アルブレヒト三世がハルケギニアの征服をするようです 前編



 ――帝政ゲルマニア。

 首都ヴィンドボナにそびえ立つ皇帝の居城。皇帝の権威を象徴する建物。華麗さや優美さよりも、見る者を威圧するかのような様式で建てられているそれは、いつにも増して重圧を放っているかのようだった。
 大きく厚い城壁。天を突くような尖塔。重厚な鎧を纏った衛兵たち。そのどれもが物々しい雰囲気を醸し出している。

 その城の一角、テラスに続く長い廊下。豪華な――というより装飾過多な飾り付けのなされた左右の壁際には、正装した幾人もの貴族たちが立ち並んでいる。厳しい顔つきをした彼らの間を、弾力に富む絨毯を踏みしめながら、一人の四十男が闊歩していた。
 アルブレヒト三世である。

 ハルケギニア唯一の皇帝である彼は、穏やかな表情で、目的地であるテラスに向かっていた。
 これから己らが為すことを考えれば、およそ常人では笑顔をうかべるなど不可能なはずであるにも関わらず、アルブレヒトはむしろ常時よりも心穏やかな様子であった。
 それは彼の精神が常人のそれと一線を画す故か、それとも緊張が頂点に達し、取り乱すことすら越えてしまった所為なのかは、端から見ている者達には判断がつかない。

 ともかく悠々とその時に向かって歩き続けている彼の姿は、配下の心を泡立たせる。己らの君主の、余裕とも取れる態度を見て、彼らは無意識的に胸を張った。
 そして、そんな配下の様子を目の端に捕え、アルブレヒトは真っ直ぐ前方を見ながら、口に端をゆるめる。

「陛下! ブッフバルト連隊、準備整いました!」

 壁際に立ち並ぶ貴族の一人が、そうアルブレヒトに声をかける。

「うむ」

 アルブレヒトはその声の主に一度だけ視線を向けると、歩みを止めずに頷いた。

「フューラー連隊、準備万端です!」
「グライリヒ連隊もいつでも出られます!」
「重装歩兵大隊、総員揃っております!」
「火竜騎士団、準備整ってございます!」
「ノイマン独立砲兵大隊、後は陛下の号令を待つのみです!」

 初めの一人をきっかけに、次々とアルブレヒトに声がかけられる。彼はその一つ一つに頷きかけながら、テラスの目の前まで進んだ。
 外へと出るガラス扉の前に控えた衛士は、アルブレヒトに無言で敬礼をする。アルブレヒトは二人のそれぞれの顔を確認すると、一つ頷き口を開く。

「開けよ」
「――はっ!」

 返礼の後、ゆっくりと扉が開かれる。
 初めに目に入ってきたのは、まばゆい光。次いで雲一つない蒼天。さらに、穏やかな風が、アルブレヒトの躰を撫でる。そして――

ワァァアアアァアアァァァアアアッ!!!


 ――圧倒的な熱気を伴う喚声が、アルブレヒトの耳に飛び込んできた。

 アルブレヒトは笑みを深くして、テラスに足を踏み出した。そしてそこから見える風景に、彼の躰は歓喜で震える。

 眼下には数多の人、人、人。地平線まで埋め尽くそうかというほどの、人の群。数えるのが馬鹿らしいほどの人々が、テラスに立つアルブレヒトを見て沸き立っていた。
 いや、人だけではない。そこかしこには鞍をつけた竜や、砲を背負った大きな亀の姿。ギスギスとした装備を身につけ、荒々しげに猛る馬。空中には大小様々な戦艦が浮いている。
 ゲルマニアに存在する全ての軍が、そこには整列していたのだ。

 過去一度たりともなかった総力の集結を目の当たりにして、アルブレヒトの表情は、先ほどまでうかべていた穏やかな笑みから、まるで極上の獲物を捕えた獣のような獰猛な笑みに変化する。

 ――ああ、これだ!

 ぶるり、と彼の躰が波打つ。内にこもる激情が、躰を食い破ろうとするのを、彼は必死で押さえた。

 ――まだだ、まだ待て!

 両手で己の躰を抱きしめ、そう言い聞かす。
 そう、まだその時ではない。為すべきことを為さねばならない。宴の前には乾杯が必要だ。ショーの前には口上が必要だ。
 楽しいことが後に控えているからこそ、精神は高揚する。



 ――アルブレヒトの心境は、まるで明日の遠足を楽しみに待つ少年のように、熱く滾っていた。





アルブレヒト三世がハルケギニアの征服をするようです 後編



 しばらく――といっても数分の間だろうが――自身を抱きしめ上半身を丸めるようにして、歓喜に震える躰を抑えていたアルブレヒトが、不意に顔を上げた。その顔に張り付いていた獣のような表情はなりを潜め、廊下を歩いていた時のような穏やかなものになっている。
 彼は悠然とした笑みで眼下に立ち並ぶ配下を見渡すと、ゆっくりと片手を上げた。

 ――ぴたり、と音が止む。

 統率の取れたその動作に、アルブレヒトは満足げに頷く。
 しばしの静寂。ゲルマニア全軍は、自身の君主の声をただ只管に待つ。これから己らが為すこと。その開始の合図を、視線の先にいる皇帝が行うのを、じっと、じっと……。

 アルブレヒトは一つ咳払いをすると、まるで世間話をするように、演説を始めた。

「実は……予は甘党でな、子供の頃は母がくれるキャンディーが、何よりの楽しみであった」

 まるで関係なさそうな話をする皇帝に、彼らは文句の一つも言わず、ただその声に耳を傾ける。

「だが母は厳格な人物でな、一日に一つしかくれんのだ。予はそれが不満だった。たくさん食べたいのに、何で一つしかくれんのだ、とな」

 アルブレヒトはその頃を思い出すかのように、空に視線を向ける。

「いくら強請っても母は一つしかくれん。父に言っても笑って済ませられてしまう。予は子供ながらに考えた。どうすればたくさんキャンディーが食べられるのかと。そこで一つ名案を思いついたのだ」

 グッ、と笑みを深める。

「――他から奪えばいい」

 楽しそうにアルブレヒトは笑う。

「幸いにして予には兄弟がたくさんいた。兄も姉も弟も妹も、だ。中には妾腹の子もいたが、母は優しい人なので、皆に平等に与えたのだ。それだけの人数がいれば、キャンディーの数も多い。これなら気が済むまで大好きなキャンディーを食べられると喜んだものだ」

 と、アルブレヒトはそこで一息つく。一度深呼吸をすると、変わらなく抑揚で続けた。

「それからというもの、予は欲しい物は何でも奪ったものだ。玩具、お菓子、ペット、何でも、欲望の向くままに。しかし予も人間だ、成長する。予は自分の体が大きくなるにつれて、欲望も大きくなるのを実感した。しかし予の本質は変わらん。欲しい物は何でも奪い取る。金、女――そして地位と権力」

 何時しかアルブレヒトの表情は、また獣臭を感じさせるものへと変化してきていた。

「諸君らも知っているだろう。予が皇帝の地位に納まるために何をしたのか。――そう……父を、母を、兄弟を、そして血の繋がりさえ怪しい親戚全てを塔に閉じ込めた。何故か? 欲しかったからだ」

 アルブレヒトの顔が歪む。凶悪な笑顔に。獰猛な笑顔に。

「だがそれでも――皇帝の座を手に入れても、予の欲望は収まらぬらしい。欲しい、欲しい、欲しくて堪らぬモノができてしまった」

 一旦言葉を止め、大きく息を吸い込む。そして躰を大きく震わせると、いっそ清々しいとも形容できるような表情で、アルブレヒトは言葉を紡いだ。

「――予は世界が欲しい!」

ハァァァイル・アルブレヒトォォォオオオッッ!!!


 眼下の群衆が、一様に片手を空に突き出すようにして、アルブレヒトを称える。

「かつてゲルマニアは列強諸国が覇権を争う地獄であった! 川は血で赤く染まり、あらゆる都市は炎に包まれ、魔法や大砲によって傷つけられた地は荒廃していた! 遡ること幾百年か! 我が先祖がそれらを統合し、帝政ゲルマニアを創り上げたそのときより! 我らは大人しくなりすぎていたのではないかッ!?」

 牙を剥き出しにして威嚇する猛獣の如く、アルブレヒトはあらん限りに力で叫ぶ。

ジーク・ハイルッ! ジーク・ハイルッ! ジーク・ハイルッ!


 群衆は一切の乱れもない動作で、繰り返す。その時を予感して。ただ己の気分を高揚させ続ける。

「ゲルマニアの歴史とは、すなわち闘争の歴史ッ! 六千年という永遠にも似た時を重ね、ただ平和を甘受し続けた奴らとは違う! 今! この時をもって! 我らは本来の我らに戻る! すなわち―――――戦争だッ!!!」

ジーク・ハイルッ! ジーク・ハイルッ! ジーク・ハイルッ!


「これよりハルケギニア統一戦争の幕を開ける! 躊躇はいらん! 慈悲はいらん! 容赦も情けも哀憐もいらん! ただ――征服せよッ!!!」

 アルブレヒトは片手を突き出す。その合図を受け、ゲルマニア全軍は一点に向かって進軍体勢を整えた。
 彼らの視線の先にはある国がある。ゲルマニアの南西部に位置する隣国。始祖ブリミルによって授けられた王権の一つ――水の国。

「第一目標トリステイン!」



ジーク・ハイルッ!!!







――各自蹂躙を開始せよ――













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