ワルドを嫌うのか、サイト自身にもうまく言い表せないのだから、「何となく」としか言いようがなかった。

「ははーん、そうか、さては……」

 ギーシュは何か思い当たったのか、にやりと意地が悪そうな笑みをうかべた。

「そういえば、ワルド子爵はルイズの婚約者だとかいう話だったね」
「ルイズの!? それ本当なのかい、ギーシュ?」
「ああ、確かそのはずだ。子爵がルイズに結婚を申し込んだのを、僕はこの耳で聞いたからね」

 驚きの表情で聞いてくるマリコルヌに、ギーシュは己の耳をちょんちょんとつつきながら答える。

「つまり、そういうことか」
「そう、そういうことさ」

 納得顔で頷くマリコルヌに、ギーシュも首を縦に振る。

「何なんだよ、お前ら」

 その動作にサイトが訝しげにそう言うと、二人は一度顔を見合わせ、ニヤリと口元を歪ませると、声を揃えて言う。

「「嫉妬だね?」」
「―――はぁ!?」

 ずい、と顔を寄せてくる二人に、サイトは腰を引きながら目をむいた。
 そして彼らが放った言葉を理解すると、少々―――否、大いにどもりながら言い返す。

「ば、ばばば、馬鹿いうんじゃねぇよ! だ、だれ、誰があんなピンクに、だだだ、誰が……こ、この、てめ、この……」
「僕たちが言っておいて何だが……君、テンパリすぎだろ」

 もはやまともな言葉にすらなっていないサイトに、ギーシュは呆れたように目を細め、ため息をついてやれやれと首を振った。
 これでは自分で「図星です」と言っているようなものだ。

「しかし、ルイズねぇ……」

 マリコルヌが少し考え込むような仕草をして―――

「確かに綺麗な足をしてはいるが、ちょっと細すぎるかな」

 いきなり話とは関係ないことを言ったかと思うと、

「いやいや、やはり女性は尻だろう」

 いつも女性の尻を追いかけているギーシュが続き、

「分かってないな、お前ら。男なら胸に拘らなくて、どうするって言うんだ」

 おっぱい星人のサイトが、気を取り直して顔を寄せた。

「胸なんてありきたりすぎるだろう。きゅっと引き締まった尻に目がいかないなんて、おかしいんじゃないかい?」
「引き締まったというなら、足以外にはありえん。僕はいつも足がグンバツな女性を見ると、踏んでくれることを想像して、性欲を持てあます」
「マルコメ、お前の性癖はアブノーマルすぎて参考にならん。男たるもの、やはり母性を求める面はどこかしらにある。そうだろう?」
「所詮ただの巨乳好きの戯言か」
「アホか。巨乳には愛があり、貧乳には夢がある。どっちがいいっていう話じゃない」
「何と言おうと胸は胸さ。あれはいいものだが、やはり足には及ばん。タイツやニーソを装着した足の、あの魅力が君らには理解できないのか?」
「馬鹿だな、そこから少し視線を上げて見ろ。腰から尻にかけてのラインこそ、まさに至高。あの緩やかなラインこそは、我々が目指すべき頂へと続く坂道そのものだろう」

 ここが昼前の広場の一角であることなど忘れ、周りから送られる学院生たちの微妙な視線を意に介さず、喧々囂々と言い争う少年たち。
 何というか、いろいろと将来が不安になる光景だった。

「これこれ、君たち、何をやっているんだね? ほら手が止まっているぞ」

 そこに監督役の教師であるコルベールが、走り寄ってきた。
 その声に三人の話は一度ピタリと止むが、彼らは一瞬視線を交差させると、一様に首を捻りコルベールに顔を向けた。

「ミスタ・コルベール! ミスタはどう思われますか!? やはり女性は足ですよね!?」
「いえいえ、女性は尻です! そうでしょう!?」
「やっぱ男なら胸を選びますよね!? 先生!」

 血走った目で詰め寄ってくる性少年たち。
 その勢いは普通の人ならば悲鳴を上げて逃げ去るほどのものであり、多少精神的に強靱な人であっても、彼らに何が起こったのかと困惑が頭を占めるだろう。
 だが、コルベールは並大抵の『漢』ではなかった。
 オールド・オスマンにその才を認められ、本人から――もっともコルベール自身はそのことを知らないが――後継者候補と認定されるほどの大器の持ち主。
 彼の口は、彼の頭脳が普段とは様子の違う少年たちへの疑問や困惑などを感じる前に、その魂に刻まれた本能をもって、無意識のうちに即答することを選んだ。

「いいかね諸君。女性の魅力とは一部で評価できるものではなく、全体のバランスこそが重要なのだ。もちろん諸君が言うパーツは、それぞれ素晴らしいものです。胸、尻、足。なるほど、どれも魅力的だ。男としてこの世に生をうけた者ならば、誰しも夢中になってしまうでしょう。しかし……しかしだ。では腕はどうだろう? 脇は? 項は? 足首は? 鎖骨は? さらに言うならば、たとえ胸であっても、谷間、下乳、横乳。たとえ尻であっても、ローライズのズボンから見える谷間、スカートから覗く足の付け根へと続く部分、ピッチリとした布越しに浮き出る形。たとえ足であっても、腿、膝、脹脛。どれもこれも、多様性があるものです。一概に胸がいい、足がいい、尻がいいなどと、とても言えるものではありません。それを踏まえてなお『どこがいい?』と問われれば……私には答えることができません。私は一部分で評価はしたくない。何故なら全体のバランス、パーツではなく黄金比で組み立てられたそれこそが、即ち“女性の魅力”だと信じているからです」

 と、これまでサイトたちが見たこともないほどの真剣表情で、一切の淀みを見せずに言い放ったコルベールは、はっと我に返ると冷や汗をかきながら、目の前の三人の様子を窺った。
 三人は―――目を見開いてコルベールを凝視していた。
 その表情にコルベールの顔からは血の気が引き、数少ない頭髪がさらさらと抜ける。
 コルベールは後悔に身を捩る。
 これ以後、私はきっとエロ教師として扱われるんだ、ポスト・オールド・オスマンとか言われるんだ、女生徒からは白い目で見られ、近寄ると妊娠するとか噂されるんだ、と思考がどんどん沈んでいく。

「ミスタ……いや、マスター・コルベール!」
「―――へ?」

 がっしりと手を握られたことを感じ、コルベールは気が抜けた声を出す。
 学院を追いやられ、トリスタニアの貧民街で物乞いをしつつ、通りがかる少女を狙ってセクハラじみた言葉を投げかける己を想像していた彼は、目の前の少年たちが、何故自分に熱い視線を送ってくるのか分からなかった。

「そこまでの深慮をお持ちとは……僕は今まで、マスター・コルベールのことを見誤っていたようです。僕は自分が恥ずかしい」
「この『青銅』のギーシュ、グラモン家の係累に名を連ねる者として、マスター・コルベールに出会えたことを嬉しく思います」
「さすがマスター! やっぱマスターはスゲェーや!」
「いや、君たち何を……? というか、マスターって……」

 口々に己を褒め称えてくる三人に、コルベールはさらに混乱する。

「しかし、まさかこれ程近くにマスタークラスがいるとは……この『風上』のマリコルヌの目を持ってすら見抜けなかった」
「さすが『炎蛇』のコルベール。あっちの方も『炎蛇』だったといういうわけですね?」
「き、君たち何か勘違いをしているんじゃないかね?」

 汗をかきつつ必死に抗議しようとするコルベールの肩に、サイトはそっと手を置く。

「そんな謙遜しなくてもいいんですよ、先生。俺は聞きました。確か『美人はただそれだけで、いけない魔法使い』でしたっけ? 深い言葉だと思います。そう、俺はあのとき気づくべきだったんだ。先生がどれ程のリビドーの持ち主かということを……俺の中じゃ、今年上半期の流行語大賞ですよ? 『美人はただそれだけで、いけない魔法使い』」
「「いけない魔法使い!」」

 サイトの言葉を、ギーシュとマリコルヌが唱和する。
 次いで三人はコルベールの左右と後ろに周り、彼の体を半ば持ち上げるようにして、広場から離れていった。

「こ、これ! 放しなさい! どこに行くんだね!? まだ掃除の途中ですぞ!」
「まぁまぁ、それは後でやります。それより今は、マスター・コルベールの話をじっくりと拝聴したいのです。どうかその叡智を、未だ足りない我々にお授け下さい」

 後ろからコルベールの背を押しているマリコルヌが、やけににこやかな表情で言った。
 コルベールの腋の下に手を添え、彼の体を持ち上げるようにしているサイトは、逆側についたギーシュに尋ねる。

「ギーシュ、どこがいいと思う?」
「そうだねぇ……確か、マスターは研究室を与えられていたはずだ。そこに行こう。万に一つも邪魔をされたくないからね。食堂や寮の部屋では、他の人の目につく可能性がある」
「よし、そうするか。―――行くぞ、野郎ども!」
「「アラホラサッサー!」」

 三人はコルベールの体を頭の上に持ち上げると、やたらとコミカルに足を動かしながら、研究室に向かって走っていった。

「君たち、何を言っているんだね!? お、降ろしなさい! 早く、はやああああぁぁぁ……!」

 そう言って四人が去っていった後の広場に残るのは、ドップラー効果の名残と、事態を把握していないポカンとした表情の数名の生徒のみである。
 まぁとりあえず、楽しそうではあった。

















 トリスタニアのブルドンネ街を、一台の馬車がひた走る。
 二頭立ての馬車の中で、後ろに流れていく活気に満ちあふれた街の景色を横目に、ルイズは小さくため息をついた。

 今日は虚無の日ということで、特に何の予定もなかったルイズは、以前マリアンヌに言われたように、アンリエッタを訪ねて宮殿へと向かっていた。
 初めはサイトも連れてこようと思っていたが、生憎彼は何故か広場の掃除を命じられていたので、一緒に来させることはできなかった。
 ギーシュやマリコルヌなどと遊んでいるだけなら、無理矢理にでも連れてくることはできたが、教師であるコルベールの監視の元で、掃除を命じられていたので、さすがにルイズとて一人だけ抜けさせることは気が引けたため、こうして一人で行くことになったのだ。

「もう、ご主人様の傍にいないなんて、使い魔失格じゃない……」

 馬車の中で、ルイズはふくれっ面になり一人ごちる。
 最近ただでさえ、何となく話をすることが少なくなっているというのに、こうして自分が出かけるときにも傍にいないサイトに、ルイズはお冠であった。

 ルイズが一人でサイトに対する文句をぶちぶち言っていると、ブルドンネ街を直進していた馬車が、その足を落とした。
 馬車の窓から少し顔を覗かせて外を見ると、丁度宮殿に着いたところであった。
 城門前で馬車が止まると、門兵が寄ってくる。
 窓を覗き込み用を尋ねてくる門兵に、ルイズはマリアンヌから渡された許可証を差し出す。
 前にマリアンヌが言っていたとおり、既に話が通っているのか、門兵はルイズの身分を尋ねることもせず、すんなりと馬車を通した。

 馬車を降りたルイズは、一人の衛士の先導で、アンリエッタの部屋に向かう。
 今日アンリエッタを訪ねることは、事前に書状で窺った上で許可を貰っているので、彼女自身は知っているはずだ。

 少し歩くと、アンリエッタの部屋へと着いた。
 扉の両脇に立つ衛士に軽く礼をすると、彼らもルイズに答礼する。
 ルイズを先導してた衛士が扉をノックし、彼女が訪れたことを中に伝えると、部屋の主である者の澄んだ声が入室を許可する。
 衛士が促すようにルイズに目配せするのを見てから、彼女は中に向かって「失礼します」 と声をかけると、ゆっくり扉を開く。

「いらっしゃい、ルイズ」

 足の低い机の両側に置かれたソファの、扉を向いた側にアンリエッタは座り、入室したルイズを朗らかな笑顔で向かえた。
 ルイズはちょこちょことアンリエッタに近寄り、頭を下げる。

「突然すみません、姫さま。ご迷惑ではありませんでしたか?」
「迷惑なんてとんでもない、あなたと私はおともだちじゃないの。訪ねてきてくれて嬉しいわ。どうぞ、座ってちょうだい」
「はい、失礼します」

 指し示されたアンリエッタの対面に、ルイズは腰を下ろす。
 すると間をおかず侍女が入室してきて、二人の前に紅茶を置いた。
 その侍女が出ていくのを確認すると、ルイズはアンリエッタの顔を窺いながら口を開く。

「お元気そうでなりよりです」
「ふふ。そういえば、前会ったときは気を使わせたみたいで、ごめんなさいね。ルイズと話をしたら、元気出たみたい」
「い、いえ。私が姫さまのお力に少しでもなれたのなら、光栄ですから」

 理由はよく分からないが、以前会ったときのアンリエッタは、どこか落ち込んでいた。
 今のアンリエッタも本調子とは言えないだろうが、前よりは元気が出てきたのは確かなようなので、ルイズとしても安心である。
 と、不意にアンリエッタがため息をついた。

「あの……やっぱりお疲れですか?」
「え? ああ、ええ……そうかもしれないわね。最近少し忙しくなったから」
「あ、じゃあ、あまり長居しない方が―――」
「いえ、いいのよルイズ。私もあなたとお話ししたいから」

 腰を浮かしかけたルイズを、アンリエッタは少し片手を上げて押し止めた。
 そうならいいのですが、とルイズは再度ソファに腰を落ち着ける。
 すると、アンリエッタが笑みをうかべてから紅茶を口に含んだので、ルイズも喉を潤わせることにした。
 自分の目の前に置かれたティーカップを持ち上げ、一口含むと、ふと疑問がわき上がった。
 ルイズは軽く首を傾げると、アンリエッタに視線を戻し尋ねる。

「あの、姫さま」
「何、ルイズ?」
「アレクはまだ戻っていないのですか?」

 部屋を見渡してもどこにもいないし、先ほどこの紅茶を持ってきたのも侍女であったことを思いだして、ルイズは素直に疑問に思った。
 以前訪ねたときもいなかったアレク。
 そのときアンリエッタに尋ねてみたところ、「今はちょっと使いに出てる」という答えが返ってきたが、今なお彼の姿を見かけないのは不自然に感じる。

 ルイズにとって、アレクはアンリエッタとセットのような存在だ。
 初めてアンリエッタと会ったときもいたし、それ以後ルイズが王宮に来たときも、公爵家に訪れてくるときも、常にアレクは付き従っていた。
 ちょっとした雑用や彼が同席できないような場面では傍を離れることは多々あったが、ルイズの記憶にある限り、アレクがアンリエッタの近くに丸一日以上いないことはなかった。
 そのためこうしてアレクの姿が見えないと、違和感を覚えるのだ。

「―――ええ、そう、ね。まだ帰ってきてないわ」

 アンリエッタは目尻を下げると、口元だけ動かして笑顔を作った。

「姫、さま? 大丈夫ですか?」

 正確には分からないが、その表情からアレクが普通の用事でアンリエッタの傍を離れているわけではないと、何となく感じ取ったルイズは、気遣うように声をかけた。

「ええ、大丈夫。心配入らないわ、ルイズ。ありがとう」
「ならいいのですが……」

 アンリエッタの返事に、ルイズはしぶしぶながら言葉を重ねるのを止めた。
 しかし、いささか心配なのには変わりない。
 以前マリアンヌも言っていたが、アンリエッタはあまり他の人に弱音を吐くようなことをしない。
 幼なじみである自分にはある程度本音を言ってくれるであろうが――余計な心配をかけたくないと思っているのか――それでもやはり、ルイズにも甘えるようなことはしてくれないのだ。

(まったく、何してるのかしら)

 ルイズは内心、ここにいないアレクに文句ぶつけずにはいられなかった。
 アレクはアンリエッタの支えだ。
 依存、という程ではないが、それでもアンリエッタはアレクに寄りかかっている部分があると、ルイズは思っている。
 いや、それも正確ではないのかもしれないが、とにかくルイズの認識では、アレクはアンリエッタの傍に常にいなければならない存在―――いて当然の存在である。
 そのはずのアレクが、今元気のないアンリエッタの傍にいないなんて、とルイズはふくれる。
 実際にはアンリエッタの元気のない理由が、アレクがいないせいなのかもしれないので、順序が逆と見るべきなのかもしれないが。

「―――ねぇ、ルイズ。知っているかしら」

 不意にアンリエッタが口を開いた。
 その声に、ルイズは無意識的に睨み付けるように見ていた紅茶の表面から、顔を上げて視線をアンリエッタに戻す。
 何を、と問いかけるように首を傾げるルイズに、アンリエッタはたおやかな笑顔で語りかける。

「私はずっと、あなたみたいになりたいと思っていたの」
「―――え?」

 思いも寄らない言葉に、ルイズの口からは呆けたような声が出た。
 呆然といった表情のルイズに頓着することなく、アンリエッタは笑顔をうかべたまま続ける。

「幼い頃、私は自分が王女だということが大嫌いだったわ」

 物心着いた頃の、わずかな記憶。
 今では霞がかったような朧気なもので、うまく思い出せない部分も多々あるが、その頃の記憶の中の少女は、自分のことながらいつも不満を抱いていたように、アンリエッタは感じる。

 王家に生まれた者としての義務や心がけを、何度も何度も繰り返し聞かせてくる教育係の姿。
 表面上はにこやかなものだが、腹の中では何を考えているか分からない貴族たち。
 遥かに上の身分のアンリエッタに対して、まるで腫れ物に触るように接する使用人。
 そのどれもこれもが、幼いアンリエッタには嫌なものでしかなかった。

「生まれながらに付いて回る『王女』という身分。何で自分がそんなものにならなければいけないのか、幼い私には、まったく理解できなかった。そんなこと一度も望んでないのに、って」

 本人の意図しないところで決められ、背負わされることが予め決められていた、重い責任。
 王族として生まれた者ならば当たり前のことなのだろうが、幼いアンリエッタは、胸の中に沸き起こる不満を抑えることができなかった。
 何を我が儘な、という人もいるだろう。
 確かにそれは彼女の我が儘に過ぎないのは間違いではない。
 それはアンリエッタとて理解している―――いや、正しく言えば、その頃は理解できていなかったのではあるが、成長するにつれ理解し始めることができた。

「でも『嫌だ』って言う勇気も持てなかったから……ただ流されるままに、私は『王女』を演じていたわ」

 もっとも、本人が「嫌だ」と言ったからといって、捨てることができるような身分ではあるまい。
 しかし、王女という立場を受け入れず、ただ惰性で送った『王女』の生活を続けるよりは、己の意志を持っていられただけマシになっていたかもしれない。

「ルイズ、あなたはとっても強いわ。小さな頃からずっと―――あなたは私より遥かに強い」

 初めはただ、遊び相手ができたことが嬉しかった。
 アンリエッタの周りには、アレクを抜かせば年の近い者など皆無であったので、ルイズと出会えたことは、嫌なことが非常に多いと感じていた彼女にとって、この上ない僥倖だった。
 そして、年を重ねる事に、段々と幼なじみのことを把握していったアンリエッタは、その内ルイズに憧れを持つようになった。
 何せルイズは、自分より遥かに強い『芯』を持つ少女だったのだ。

 出会ったばかりの頃は気にならなかったことだが、成長するにつれ、ルイズがうまく魔法を使えないことが判明した。
 ハルケギニアに生をうけた貴族にとって、魔法を使えないというのは、アイデンティティそのものが崩れ去る程の大事だ。
 魔法を使えるアンリエッタにとって、ルイズの心情を慮ることはできなかったが、それでもルイズがそのことに劣等感を感じていたことは想像できる。

 父や母のような立派な貴族になることを夢見ていたルイズにとって、それはどれ程のショックだったか。
 普通の者ならば、下手をすれば自殺することを選ぶ可能性すらあるだろう。
 貴族にとって魔法が使えないというのは、己が貴族ではないという証明にすらなりうるかもしれないので、すなわちルイズの夢が閉ざされたことを意味していた。

 ―――だが、ルイズは諦めなかった。

 どれほど陰口を叩かれようとも、どれほど他者から見下されようとも、ただ魔法が使えるようになる日を想像して、己の夢が成就するときを願って、ひたすらに努力をし続けた。
 強い精神力、けして折れない強靱な芯、ただ前のみを見続ける心魂。
 それがどれ程アンリエッタの瞳に、輝いて映ったか。
 目標という物を持たず、周りに流されるままでしかない自分とは一線を画した幼なじみの心を、アンリエッタはひどく羨み―――憧れた。

「だから私は思ったの。いつかルイズのようになりたい、って」
「姫さま……」

 ルイズは掠れた声色で、そう呟くことしかできなかった。
 アンリエッタの口から語られたことは、全てルイズが予想だにしないものであった。
 彼女の記憶の中のアンリエッタは、いつも明るかった、いつも笑っていた、いつも楽しそうだった、いつも輝いていた。

『魔法もってその精神と為す』というハルケギニアの貴族であるルイズは、自身が魔法を使えないという理由から、いつもどこか己に自信を持てず、常に鬱屈とした気持ちが心の隅に潜んでいる。
 いつか魔法を使えるようになる時を夢見て、必死に勉強を続けた。
 魔法が使えないのなら、それ以外の部分はせめて貴族たらんと、尊敬する父や母を見習って、振る舞ってきた。
 それでもやはり、ルイズの心を光で満たすには足らない。
 そんなルイズは、アンリエッタに羨望の眼差しを向けることはありこそすれ、まさか自分が彼女に憧れられているなど、想像の埒外であった。

「アレクが傷ついて、お父さまが亡くなって……何だか私の大切な人たちが、そのうちみんないなくなっちゃうような気がして、私は怖くなったのかもしれない。だから私は、大切な人を守ろうと、必死に努力をしたわ……ただそれだけを『目標』にして」

 王女という自分の身分を使用して。

 心構えはともかくとして、まだ二十年も生きていない少女であるアンリエッタでは、そこまで目に見える成果を出せたとは言い難い。
 それでもとにかく自分でできる限り守ろうと、利用できるものは何でも利用して、手を打ってきたと思っている。
 機会があれば国外にも己の影響力を持たせ、自身の重要性を高めさせようと、三年前の園遊会のときなどは、ウェールズと親しくさせてもらった。

 ただ、自身の身の回りにいる、大切な人を守るために。

 比較的順調といっても良かった。
 宮廷内には、少なからない数のシンパもいるし、ある程度の実質的な発言権は持てているだろう。
 国を変える、などという大それたことは己の影響力では無理にしても、自分の周りを守るだけのことなら、けして不足ないほどの影響力は持てているはずだった。

「―――でもね、やっぱり私は弱いみたい」

 自嘲気味に笑うと、アンリエッタは立ち上がり、寝台に近づく。
 そしてその直ぐ横に立てかけてある物を手に取ると、またソファに戻り、腰を下ろした。
 手に取った物を膝の上に置くと、ルイズに見せるように片手で少し持ち上げる。

「ルイズ、これ分かる?」
「杖、ですよね? 姫さまのものではないようですけど……」

 そう、アンリエッタの膝の上にあるのは、杖であった。
 宮廷を歩く貴族たちが持つような、煌びやかな装飾が施された物ではなく、どちらかといえば軍人などが好んで携えている、鉄拵えの無骨といっていいそれ。
 どこかで見たことがあるような杖を、首を傾げて見つめているルイズに、アンリエッタは微笑して答える。

「そう、杖ね。これは―――アレクの杖」
「……アレクの?」

 ルイズはキョトンとした瞳で、もう一度杖に目を落とす。
 なるほど、確かにそう言われてよく見てみれば、アレクがいつも腰に差していた杖だと思い出す。
 光を受けて鈍く輝くその杖を初めて見たときは、執事に似た服装で、常にアンリエッタの傍に付き従っていた彼が持つにはいささか似合わない、というかアンバランスな印象を受けた覚えがある。
 でも、とルイズは疑問を口にする。

「どうしてアレクの杖がここに? アレクは今どこかに使いに出ているんじゃないんですか?」

 貴族にとって杖とは象徴であり、誇りである。
 基本的には肌身離さず持ってしかる物なはずなので、所有者の手元にないということは、寝るときや風呂にはいるときなど放さなければならないときを除いて、まずあり得ない。
 なので、外に出るのに忘れるなどとは考えられないため、ルイズにはその杖がここにある理由が分からなかった。

「そう、ね……」

 アンリエッタは杖をゆっくりと撫でる。
 鉄拵えのため冷たい杖の表面は、けして滑らかで綺麗なものではなく、大小様々な傷がついて、ゴツゴツとした肌触りをしている。

「この杖はね、アレクがトライアングルになったばかりのとき――確か、十四になる少し前だったかしら――に、彼が望んでつくった物なの」

 まだアレクがシュヴァリエを叙される前のことだ。
 王女であるアンリエッタの傍に仕える者として、どんなことにも一定以上の能力を持たねばならないと、様々な訓練や勉強を課せられていたアレクが、何とかメイジとしての腕前でトライアングルになったとき。
 基本的にアンリエッタの傍に付いていることが最も多かったので、護衛の真似事のようなこともしろと命じられた彼が、そのために拵えた杖。

「契約を済ませた杖を、一番に私のところへ持ってきてくれてね。『この杖で、アンリエッタ様をお守りいたします』って言ってくれたの」

 もっとも宮殿内にはそこかしこに衛士が控えているし、アンリエッタが外出するときは、近衛をはじめとした騎士たちがその護衛に付くので、実際アレクが彼女を狙う輩と直接対峙することなど、ほとんどなかった。
 それでも、大きなもので一度、アレクはアンリエッタをこの杖で守ったのだ。
 アンリエッタが様々なことを考えるような切っ掛けと言っていい出来事だった。
 だが―――

「この杖をね、アレクは置いていったの」

 アンリエッタを守るために拵えた杖を、アレクは彼女の元に置いていった。

「『もうお前を守るつもりはない』『傍にいる気はない』って言われた気がして……」

 ―――もうアレクが帰ってこないような気がして。

 だからアンリエッタの精神(こころ)は、一度折れ曲がってしまった。
 大切な存在を守るため、傍から離れることがないようにするために努力をしていたアンリエッタの精神は、その対象が自らの意志をもっていなくなったことに、負けてしまった。
 自身の弱さを自覚してしまったが故に、彼女は少し挫けてしまったのだ。

「そ……そんなこと、ありえませんッ!!」

 アンリエッタの独白を、戸惑うように揺れる瞳で見ていたルイズが、顔を赤くして立ち上がる。

「アレクが姫さまの傍からいなくなるなんて、あり得ないもの!」

 幼い頃からずっと二人を知っているルイズだからこそ、そう思えた。
 ただの主人と臣下とは違う―――恋人や親子、兄妹ともまた違うが、確かに二人の間には、何か繋がりがあるように見えていた。
 ルイズには、アレクが何を思ってこの杖を置いていったのかは分からない。
 基本的に激しい感情を表さないアレクなので、その内心を読むことは、まだ十六の少女であるルイズにはできない。
 しかしそれでも、彼がアンリエッタの傍からいなくなるとは、到底思えなかった。

「―――そうね」

 目の前に立つ幼なじみを眩しそうに見つめながら、アンリエッタはポツリとこぼした。
 いつでも真っ直ぐなルイズに、アンリエッタは優しく笑みを向ける。

「ええ、そうよね。大丈夫、私も信じているわ。ちょっと愚痴を聞いてもらいたかっただけなの。ありがとう、ルイズ、楽になったわ」
「も、申し訳ありません! 差し出がましいことを……」
「いいえ、いいのよルイズ。さぁ、座ってちょうだい」

 先ほどとは違い、今度は羞恥に顔を赤くして、ルイズはソファに座り込んだ。
 その様を微笑ましげに見つめると、アンリエッタは「それに」と続ける。

「私は決めたから」
「決めた、って……何を?」

 アンリエッタは首を傾げるルイズに向かって手を差し伸べるように、両手を前に出す。

「もう負けない、もうなくさない、もう離さない」

 そのために―――

「―――全部自分のものにしちゃおうって」

 目の前にある何かを抱きしめるように、アンリエッタはゆっくりと胸の前で腕を組むと、花が咲くような笑顔をルイズに見せた。





 昼食を取るというアンリエッタに「一緒にどうか」という誘われたルイズは、ありがたくその申し出を受けた。
 宮殿の広いダイニングルームで取った昼食は――マリアンヌもその場にいたので、いささか緊張をしたが――楽しいものであったと思う。
 それが終わると、アンリエッタは執務に戻らなければならないようなので、ルイズは今日はここでお暇することにした。

 アンリエッタが呼び寄せた衛士に先導され、石造りの廊下をぬけて宮殿の外に向かう。
 その衛士の背をぼんやりと見つめているルイズの頭の中では、様々な感情が駆けめぐっていた。

 今回アンリエッタと話をして、色々なことが分かった。
 どうやら彼女は、何かしようとしているらしい。
 その『何か』が具体的には何なのかは想像できないが、それでもアンリエッタは何かを為そうとしている。
 幼い天真爛漫な少女としてのアンリエッタではなく、一国の王女であるアンリエッタの姿を、ルイズは初めて垣間見た気がした。

 グッ、と胸が痛んだような気がして、ルイズは自分の胸元を握りしめる。
 アンリエッタは変わっている、かつての彼女ではなくなっている、成長をしているように感じた。
 ルイズは自問する―――では自分はどうだろうか、と。

 未だコモン・マジックすらまともに使えない自分。
 学院に通って、使い魔を召喚して、自分は何が変わったのだろうか。
 いくら教えられても一向に上達しない自分を叱りつける母が怖くて、優秀な二人の姉と比べられて、庭にある池の小船の中で、悔しさともどかしさで小さな体を縮めて泣いていた幼い頃のルイズと、今のルイズはどこが違うのだろうか。
 寂しさ、苛立ち、焦り、疑い、迷い―――感情の渦の中で、ルイズは惑い続ける。

「ルイズ!」

 ―――と、不意に呼ばれたことに驚き、ルイズは我に返る。
 辺りを見渡してみれば、すでに建物の外に出て、馬車の目の前まで来ていた。
 どうやら余程自分の中に沈んでいたらしいと分かり、ルイズは何となく気恥ずかしくなって、周りをキョロキョロと見回した。
 すると、一人の見知った男性の姿が目に入る。

「ワルド……?」

 城門の方から、ワルドが走り寄ってくる。
 どうやら先ほどルイズの名を呼んだのは、彼であるらしい。
 ルイズの目の前までやってきたワルドは、彼女に微笑みかけると、腋の下に手を入れて軽々とその体を抱え上げた。

「やぁルイズ。今日はどうしたんだい? 僕に会いに来てくれたのか?」
「え? 違うわ、今日は姫さまにお会いしに……って! お、降ろしてワルド! 恥ずかしいじゃない!」
「ああ、そうだね。ごめんごめん」

 衛士や馬車の御者の目が自分に向かっていることに気づき、気恥ずかしくなったルイズがぺしぺしと手を叩きながら言うと、ワルドは笑みをうかべながら、全然悪びれずに降ろす。

「そうか、殿下に。何だ、残念だな。僕の自意識過剰だったみたいだね」

 恥ずかしそうに頭を掻きながら、ワルドは続ける。

「手紙の一つも出せていないで悪いね、ルイズ。どうも以前の件で枢機卿を怒らせてしまったのか、最近は頓に忙しくて。朝から晩まであっちに行ったりこっちに行ったりさ。そのせいで寝る時間は少ないわ、食事をする暇もないわで、最近痩せてしまったよ。何だか部下たちもたまに変な目で見てくるし……」

 あれは何なんだろう、とワルドは首を傾げた。
「手紙の一つも出せない」と詫びるワルドに、ルイズは何のことかと考えるが、そういえば自分は一応彼と婚約をしていたのだった、と思いだして頬を赤らめる。
 その様子を見たワルドは、にんまりと笑う。

「ふふん、少しは意識してくれてるのかな? お父上からは好きにしろと許可をいただいているし、僕も多少は君に―――」
「隊長! そろそろ出発しますよ!」

 何か言おうとしていたワルドだが、城門の方からグリフォンに乗った衛士に声をかけられ、言葉を途切れさせられる。

「分かった、今行く! ―――ごめんよ、ルイズ。これから任務なんだ」

 話を中断させられたことにワルドは小さく舌打ちしてから、声の方向に顔を向け部下に向かって答えると、ルイズに向き直り、眉尻を下げて言った。

「時間を見つけて手紙を書くよ。休暇をもらえたら会いに行こう。じゃあまたね、僕のルイズ」

 ワルドはルイズの手を取り、唇を落とすと、駆け足で城門に戻っていく。
 恥ずかしそうにルイズがキスをされた手をもう片方の手で押さえて、ワルドを見ていると、そのうち整列したグリフォン隊が、彼の号令で飛び立つのが見えた。
 綺麗に編隊を組んで遠ざかっていくグリフォンを見送ると、ルイズは知らぬ間に入っていた肩の力を抜き、ため息をつく。

「もう、何なのよ。好き勝手言って……」

 言いたいことだけ言って、さっさといなくなってしまったワルドに、ルイズは呆れたように声色で、そう呟いた。
 視線の先には、もう澄み切った青い空しか見えない。
 ルイズは一度深呼吸をすると、むっと気合いを入れ、馬車に乗り込む。

 先ほどまで胸中に渦巻いていた様々な感情が、いつの間にか晴れていることに、彼女は気づかなかった。




















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